新型コロナウイルス対策における政府の対応は後手後手に回り、感染者は増え続け、経済は凍り付いた。日本に未来はあるのか。AERA 2020年5月4日−11日号では、政治学者の白井聡さん、中島岳志さんのそれぞれの分析を紹介する。



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●それでもまだ腐った安倍政治を支持し続けるのか
白井聡さん(42)政治学者

 新型コロナ関連の政治判断でおかしなものは多々ありますが、私は驚きません。世界中の国が、少なくとも「国民の命を真剣に守らなければならない」という意思がある点で一致しています。今の日本にはそれさえない。元々そういう政権なんです。

 経済再生担当大臣が、新型コロナの対策大臣になっていることも象徴的です。連鎖倒産などで人々が首をくくるような悲劇が起きないようにするのが、経済対策の本質のはず。安倍政権は、これは景気の問題だと考えている節がいまだにある。

 この7年間、徹底的に安倍政治を批判してきました。でも政権は倒れない。選挙で勝ち続けているから。つまり国民は自業自得です。検疫の杜撰さ、進まないPCR検査態勢の充実など行政の無能のために、避けられた犠牲が増える可能性がある。安倍政権を支持してきた人たちや、その勝利を支えた無関心層は「自分たちがいったい何をやってしまったのか」を真剣に考える義務があります。「人殺し」になるのかもしれないのです。

 台湾や韓国の新型コロナ対策が称賛されていますが、「民主的で機能する政府」は天から降ってきたわけではない。強権政治との長年の闘いを経て、彼らはそれを手にしているんです。

 日本はどうか。腐った政権を長年、奴隷根性と無関心によって支持し、一方で反対する人を冷笑やアカ呼ばわりで非難する。そんな精神風土がずっと続いてきた。そういう方々には、カビノマスクがふさわしいのです。

 ただ、光もあります。批判によって和牛券の案が撤回されたり、10万円給付が実現したり、私たちの「怒り」が現に政府の行動に影響を与え、変えさせている。まともに機能する政府が欲しいなら、今後も許しがたいことは許さず、怒りを表明し続ける。そんな当たり前のことに気づく。情けないことですが、ようやく出発点に立つのです。

●政府への苛立ちが大政翼賛生んだ歴史を教訓に
中島岳志さん(45)政治学者

いま最も気になるのは、政府のコロナ対策が後手後手に回っていることで私たち国民の側に生まれている「遅い」という苛立ちが、逆に「強い権力の発動」につながりかねないのではないか、ということです。

 私は緊急事態宣言自体は悪いと思っていませんが、その発動が遅れたことや中身について、「もっと早く」「政府は甘い。都市封鎖もやるべきだ」といった「より強い権力の発動を待望するような感覚」が、いつもは政権を批判しているリベラルと言われる人たちの間に強くなってきていると感じています。

 本人たちは「安倍批判」のつもりで言っていることが、ある瞬間、逆にもっと強い、法に規定されていないような強い権力を稼働させる力になってしまう。

 そして実際に想定外の強い権力が発動されたとき、リベラルの側はそれをなまじ求めてきただけに引っ込みがつかなくなり、共犯関係でのみ込まれていく。これがまさに「全体主義が稼働する時」だと思うんです。

 よく似た時代がありました。1938年。日中戦争の翌年、国家総動員法が成立した年です。当時の近衛文麿内閣や、政党の利害関係に終始する保守政党に対し、国民が苛立ち始める。その中で「政府は生ぬるい。いまは一致団結するとき」と批判し、国家総動員法を望む急先鋒になったのが、意外にも無産政党が集結してできた社会大衆党(のちの社会党)でした。ブレーキはかかることなく、40年の大政翼賛会へとなだれ込んでいくことになる。同じことが、これから起こり得るのではないか。そんな不安が私にはあります。

 局所だけではなく全体を見るために、歴史や哲学を学ぶことで時間のスパンをもう少し長くみる視座が、こういうときこそ必要です。「1938年の教訓」も、よくよく踏まえておくべきだと思います。

(構成/編集部・小長光哲郎)

※AERA 2020年5月4日-11日号