ファン・デル・サール氏は後方からつなぐサッカーができずにイタリアで苦悩

 元オランダ代表GKエドウィン・ファン・デル・サール氏が、母国のスポーツテレビチャンネル「Ziggo sport」のインタビューでキャリアを回顧。イタリア王者ユベントスでのプレーは“選択ミス”だったと振り返っている。

 ファン・デル・サール氏は1999年夏にオランダ王者アヤックスからユベントスへと渡った。足元の技術に長けた現代的なGKは守備の国イタリアに挑戦したが、リーグ優勝やUEFAチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げられず、わずか2シーズンでイングランドのフルハムへ移籍した。

 ファン・デル・サール氏によれば、当初にユベントスから聞かされていた内容と現実に大きな乖離があったという。

「いくつかの選択肢があり、リバプールはオランダと似ていると感じたので違った経験をしたかった。ユベントスは偉大なクラブだったし、当時のリバプールはトップクラブとは言えなかった。事前の交渉での話はポジティブで、最終ラインからビルドアップするサッカーをしたいと。しかし、これは実現しなかった。僕がそのようにプレーしていると、『ここではそういうプレーをしない。長いボールを蹴れ』とね。僕は何をすればいいのか分からなかった」

 当時、カルロ・アンチェロッティ監督に率いられたユベントスでは、最終ラインから組み立てることはせずにシンプルに前線のタレントへ預けるサッカーが求められた。自身の長所を封じられた守護神はプレーに悩みを見せ、ミスも少なくなかった。そうしたなかで2シーズンプレーすると、クラブはイタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンを獲得。これによりファン・デル・サール氏はイタリアを去ることになった。

 そして、当時のユベントスのスターと言えばフランス代表MFジネディーヌ・ジダンだった。現在はレアル・マドリードで監督を務める華麗なトップ下だが、ファン・デル・サール氏は「彼は英語が話せずイタリア語やフランス語しかできなかったので、あまり会話はしなかった」と振り返る。

 ジダンについて、「リーバイスのジーンズとアディダスのTシャツで歩く彼は、ドルチェ&ガッバーナを着る他のチームメイトとは違った。さらに、時に意味のないレッドカードをもらうこともあったし、そういう意味でのエレガントさはなかった」と言及。その一方で、「ボールが足元にある時のエレガントさは別格だった」とも称賛した。

 最終的にはマンチェスター・ユナイテッドで一時代を築いた守護神だが、イタリアでの経験は苦いものになっていたようだ。

Football ZONE web編集部