【長崎原爆の日】平和と鎮魂の祈り共に(8月9日)

 長崎市はきょう、戦後72回目の原爆の日を迎える。同市の平和公園で原爆投下時刻に合わせて「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が挙行される。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を経て本県と長崎市は、広島市と同様、より強い絆と縁で結ばれるようになった。長崎市民が歩んできた戦後の苦難の歴史に思いを至らせ、共に平和と鎮魂への祈りをささげる日としたい。 1945(昭和20)年8月9日午前11時2分に投下された原子爆弾は、広島型の約1・5倍の威力があったとされる。山で囲まれた地形のため広島より被害が軽減されたというが、それでも当時の人口の3分の1に当たる約7万4000人が犠牲になった。その一人一人には大切な日常の生活があったはずだ。全ては一瞬で消し飛んだ。 市民は原爆の後遺症にも苦しむことになる。6日後の終戦を経て進駐してきた連合国軍は、原爆の被害実態についての情報が広がらないようにしたという。放射線が人体に及ぼす影響を医師らが調査した資料は全て米国に提出させた。国民は放射線が及ぼす影響について正確な情報を知らせられないまま戦後を過ごす。その結果、長崎、広島市民らは結婚や出産などで根拠のない風評にさらされた。 西洋近代医学の発祥の地として明治以来、国内医学界をけん引してきた旧制長崎医大も原爆で壊滅的な被害を受けた。学舎は倒壊し、医学生の約6割と学長をはじめ教職員合わせて約900人が犠牲となった。しかし戦後、長崎大医学部として復活をすると、先人の思いを引き継ぎ、被爆や放射線関連医療の中心的機関としての役割を担ってきた。 被爆研究を続けてきた長崎大医学部の存在は、原発事故において本県医療界の大きな力となる。事故の3日後には長崎大医学部のチームが福島医大を拠点に活動を始め、的確なアドバイスをもたらした。経験のない大規模原発事故と放射線の影響について混乱し始めていた医師らは落ち着きを取り戻し、県民医療に全力で取り組む。長崎市職員の派遣や民間の積極的な援助も続けられた。いわれなき風評に対する悲しみを誰よりも理解していた。 原爆投下による被爆を経験し、心から平和を願う長崎市民の思いを、原発事故を経験し、風評に苦しむ県民はより深く理解できるはずだ。郡山市長崎派遣団の中学生29人もきょうの平和祈念式典に出席する。県民を挙げて長崎市民と共に平和への祈りをささげよう。(関根英樹)

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