会津坂下町教委は町内の高寺山遺跡の調査で発見した土器の一部が奈良時代の品だったと十三日、発表した。会津地方で奈良時代の遺物が出土するのは極めて珍しいという。役人や僧侶ら位の高い人が用いたとされる須恵器の破片が含まれており、専門家は高僧徳一が磐梯町に慧日寺を開く前に、高寺山に山岳寺院が存在した可能性があるとみている。

 奈良時代の品と判明したのは、須恵器の坏(つき)や土師(はじ)器の甕(かめ)の破片など数点。町教委が二〇一八(平成三十)〜二〇一九年度に発掘した品を精査し、形状や製法から年代を特定した。これまで、平安時代の品とみていた。

 歴史考古学に詳しい村田晃一宮城県多賀城跡調査研究所上席主任研究員によると、須恵器は役人や僧侶ら位の高い人物が使うため、一般の集落からは出土しにくいという。一方、奈良時代の日本は律令制の下、政治と仏教が推し進められた時代に当たる。村田氏は出土物の特性や時代背景から「奈良時代の高寺山に、律令国家の影響が及んだ宗教的施設が存在したと考えられる」との認識を示した。

 会津地方では、高寺山から十数キロ離れた会津若松市河東町の郡山遺跡から奈良時代の物とみられる瓦や土器の破片が出土し、行政の中枢施設「会津郡役所」があったとみられている。町教委の吉田博行専門委員は「会津郡の成立と高寺山遺跡が関連している可能性もある」と述べた。

 高寺山遺跡ではこれまでの調査で、古密教の修法で用いられた「護摩壇」の遺構や仏具など、仏教が隆盛していたのを裏付ける品が数多く見つかっている。

 町教委は二〇二〇(令和二)年度、一連の調査結果を一般向けに紹介する企画展を開催する予定。四月の高寺山の山開きの際にも説明する。