作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長に就いた橋本聖子氏について。過去のセクハラ事件を断罪する風潮があるが、男社会で生きる女性の置かれてきた状況を考えると複雑な気持ちになるという。


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 橋本聖子氏は、“政治家たるもの産むべからず”という永田町の暗黙の了解を破った人である。

 現役の国会議員として初めて出産した女性は、1950年の園田(旧姓松谷)天光光さんだった。交際発覚時、相手が妻子ある国会議員だったこともあり、女性の天光光氏への風当たりは相当激しかったという。出産後たった8日で国会に戻るなど驚異的な努力を見せたが、結果的に天光光氏は出産によって政治生命を絶たれてしまった。それ以降、現役の国会議員は誰も産めなくなった。

 橋本氏はそんな永田町の不文律を50年ぶりに破った。橋本氏が2000年に妊娠を発表した際には、当時81歳の天光光氏が自民党本部の懇談会に出席し「国会のなかに託児所をつくる必要がある」などと発言している。当時は野田聖子議員等が中心となって、国会議員の産休に関する規則改正を推し進めた。

 やっぱり、数は大切。女性が増えれば変わらざるを得ない現実が生まれるのだ。

 それにしても当の橋本氏は、“そういうこと”をどのくらい意識していたのだろう。

 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の新会長に就いた橋本氏の過去のセクハラが連日報道されている。高橋大輔選手へキスを強要したり、安倍晋三首相(当時)と浅田真央選手を無理やりハグさせたりしたなどとして、過去の振る舞いに注目が集まり、批判の声が高まっている。過去の動画や記事を見たが、高橋選手へのキスも、浅田選手へのハグ強要も、軽いおふざけの高笑いの空気のなかで行われているのがわかる。“セクハラはコミュニケーション”という空気が、橋本氏が育ってきたスポーツ界にはあったのだろう。

 橋本氏は出産した翌朝、実父から「本会議に出なさい」と怒られたという(2000年9月7日付朝日新聞夕刊スポーツ面「その後の五輪の女たち」)。本人は、出産翌日出勤の例をつくってはいけないと、1週間後に登院した。参院の産休制度(出産が理由の欠席)はつくられたが、何日取るかは本人に任せられている。長く取れば取るほど、肩身の狭い思いをする内容だった。1週間後など、フツーは動けない体のはずだが……かなりのプレッシャーのなかで、橋本氏は「出産する女」としてわきまえて仕事をしてきたのだろう。子ども産むのも、軽い骨折するのも同じくらいですよ〜な、軽さで振る舞うことで「男並み」に仕事をしてきた。

 橋本氏の過去のセクハラ事件を複雑な気持ちで見ている。もちろんあってはいけないことと思う。けしからん! 同意を何だと思ってるんだ! セクハラに男女は関係ない! と正論を言うことは簡単だ。でも、笑い声がうずまくなかでキスやハグを強要する橋本氏をみて、古傷が痛む……というような思いを味わう女性は、実は少なくないのではないか。それこそ「男並み」を求められる男性社会で生きている女性にとっては。

 過激に下ネタを何でもない調子で言ったり、自ら性的に自虐したり、AVも男性と同じように楽しんでいると吹聴したり、性的からかいやエロをサブカルのように楽しもうと積極的な姿勢を見せることで、男性社会で「男並み」であろうと振る舞おうとしている女性たちは決して少なくない。「男のエロ文化」にフェミのようにいらつきを見せず、理解と共感を表明し、むしろ共に楽しんでいるという振る舞いをすることで得られるポジション。「性的お遊び/性的からかい」を批判しないどころか、一緒にからかう側に立つ女。そういう場所にあることで、守られることもある。

 大手企業に勤める知人(女性)が、接待でキャバクラや風俗に行くことがあると言っていた。キャバクラでは隅のほうに座り、ソープランドでは受付で終わるのを待つのだと自虐気味に話していた。それができてこそ、女だけれど一人前の営業マン! になれるのだというような地獄は、決して100年前の話じゃない。

 性差別者の後任が、日本のセクハラ問題や性差別、女の生きがたさの複雑さを表象する50代女性。橋本聖子氏の顔を見ると目を背けたくなるような、悲しみに胸がいたい。

■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表