「砂の器」伝説の名子役、春田和秀さん 43年を経て語る子役という“宿命”(1)

「砂の器」伝説の名子役、春田和秀さん 43年を経て語る子役という“宿命”(1)

 数多くある松本清張原作の映像化作品で、最高傑作のひとつと言われているのが、橋本忍と山田洋次が共同脚本を手がけ、名匠・野村芳太郎監督がメガホンをとった松竹映画「砂の器」(1974)だ。その後も、4本のテレビドラマが作られるなど清張人気を決定づけた。そんな中、表舞台から静かに姿を消した名子役がいる。加藤剛扮する天才音楽家の少年時代を演じた春田和秀さんだ。15歳の時に俳優業を引退し、子役時代の栄光を封印してきた春田さんが長い沈黙を破り、映画.comのインタビューに応えた。(全3回)

 春田さんは1966年、名古屋生まれ。親戚の子どもが所属していた関係で、「劇団こまどり」に所属。3歳の頃から、地元で子役として活動。その活躍ぶりに併せて、両親が上京し、テレビ各局のドラマに出演するなど多忙な日を送るようになった。

 春田和秀(以下、春田):記憶にはないのですが、3歳くらいの時からお仕事をさせていただき、16歳くらいまで続けました。記憶に残っているのは4、5歳の頃で、NHKさん、TBSさんのドラマに出演させていただきました。何をやったのかは全然覚えていないんですよ。楽しくやらせてもらったんですが、数が多くて、飛び飛び。ほかにも、コマーシャル、ラジオ番組、ラジオ番組のコマーシャルとか……。それぞれがどんな中身なのかまではよく分からなかったんです。

 「砂の器」は、迷宮入り寸前の蒲田操車場殺人事件を捜査する2人の刑事(丹波哲郎、森田健作)が、「東北弁のカメダ」という言葉を手がかりに全国を奔走する中、栄光の階段を上りつめる天才音楽家(加藤剛)の隠された宿命を探り当てるというストーリー。映画は74年10月に公開され、その年の邦画配収第3位となる7億円の大ヒットとなった。

 その人気は、公開から43年経った今でも根強い。8月12、13日に東京・渋谷のBunkamura オーチャードホールで開催される映画「砂の器」シネマコンサートは、両日とも通常席(9800円)が完売。一部映像が見えにくい「コンサートシート」(7800円)を緊急発売するほどだ。これは映画のセリフや効果音はそのままに、音楽部分のみをフルオーケストラが生演奏をするライブ・エンタテインメント。クライマックスで演奏される組曲「宿命」をはじめ数々の名スコアが当時の演奏と同じ東京交響楽団が生演奏することが話題となった。

 春田:「砂の器」の撮影があったのは小学1〜2年の頃でした。オーディションはなかったです。テレビ局に行っている時に、「『砂の器』をやるんだって」と言われたのは覚えています。ロケは長くて、6カ月くらい。(少年の生まれ故郷である)島根県亀嵩とか、長野県あんずの里。北海道にも行きました。いろんな風景も浮かんできます。青森県竜飛岬は、一番寒かったので、よく覚えています。

 春田さんは劇中、父親(加藤嘉)と遍路の旅に出る音楽家の少年時代を演じた。セリフはないが鋭い目が印象的で、一度見た人なら、忘れることはないだろう。

 春田:自分では分からないんですけども、みなさんから言っていただくことはありました。40年くらい経った今、自分の中で再認識していくところはありますね。同時に、すごい仕事をさせていただいたんだな、と。感謝ですよね。

−−内容はどのように理解していたんでしょうか?

 春田:台本は頂くわけですけども、子どもですから自分からは読むことはなくて、周りの大人から状況を聞くといった感じでした。「今度は長野に行くよ」と言われれば、どんなところだろうと楽しみにしていました。現場では(お遍路さんの)衣装を着るわけだけども、周りの人は普通の格好をしている。そういう中で、撮影の合間に打ち解けて、友達になったり、「また来るべ」と言ったり……。もちろん、来ることはないんですけども。

−−加藤嘉さんとのエピソードを教えていただけますか。

 春田:加藤嘉さんには、つまずいた時、何度も助けられました。演技が良ければ、お褒めの言葉を頂きました。竜飛岬でのロケでは、僕がカイロ代わりになって温めたこともありました。子どもながらに、加藤さんの演技の迫力には圧倒されました。(親子を追い出す亀嵩の巡査役の)浜村純さんから突き落とされるシーンは最初、うまくいかなかったんです。自分なりに、話や背景の流れが分かっているところもあって、うまく演じなきゃ、と思っていました。

−−撮影が6カ月。この間、学校へは?

 春田:実は撮影中、ドラマやコマーシャルもかけもちでした。田宮二郎さん、松坂慶子さんが出ていた「白い地平線」(74)や「わが子は他人」(74)も。この頃は本当に駆け巡っていて、学校に行く時間はありませんでした。1年に3、4日くらいしか行っていない。今じゃ、許されないですよね。それが3、4年続いたんです。

 春田さんはどうして学校にも行かず、進級することができたのか? また、なぜ、俳優を辞めることになったのか? それは学校にも一因があった……。第2回に続く。(取材・文/平辻哲也)

 春田和秀(はるた・かずひで) 1966年5月14日、名古屋市生まれ。3歳の頃から子役として活躍。映画「砂の器」(74)での役が鮮烈な印象を残す。ドラマは、木下恵介アワーの最終作「わが子は他人」(74)、田宮二郎主演の「白い地平線」(74)、林寛子主演の「がんばれ!レッドビッキーズ」(78)、ポーラテレビ小説「こおろぎ橋」(78)。映画では、主人公のゲン役を演じた「はだしのゲン 涙の爆発」(77)など。15歳の時に引退し、現在、自動車関係の会社を経営している。8月25日発売の「『昭和』の子役 ― もうひとつの日本映画史』(樋口尚文 編・著、国書刊行会)ではロングインタビューが掲載される。

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