2018年9月6日、北海道で初めてとなる震度7の地震が起きた。

震源から60キロ離れた札幌市清田区里塚地区では液状化現象により多くの住宅が傾き、地面が陥没したため、元の街並みが消えてしまった。

住民が去り、寂しさを増す住宅街で冬の間も家々は傾き続けていた。

里塚地区は札幌五輪のころに宅地造成された場所。責任はどこにあるのだろうか…。経済的な壁に直面し住民のいら立ちが募っていく。

一方、町内会は自らパトロールし、餅つき大会も開催。元の生活を願う住民の合言葉は、「がんばるべぇ さとづか」。

地震発生から7か月、今も家が傾き続ける里塚地区。北海道文化放送の川上椋輔アナウンサーが住民たちの復興への歩みを追った。

(2019年7月3日放送)

震度7を記録した大地震のその後

川上アナは宮城県で東日本大震災を経験している。そして、札幌でアナウンサーになって1年が経った2019年の春から、地震によって影響を受けた住民たちの取材を始めた。

2018年9月6日に発生した北海道胆振東部地震。

北海道で初めて震度7を観測したこの地震を川上アナは無我夢中で取材した。

大規模な土砂崩れなどで死者44人(2019年9月)の犠牲者を出した未曾有の災害。

何よりの驚きは、震源地から60キロも離れた札幌市清田区里塚地区で住民の生活を揺るがす異変が起きていたこと。なぜ、という思いに駆られ、現場に向かう。

地震の揺れは十数秒だった。しかし、里塚に暮らす人々が、自分たちが置かれた事態の深刻さに気づいたのは、揺れが収まった後だったという。

地震直後、里塚の住民はこう話していた。

「ちょっとおっかなかったのが、(揺れが)終わって外に出た時にあっちこっちでドンドンドンとたたく音や、バキバキバキっていう音がして。ドアが開かなくて、2、3軒先のお宅は窓ガラスを割って家から出たり。家の悲鳴じゃないですけど、バキバキみたいな音が、あっちこっちでして。妻と、なんの音だ?って。真っ暗だったので、ちょっと怖かったですね」

地震により北海道全域が停電し、不安な夜を過ごした住民が一夜明けて目にしたのは、液状化現象により傾いた家々。そして道路が一面大量の土砂に見舞われた、変わり果てた姿だった。

避難した住民たちは、「本当にもう怖かったですよ。ひとりっきりなので余計。震えてました。怖くて」、「これから避難しようと思って荷物をまとめてたんです。危ないのはわかっているんですけど、何とか荷物を車に運び出して」と話していた。

地面は住民が避難してもなお、動き続けていた。

我が家はこの先どうなってしまうのか。里塚の地下で何が起きているのか。

そもそも液状化現象とは何か?

地震による液状化現象で、141軒(札幌市調べ)の住宅が被害を受けた、札幌市清田区里塚地区の1条1丁目と2丁目。ここに暮らす約1000人のコミュニティの生活が一変した。

地震発生から1週間が経った9月13日に開かれた札幌市の説明会。

「本当に完璧に安心できるのはいつなのか」、「これから冬に向かうんです。屋根に雪が積もります。そういうことを考えていますか。そのへん何も考えていないでしょ、あなたたちは」などといった、住民たちのやり場のない思いがぶつけられ、4時間にわたり紛糾した。

住民の苦難への道の始まりだった。そして、多くの住民が“なぜ自分たちの町だけ液状化の被害を受けたのか”という疑問を口にした。

そもそも里塚地区を襲った液状化現象とは何なのか。

里塚の土砂を固めて水分を含ませた状態の住宅地の模型に振動を加えていく。すると、重たいものが沈んでいくのが分かった。

北海道大学の渡部要一教授はこう話す。

「液状化は、基本的にはゆるく詰まっている土が液状化を起こすこと。なおかつ地下水がある、水がある状態です。土がモノを支えるのには、土の粒子あるいはダマ(土の塊)が、モノを支える、お互いに接触している状態。その接触が地震によってずれると、一瞬宙に浮いたような状態になる。その時にモノを支えられなくなるので、液状化した状態になる」

つまり、振動で支えを失った土は、粒子がバラバラになることにより、間にあった水分が抜けて地盤が下がることが液状化なのだ。

なぜ、沿岸部でない里塚地区が被害に?

液状化現象は、1964年の新潟地震で知られるようになった。

1995年の阪神淡路大震災でも、埋立地の人工島で甚大な被害をもたらした。巨大地震のたびに液状化は相次ぎ、2011年の東日本大震災では千葉県浦安市で起きた。

共通点は、沿岸部ということ。しかし、里塚は海から遠く離れた内陸の都市部。なぜここで液状化が起きたのだろうか。

住民だけでなく、専門家も首をかしげたが、渡部教授は発災当初から現地調査を行い、ある事実に注目した。

「今回の被害があった土地は、宅地造成がなされている。その前の状況は、川が流れていて、谷の中央に畑とか田んぼがあった。そこに山を切って谷を埋めるという、切り土盛り土の状況だった」

1972年、札幌はアジアで初めて開催された冬季オリンピックで、これまでになく湧いていた。人口が急速に増えていき、札幌周辺の地域で宅地造成が急ピッチに進んだ。

今の清田区里塚地区もそのひとつであり、ベビーブーム世代の子育てのため、日本中で宅地造成が進んだ。

里塚地区の宅地造成は、山を削り、谷を埋める形で行われ、約8メートル盛り土をし、付近を流れていた三里川は、暗渠、つまり地下水路に姿を変えた。

渡部教授は、この造成で盛り土に使われた火山灰が一因と指摘する。

「火山灰はこの平べったい細長いものとか、角が非常にあるもの、ふわふわっとしたものがたくさんある。ふわふわとしたものや、とげとげしいものがあったりして、一見かみ合う。かみ合うんだけれども、ゆるい状態でかみ合ってしまい、そこに少し水分があると、ダマ(土の塊)を作ってしまう。このダマがゆるい土地を造成してしまう理由になります」

渡部教授は、火山灰で盛り土をした粒子のかみ合わせがゆるい土地が、地震前日の台風の影響で地下水を大量に含んだ状態になり、地震の揺れをきっかけに粒子がバラバラになる液状化が発生。傾斜地だったことで一気に土砂が流れ出るとともに、各地では大規模な陥没が起きた、と分析した。

実は住民の中には、今回の液状化が起こる前から水の存在を気にしてきたという声もあった。

「購入して3、4年くらいから車庫が少しずつ下がって。2年前、あまりにも下がるのはおかしいので、沢水の処理に問題がないのか、調査してほしいって頼んだんです。何で調査したかわからないんですけど、『いや、何でもないですよ』と。まさかこんなふうになるなんて思ってもいなかったんですよね」(住民)

当時の宅地造成に問題はなかったか?住民たちの疑念

札幌市が作成した大規模盛土マップによると、みどり色で塗られた部分が大規模な盛り土をした場所になる。しかし今回、被害が出た里塚1条1丁目周辺は含まれていない。つまり、どこにでもある住宅地で液状化が起きたのだ。

「造成の仕方あるいは土地の問題。火山灰は緩い土地を作ってしまいやすい。そういう意味では全国で、日本各地どこでもとは言いませんけれど、各地で起こりうる現象だと思います。地盤も当時の基準ではしっかりできていたかもしれないけれど、その後の経験で当時の基準ではダメだということになり、新しい基準へと変わると(昔の基準のままでは)不適格になる。そういう土地は全国にたくさんあると思うんです」(渡部教授)

住宅地の成り立ちを知った住民たちは、説明会で札幌市に当時の宅地造成に問題はなかったのか問いただした。

里塚地区の宅地は1978年(昭和53年)ごろから大規模な開発が行われた。そこで被害が集中したエリアを造成した業者に責任を問うと、「当時の担当者がいないため、詳しいことは答えられない」との返答があった。

では当時、宅地造成を許可した札幌市はどのように捉えているのか。

札幌市市街地整備部の担当者は「この開発行為は当時の技術基準に則って、きちんと終わらせていると思われます」、「(図面を)改めてきちんと見直したところ、図面上現地ができたことを確認しました」と答えた。

結局、責任の所在は曖昧なまま。札幌市や宅地を分譲した業者が開いた説明会でも、住民のやり場のない怒りだけが目立った。

心ない人が被災地を観光化し、住民を苦しめる事態に

さらに追い打ちをかけるような出来事が、住民たちを苦しめることに。

地震発生から2週間で起きていたのは、被災地の観光化だった。

壊れた家を住民でない人たちがカメラで撮影。「写さないでください」と注意をすると、「被害者づらして」といった言葉が返ってきたという。

この地区に住む消防団員の今北秀樹さんは、地震直後から2か月の間、自営する車の整備業の仕事はストップし、里塚地区のパトロールを続けている。

「家族や若い人4人ぐらいで写真を撮ったり。SNSとかでなんとか映え、みたいなの撮ってるんじゃないですか。地方の函館ナンバーの人が車の中で動画を撮りながら、車の中でずっと撮っていたり、ヘルメットにカメラをつけて動画を撮りながら走ってました。自分の家を撮られたときの立場を考えたら、必然的に撮って欲しくないっていうのがわかりますよね」と今北さんは憤りをあらわにした。

夜はさらに住民の不安が募るため、町内会の役員がパトロールをすることに。平均年齢は70歳を超えている。

里塚中央町内会の盛田久夫さんは「大変ですね。嫌なんだけど、我々にできることはこれくらいのことしかない。とりあえずできることをやろう、ということで、スタートした」と語った。

後編では、里塚の住民たちを襲ったさらなる脅威と住民たちの苦渋の決断に迫っていく。