あなたはいくつ知ってる? 高校野球トリビア14選

あなたはいくつ知ってる? 高校野球トリビア14選

 99回を迎える選手権大会は、数々のエピソードを刻んできた。激闘、感動を呼ぶ名場面、はたまた珍記録。みなさんはどれだけご存じ?えりすぐりの14選を紹介する。



<ルール編>
Q:甲子園では選手は何人までベンチ入りできるの?
A:1校18人以内がベンチ入り(登録)できる。草創期は無制限だった。制限が設けられたのは第14回大会(1928年)で、14人以内だった。第60回記念大会(78年)から1人増えて15人に。第76回大会(94年)から16人となり、現在の18人は第85回大会(2003年)から。ちなみに地方大会は、各大会運営委員会が協議して、ある程度の増員ができるが、20人以内を採用する大会が多い。

Q:木製バットは使ってもいい?
A:高校野球の代名詞ともいえる金属バットだが、実は使用は任意であり、木製バットで打席に立っても構わない。金属バットの採用は第56回大会(1974年)から。その理由は、木製バットは折れたり、ひび割れたりするなど消耗が激しく、部費が少ない野球部のハンディを補うため、丈夫で長持ちする金属バットが採用された。ただし、金属バットをツートンカラーに着色するのはNG。

Q:2種類のユニホームを使い分けてもいいの?
A:使用するユニホームは1大会1種類。地方大会で優勝し、全国大会用にデザインを新調するのはOK。ツートンカラーはNGだが、生地の色の規制は特になく、戦前は真っ黒のユニホームのチームが全国大会に出場したこともある。

Q:延長戦の制限は何回まで?
A:第82回大会(2000年)から15回となり、決着がつかなければ再試合となる。規定ができたのは第40回大会(1958年)で、18回となった。きっかけとなったのがタレントの板東英二。当時、徳島商のエースだった板東が同年春の四国大会で高知商に16回、翌日の高松商(香川)に25回を投げ抜いたことが問題視された。板東は第40回大会に出場し、準々決勝の魚津(富山)戦で18回引き分け再試合となり、規定の適用第1号になった。

Q:女子選手は出場できないの?
A:その学校に在学する男子生徒のみが出場できる。また、男子部員についても規定があり、その学校の「当該都道府県高等学校野球連盟に登録されている部員のうち、学校長が身体、学業及び人物について選手として適当と認めたもの」とされている。

Q:伝令って無制限で送れるの?
A:緊迫した場面にベンチからマウンドに伝令を送るのは高校野球ならではのシーン。この伝令には制限がある。守備側の伝令は、マウンドに行ける回数が1試合に3回まで。延長に入った場合は、それ以前の回数に関係なく1イニングにつき1回可能だ。また、攻撃側が打者や走者に伝令を送るケースもある。この場合も1試合につき3回を限度としている。

Q:優勝チームから転校し、もう一度優勝できる可能性は?
A:可能だが、「転入学生は、転入学した日より満1カ年を経過したもの」が出場可とされており、転校して1年間は公式戦に出場できないリスクがある。ただし例外も認められている。学区制の変更や学校の統廃合、一家転住などのやむを得ない事情で転校し、高野連から承認を得られた者、前の学校で野球部でなかった者は、転校した日から参加資格が認められる。こうした規制が決められる以前には、別の学校で2年続けて全国優勝を経験した選手がいる。第6回大会(1920年)に優勝した関西学院(兵庫)の9番右翼手の堀竜三は、翌年、和歌山中に転校。5番左翼手として再び全国大会に出場し、同校の初優勝に貢献。こんな幸運な選手はもう現れないかも

Q:両耳ヘルメットはいつから義務化されたの?
A:第77回大会(1995年)から義務化されている。打者の安全を考慮してヘルメットが義務化されたのは第42回大会(60年)。当時は耳当てが付いておらず、帽子の形をした奇妙なヘルメットも存在した。第54回大会(72年)になると片耳ヘルメットが義務化され、打者によって右打者用と左打者用を使い分けていた。

Q:入場行進のプラカードを持っているのは誰?
A:兵庫県の市立西宮高校の女子生徒。プラカード嬢による先導が始まったのは第31回大会(1949年)から。以降、同校の生徒から選ばれるのが慣例となっている。過去には、祖母、母、娘の3代にわたって参加した生徒もいる。ちなみに選抜大会は、2007年までボーイスカウトの高校生が先導役を務め、08年以降は各出場校の生徒が務めている。

<記録編>
Q:4アウトでチェンジという珍事が起きた試合は?
A:第64回大会(1982年)の益田(島根)と帯広農(北北海道)の試合。9回、益田の攻撃で2死後、二飛で3アウトチェンジ……となるはずが、次打者が打席に入ってしまう。そして投手も投げてしまった。結果は三塁ゴロでアウトとなったが、審判員が異変に気づいて4アウト目の記録は抹消された。2死の時点でスコアボードにアウトのランプが一つしか点灯していなかったのが原因だったとか。

Q:大会の通算奪三振記録保持者はタレントの板東英二?
A:選抜は怪物・江川卓(栃木・作新学院)の60個(1973年に記録)。夏は板東英二(徳島商)の83個(58年に記録)。当時の板東は快速球を投げる剛腕投手として鳴らし、大会の注目株。準々決勝の引き分け再試合を含め、決勝まで投げ切り、半世紀以上破られない大記録を作った。ちなみに板東に次ぐのが早稲田実(西東京)・斎藤佑樹の78個(2006年に記録)、3位は桐光学園(神奈川)・松井裕樹の68個(12年に記録)。

Q:台湾の高校が初出場で準優勝したってホントなの?
A:戦前は日本が統治していた台湾、朝鮮、旧満州などの学校が全国大会に参加していた。第17回大会(1931年)に初出場した台湾代表の嘉義農林は快進撃し、決勝で中京商(愛知・現中京大中京)に惜敗するも、初出場で準優勝という快挙を達成。このほか第12回大会(26年)で大連商(現中国)が準優勝している。

Q:甲子園の準決勝、決勝と2試合連続でノーヒットノーランを達成した投手は誰?
A:第25回大会(1939年)で優勝した海草中(和歌山・現向陽)の嶋清一は、豪速球を武器に全5試合を完封。しかも準決勝、決勝では2試合連続のノーヒットノーランという偉業を達成した。その後、明治大に進学した嶋は、学徒動員で出陣して帰らぬ人に。伝説の大投手として球史に語り継がれている。

Q:大会史上唯一、延長でノーヒットノーランを達成したのは王貞治?
A:早稲田実(東京)の王貞治は、2年生エースとして第39回大会(1957年)に出場。2回戦の寝屋川(大阪)戦では、投手戦を展開して両軍無得点のまま延長戦に入る。11回表に早稲田実が1点勝ち越し、その裏を王が抑えて史上唯一の延長戦ノーヒットノーランが実現した。(構成/内山賢一)

※週刊朝日増刊「甲子園2017」より

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