千葉ロッテで主にセットアッパーとして投げていたジェイ・ジャクソン投手が大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕されてしまった。広島時代からジャクソンスマイルと呼ばれた印象的な笑顔で人気もあった選手で、退団申し入れの直後には「残念」「短い間だったがありがとう」といった声もファンからあがっていただけに、まさかの展開に驚いた方も多かったことと思われる。



 一方でメジャーリーグ時代にはいわゆる「悪童」として知られながら、日本では意外にも“品行方正”でファンに愛された助っ人となった選手も過去にはいた。真っ先に思い浮かぶのは、やはりナイジャー・モーガンだろう。

 モーガンはもともと「氷上の格闘技」とも呼ばれるアイスホッケーのプロ選手になることを夢見ていた。野球選手としてもプレーしていたが、1998年のドラフトでは42巡でロッキーズから指名されても契約は結ばなかったほど。ただし残念ながらNHL入りはならず、20歳以降は野球に専念。2002年のドラフト33巡でパイレーツから指名されてプロ野球選手となった経緯を持つ。

 そんなモーガンが悪名を不動のものとしたのは、ナショナルズに在籍していた2010年のこと。観客からのヤジに怒ってスタンドにボールを投げ入れてファンにケガさせたり、ホームイン時に故意に捕手に激突して相手を負傷させたこともあった。

 そのほかにもメジャーでは不文律とされる大量リード時の二盗、三盗を行い、次の打席で当然のように投げられた危険球に激高して大乱闘を起こした。監督と口論になったこともあるなど、とにかく問題児ぶりは半端なかった。

 持て余したナショナルズは翌11年の開幕直前にモーガンをブルワーズへトレード。さらに次の年の12年にモーガンはメジャー移籍を果たした青木宣親とのレギュラー争いに敗れ、13年からはDeNAでプレーすることになる。

 上記のような素行面の不安はもちろん球団も承知していただろうが、モーガンにはあふれる闘争心と常に全力プレーという美点もあった。プロ野球がエンターテインメントであることを大事にし、試合では「トニー・プラッシュ」という別人格でプレーしていると公言。腕を組んで「T(もちろんトニーのT)」の字を作る十八番のポーズや、ヒーローインタビューでの「ABAYO!」の締めなどはファンに支持されていた。

 残念ながら日本でのプレーは1シーズンのみだったが、引退後の2019年には「交流戦SERIES 2019 3番勝負」と銘打たれた企画をDeNAが実施。共にヒーローインタビューを受けたことのある元チームメイトの長田秀一郎や、同じ「あばよ!」が決め台詞のエンターテイナー、柳沢慎吾らと横浜スタジアムを大いに盛り上げた。

 モーガンと同時期にヤクルトでプレーしていたラスティングス・ミレッジも、来日前は数々の奇行で知られた要注意人物だった。2003年のドラフト1巡(全体12位)でメッツから指名されたように、当時は走攻守のそろったファイブツール・プレーヤーになり得るトッププロスペクトとして期待されていた。

 しかしマイナー時代には友人の歌手と共に放送禁止用語満載のCDを発表して問題になった。2006年にメジャー初アーチを放った際は、守備に就く際にファンとハイタッチをかわしたことで首脳陣から注意を受けたこともある。

 2008年からはナショナルズでプレーし、2009年のシーズン途中にはパイレーツへトレード。この時の交換相手の一人が、なんとモーガンだった。

 ヤクルトでプレーしたのは2012年から。この時に背番号85を希望したのが奇行といえば奇行か。日本のプロ野球では80番台は基本的にコーチがつける背番号だからだ。当時も85番は飯田哲也コーチがつけていたが、ミレッジは飯田コーチから背番号85を譲り受けている。

 とはいえ、その後は問題児っぽい行動はほとんどなかった。ストライクの判定で審判に抗議して退場処分を受けたことはあったが、のちにミレッジは日本でのストライクゾーンの広さに適応するのが難しかったと振り返っている。メジャーで染みついた感覚とのズレから思わず異議を唱えてしまったのかもしれない。

 彼らのようなヤンチャ系と思いきやハッスルプレーヤーだったり、野球に対しては真摯な選手はファンからの人気も高く、記憶に残る選手となりやすい。だがジャクソンの不祥事によって今後の外国人選手の獲得には各球団も徹底した人物調査を行うことになるだろう。となると、来日前からマイナスの評判がある選手はなかなか獲得しにくくなる。モーガンやミレッジのようなタイプの「愛され助っ人」の登場はしばらくお預けになりそうだ。(文・杉山貴宏)