昨年の巨人のドラフト1位右腕・堀田賢慎が、入団直後の合同新人自主トレ中に右肘の痛みを訴え、4月にトミー・ジョン手術。デビューは来季以降に持ち越された。高卒ルーキーが入団早々トミー・ジョン手術を受けるのは、よくよくのことで、ファンから「スカウトは何をやっていたのか?」の批判も出た。



 だが、過去にもせっかく獲得した“金の卵”が、ドラフト後の故障発覚や入団直後のケガに泣いた例はいくつかある。

 ドラフト前から不安視されていた故障が、プロ入り後に大きく影響したのが、1996年のヤクルトのドラ1左腕・伊藤彰だ。

 山梨学院大付のエース・伊藤は、2年連続の夏の甲子園出場がかかった県大会で、準々決勝から決勝まで3日連続で完投。準々決勝の峡南高戦では、1失点ながら無安打12奪三振、決勝の市川高戦も4安打13奪三振完封と、3日間で計361球を投げ抜いた。

 だが、これまで経験がなかった3連投の代償は大きく、左肩を痛めてしまう。甲子園入り後は投球練習をせず、痛みを取ることに専念。初戦の熊本工戦も先発を回避し、同点の4回からリリーフしたが、捕手も「肩が痛いとすぐわかった」と言うほど状態が悪く、5回に崩れ、4対12と大敗した。

 当然、プロ側は故障を不安視した。「軽症でプロ入りには問題ない」という話だったが、不安を拭いきれない近鉄は、メディカルチェックを要望し、断られたことから、獲得を断念している。

 そんななか、本人が希望する在京セのヤクルトが1位指名。12月16日の入団会見では、「いい体しとるな。“黄金の左腕”は大丈夫か?」という野村克也監督のユーモラスな問いかけに、「はい、もう大丈夫です」とキッパリ答えた伊藤だったが、プロ入り後、不安は現実のものになる。

 調布リトル・シニアの大先輩・荒木大輔の背番号11を貰い、登録名「アキラ」で1軍デビューを目指したが、左肩が重症であることが判明し、1年目オフにアメリカで手術。00年には右足首も手術するなど、4年間ケガとの闘いに明け暮れ、一度も1軍登板のないまま、現役引退となった。

 今年のドラフトでも、巨人は6月に右肘のトミー・ジョン手術を受けた東海大の最速153キロ右腕・山崎伊織を「故障が完治すれば二桁勝利できる」という理由で2位指名。01年のヤクルトのドラ1・石川雅規も左肘故障で半年間投げていなかったにもかかわらず、プロ入り後、エースに成長したが、山崎は復帰までに1年以上かかるといわれ、リスクと隣り合わせの指名の成否が気になるところだ。

 将来のエースと期待されながら、1年目のキャンプでの故障がその後の野球人生を狂わせたのが、00年のダイエー1位・山村路直だ。

 九州共立大時代は最速153キロの速球を武器に、98年の全日本大学野球選手権で大体大時代の上原浩治と球史に残る投手戦を繰り広げ、翌99年の明治神宮大会で大学日本一になった。

 入団発表の席では、「『今日は山村(の登板日)だから大丈夫』と言われるようになりたいです」と堂々のエース宣言。当時伊良部秀輝が持っていた158キロの日本最速記録についても、「体格的に似てるし、超えてみたいというのはあります」と意欲満々だった。

 ところが、翌01年の春季キャンプ中、ブルペンで投球中に、突然「右肘から先が吹っ飛んでなくなった」感覚に襲われた。当初「原因不明」とされた故障は1年後、肋骨が神経を圧迫している疑いがあることが判明し、04年までに4度にわたって手術を受けた。

 そんな苦難の日々を乗り越え、05年8月7日の楽天戦で1軍初登板。07年3月29日の楽天戦で待望のプロ初勝利を挙げ、「あきらめずにやってきて良かった」と歓喜の涙を流した。

 だが、現実は厳しく、通算わずか2勝で08年オフに戦力外通告。その後も米ウインターリーグやメキシカンリーグでプレーを続けたが、今度は右肩を痛め、09年に引退した。

 入団時の期待が大きければ大きいほど、知らず知らずのうちにオーバーペースになり、思わぬ落とし穴が待ち構えているのも、プロの怖さである。

 最後に番外編。ドラフト指名直後に大ケガをして、入団会見にギプス姿で現れたのが、95年のヤクルト1位・三木肇だ。

 この年、福留孝介(PL学園)の抽選に敗れたヤクルトは、外れ1位の沢井良輔(銚子商)の抽選でもロッテに敗れ、外れ外れ1位で上宮高の走攻守揃った大型内野手・三木を指名した。

「信じられない。この僕が1位なんて……」と驚いた三木だったが、「外れ外れを1個ずつはがし、最後に本物の1位と言われるよう頑張りたい」と宣言した。

 ところが、1位指名に張り切り過ぎたのか、ドラフトから8日後の11月30日夜、下半身を鍛えるため、石段でダッシュを繰り返しているときに、滑って転倒。左手首を骨折してしまった。その後、全治3カ月の重傷と判明し、整復固定手術を受けた。

 このため、12月15日の入団発表にはギプス姿で出席する羽目になり、野村監督から「前代未聞や!」とツッコミを入れられた。

 過去にも、88年の近鉄1位・米崎薫臣はソウル五輪で右手を骨折し、三木同様、ギプス姿で入団発表に出席。90年のオリックス1位・佐藤和弘も、右足ねん挫で、ドラフト当日は松葉杖姿だったから、けっして前代未聞ではないが、これらの“負傷組”の中で、後に監督にまで出世したのは、あとにも先にも三木一人だ。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。