新選組の名を轟かせた「池田屋事件」 潜伏浪士捜査の背景

新選組の名を轟かせた「池田屋事件」 潜伏浪士捜査の背景

 週刊朝日ムック『歴史道Vol.6』では、幕末を大特集。剣と誠を貫き、滅びゆく幕府に殉じた新選組。時には「壬生浪(みぶろう)」と蔑まれながらも、恐れられたその実力とはいかなるものだったのか。前回紹介した「新鮮組の剣と必勝戦術」が天下にその名を轟かせた、池田屋事件を解き明かす!



*  *  *
■池田屋事件前、新選組の解散をも憂慮していた近藤

 文久三年(1863)八月十八日、長州藩は突如、それまで任じられていた御所の警備の任務を解かれた。さらに支柱としていた親長州系の公家らの参内も停止された。反幕府系の彼らと対立していた会津、薩摩らの公武合体勢力が起こした政変である。ほどなく長州系の公家らは京都を追われ、不穏と目される長州系の活動家たちも京都を離れていった。
 
 だが、その後設立した、公武合体派の諸侯が重要施策の指針を合議する参与会議が、成果を得ぬまま解散してしまった。将軍徳川家茂は元治元年(1864)一月に2年続けて上洛したが、国を挙げた攘夷への道筋すら見出せていない。
 
 その頃、京都を追われていた反幕府勢力が、回帰、潜伏し始めていることが公然と不安視されるようになっていた。

 四月二十四日、町奉行所は町触(まちぶれ)を発し、夜間の木戸門の戸締まりと、不審者への注意の徹底を呼びかけた。町触には、もし、不審者が乱暴し、手に余るようなら殺害も認可するとまで示されている。

 治安勢力は確かに策動し始めていた。四月下旬のこととある。河原町付近で起きた火災のおり、新選組は不穏な動きをした、長州藩邸の門番を自称する男を捕縛、尋問の結果、250名の長州勢が京都に潜入しているとの情報を得たと『島田魁日記』は伝えている。人数情報は相当に過大と思われるが、新選組はこの証言に反応、ただちに、島田、山崎丞、川島勝司らの隊士が確実な情報を求めて、市中に潜っていったという。

 だがこの頃、局長近藤勇は憂慮を抱えていた。家茂の再東帰から4日後の五月二十日、近藤は、将軍帰還後も混沌とした政局が続くならば、新選組の解散をも許可してほしいとの上書を、幕閣に提出していた。新選組そのものが、成果もなく歴史の波間に沈んでしまう危機をも内包していた時期にあたった。
 
 さらに六月一日頃、新選組は鴨川東岸で中間風の不審者2名を捕縛、彼らの口から不審者の情報などを得たとする同時代の風聞情報が『時勢叢談』(じせいそうだん)に伝えられている。島田や山崎らの探索に加え、こうした予期せぬ入手情報も、新選組には役立ったことだろう。
 ほどなく一人の人物にたどり着く。四条寺町で薪炭商を営む桝屋喜右衛門という男だった。その実体は近江出身の反幕府活動家の古(ふる)高俊太郎で、商人を装い、潜伏中の反幕府勢力にさまざまなサポートを行なっていた人物だった。
 
 桝屋の一軒隣には具足店があった。この店を営んでいたのは播磨林田出身の活動家大高又次郎で、古高ともども、潜伏者たちの便宜を図っていた人物である。


 六月五日早朝、新選組から、組頭の武田観柳斎が率いる数名の隊士が桝屋に出張、喜右衛門こと古高俊太郎の身柄を拘束し、壬生屯所へ連行した。あわせて桝屋店内の捜索も行なわれた。

 古高連行の報に長州系の活動家たちは騒然となった。在京中だった肥後の宮部鼎蔵や長州の吉田稔麿らリーダー格の者たちは、危機回避を優先させる。

 宮部と吉田は、壬生屯所へ討入り、古高脱還をと叫ぶ者たちを長州藩邸に集めて説得し、ひとまず動揺を鎮めた。

 古高がこの時点でどこまで自白したのかは判然としない。ただ、桝屋内の捜索で、火薬などが発見され、さらに前年末に認めた活動家らの血盟状なども押収された。2日後の七日は、祇園祭本祭で山鉾巡幸が実施される。こうした時期に、漠然とした危機が提示されたのである。

 市中が混雑する中で、一人でも多くの不審者を捕らえ、不穏な出来事を阻止すべく、新選組は京都守護職に、治安勢力による至急の出動開始を要請した。

 ここまで新選組解散を視野に入れていた近藤勇にとっても緊急の状況となった。当時、新選組の全隊士は約40名だった。

 山崎丞ら少数を、古高脱還に備えて屯所警衛に残したとみられ、総勢34名で、出動待機場所の祇園町会所に集結した。
 
 おいおい、治安勢力も出動体制を整える中、新選組は少ない隊士を機動的に動かすため、近藤勇と土方歳三の指揮する二分隊を編成した。四条通りを起点に近藤隊は鴨川西岸、土方隊は同東岸を北上しながら、潜伏浪士の捜索を行ない、二条通りから南下する会津兵と、三条通りで合流するという順路も決められた。
 
 その頃、吉田稔麿は常宿の四条小橋の池田屋を訪れ、急遽書面を認したため、同志らを呼んでいる。まだ池田屋では何も始まっていない。皮肉にも新選組の捜索開始後、会合は整えられていったのだった。

(文/伊東成郎)

※週刊朝日ムック『歴史道Vol.6』より


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