下部組織からラツィオで育ったが、極度の財政難の余波でミラン移籍を余儀なくされる

 元イタリア代表の名センターバックで、現在はセリエBフロジノーネで監督を務めるアレッサンドロ・ネスタ氏が、イタリア代表時代の元チームメイトで中国1部・広州恒大を率いるファビオ・カンナバーロ監督のインスタライブに登場。愛着のあるラツィオから離れることになった決断などについて語った。

 ネスタ氏は下部組織からセリエAの名門ラツィオで育ち、17歳でプロデビュー。20代の前半からキャプテンを任せられるなど精神的な支柱でもあり、1999-2000シーズンにリーグ優勝を果たした時も原動力だった。クラブ愛に溢れた選手で、移籍のイメージが沸かないという評判が高かった選手だったが、02年夏にACミランへと移籍する。

 その顛末についてネスタ氏は少し寂しそうな表情で、「あの最終年(01-02シーズン)に起こったカオスがなければ、僕はラツィオにずっといたと思う」と言及。当時のラツィオはクラブの株式を上場するという選択に出ていたが、さまざまな施策が裏目に出て極度の財政難に陥り、主力を大量売却する決断に迫られた。04年に現在のクラウディオ・ロティート会長が就任したが、翌年に税務当局と負債の23年払いで合意するなど、今でもその影響は残っている。

 しかしながら、名門ミランに移籍したネスタ氏は結果的に初年度の2002-03シーズンと06-07シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ(CL)で優勝。FIFAクラブワールドカップ(W杯)の優勝などミラン黄金期を支えることになった。12年まで10シーズンプレーし、最後は米メジャーリーグサッカー(MLS)とインドで1シーズンずつプレーしたが、ミラン時代の印象が強いファンも多いだろう。その時期についてネスタ氏は、名門ならではのことを感じさせられたと話している。

「ミランに移籍することになったけれども、そこではまったく違うサッカーの世界があった。しかも、移籍した年にCLを優勝したから、少しは落ち着いていられると思っていたんだ。そうしたら、ミランはヤープ・スタム(元オランダ代表DF、04年夏加入)を獲ってきた。それによって、自分のポジションが安泰だということは起こり得ないと理解させられたよ。結局、毎日が必死だったね」

 当時のミランは資金力や政治力も兼ね備えたクラブだっただけに、世界中から名選手がやってきた。それはセンターバックも例外ではなかったが、レギュラーとしてCLを獲得してもポジション争いを強いられる環境にはネスタ氏も面食らったようだ。

 カンナバーロ、ネスタに加えてミランやイタリア代表のレジェンドとも言えるパオロ・マルディーニ氏が組んだ時期の3バックは、今でも歴代最強との呼び声が高い。その中央で輝きを放ったネスタは、望まないながらも名門への移籍によってサッカー界の厳しい現実も知るキャリアになったようだ。

Football ZONE web編集部