金正恩氏の実妹、金与正氏が存在感を強めている。韓国を責め立てる陣頭指揮を執り、苛烈な発言でも注目されているが、一体どんな人物なのか。AERA 2020年7月6日号では、その人物像に迫った。



*  *  *
 北朝鮮が16日、開城(ケソン)にある南北共同連絡事務所を爆破した。北朝鮮軍は南北軍事境界線近くでの軍事演習の実施などを予告した。韓国を激しく責め立てる陣頭指揮に立つのが、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の実妹、金与正(キムヨジョン)党第1副部長だ。脱北者を「家の中の汚物」「くず」とこきおろした。金与正氏とはどういう人物なのか。金与正氏が苛烈な言葉を使って前面に立つ背景には何があるのだろうか。

 韓国統一省の「2020年版北韓主要人物情報」によれば、与正氏は1988年生まれ。正恩氏と同じく金正日(キムジョンイル)総書記と在日朝鮮人だった高英姫(コヨンヒ)氏との間に誕生。2014年に公式な活動を始めるまでは、金日成(キムイルソン)総合大学を卒業したという程度の情報しかない。

 18年2月、平昌冬季五輪開会式に出席するため、初めて訪韓した。当時、与正氏と面会した韓国政府関係者らが受けた印象は「頭の回転が速くて、礼儀正しい。その一方、自分がロイヤルファミリーの一員であることを十分意識した、強い性格の持ち主」というものだった。

 金与正氏はテレビカメラがあってもなくても、形式的な団長だった金永南(キムヨンナム)最高人民会議常任委員長(当時)を立てていた。訪れた韓国大統領府の廊下で、金永南氏が「お先にどうぞ」と先頭に立つよう促しても、金与正氏は笑顔で受け流していたという。与正氏は、ボディーガードや随行員にも優しい言葉をかける姿が目撃されている。

 五輪開会式では、文在寅(ムンジェイン)大統領夫妻と笑顔であいさつを交わす一方、同席したペンス米副大統領や安倍晋三首相には視線すら向けず、一切無視。韓国大統領府で文在寅大統領と会談した際は、金正恩氏の親書をさりげなくテーブルの上に置き、誰が事実上の団長なのかを示した。与正氏は会談中、視線を手元に落とすことなく、前方を見据えていた。平壌と連絡を取り合う北朝鮮の元政府関係者らによれば、与正氏は怜悧(れいり)で政治に強い関心を持った人物だという。

 09年初め、金正日総書記は自身の後継者として金正恩氏を指名した。その際、与正氏は「自分も政治の世界に身を置きたい」と訴えたという。同席した金総書記の実妹、金敬姫(キムギョンヒ)氏は正恩氏の後継に難色を示すと同時に、封建社会の空気が色濃く残る北朝鮮社会で与正氏が政治に参加することに反対した。

 金総書記自身、「雌鳥が泣き叫ぶと家が没落する(女性が出しゃばるとうまくいかない)」という北朝鮮の古いことわざを好むなど、男尊女卑の考えが強かった。自分自身、父、金日成主席の後妻、金聖愛(キムソンエ)氏と政治闘争を繰り広げたこともあり、女性が政治に参加することに抵抗感を持っていたとされる。

 金総書記が11年末に死亡するまで、金与正氏が表舞台に出てくることはなかった。金与正氏が登場した背景には、肉親以外に頼れる人物がほとんどいない金正恩氏の事情がある。金日成主席は生前、金総書記と高英姫氏との結婚を認めず、正恩氏兄妹は金日成主席と面会したこともない。兄妹は金総書記の別荘で育ち、個人的な知人もほとんどいない。金与正氏は生来の積極的な性格もあり、孤独な金正恩氏を助けるために働いてきた。

 与正氏は当初、党宣伝扇動部の副部長に就任。金正恩氏が現地指導を行う際、できるだけ市民と触れ合うように努める「愛民政治」と呼ばれるスタイルの演出を指導した。

 あまりに熱心で、しばしば党内から「他の部署の仕事にまで口出しする」との陰口もきかれたという。18年9月、文大統領の訪朝時、平壌での歓迎式典の演出を取り仕切った際、誤ってレッドカーペットを踏んだ正恩氏の側近、金英哲(キムヨンチョル)党副委員長を排除したこともある。金英哲氏が今、韓国を責め立てる金与正氏を助けているという。金英哲氏は軍出身で、板門店(パンムンジョム)での南北軍事協議の際に韓国側を厳しい言葉で攻撃し、「毒蛇」という異名で恐れられた。10年3月の韓国哨戒艦沈没事件なども企画立案したとされる。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)

※AERA 2020年7月6日号より抜粋