6,434人が死亡、4万3,000人以上が負傷した阪神・淡路大震災から17日で丸25年。

膨大な負傷者に、医療現場は極限の状態で向き合った。

医師たちが語る、あの日の記憶と教訓。

兵庫・西宮市の住宅街にある笹生病院。

あの日、極限の状態で命と向き合っていた。

「吸入は無理ですよ。こんな状態なのに、できないんです」

「やっと来られたのに」

「トイレも水が流れない。することがないんですよ、器械も動かないから」

助けを求め、1,000人を超える患者が押し寄せた。

ただ、あの日の病院でできることは、限られていた。

笹生病院・大井利彦副院長「小さい子どもや赤ちゃんを連れてこられて、『いったい、いつまで心肺蘇生をするんですか』と聞かれた時に、なかなか答えられなかったですよね。(心肺蘇生を)やめてしまえば、亡くなったということになるから」

笹生病院・安田之彦副院長「全然無力ですよ。災害時の病院というのは、本当に何もできないんです。大阪の病院は(病室を)空けて待っていたけれど、全然来ないという病院もいっぱいあった。情報が回ってないんですよ」

大阪の病院が無事だとわかったのは、3日後だった。

無力だったあの日から25年。

災害が起きたときに派遣される特別な医療チームを育てる研修で、中山伸一医師(64)は、いつもこの話から始める。

兵庫県災害医療センター・中山伸一センター長「患者さんを出して、被災地の需要を減らそうというシステムもなかった。伝達・医療情報を共有するシステムがなかった」

あの日の反省と教訓から、新たなシステムが構築された。

全国のほとんどの病院が登録されていて、災害が起きたときに、どこの病院がどのような被害を受けているのか、そして、どこなら命を救えるのかが、すぐにわかるようになっている。

中山センター長「この25年間の中で、この国の災害時の医療は、それなりに進歩した。いつ何時、(災害が)あるかわからないと、わが事として考えないと、自分も考えてなかったために、それだけに後悔が残るので、われわれの反省も含めて、みんな考えないといけないかな。この災害列島に住む限りは」

阪神・淡路大震災では、およそ500人が、いわゆる「避けられた災害死」だったと言われている。

次に起こる災害で失われる命を減らすために、あの日を忘れないことが一番の教訓。

(関西テレビ)