静岡学園の10番が入学当初に受けた衝撃

静岡学園は13日、第98回全国高校サッカー選手権大会決勝で青森山田と対戦し、3-2で勝利を収めて24年ぶり2度目の優勝を飾った。鹿島アントラーズへの加入が決まっている松村優太は、入学当初に静岡学園のスタイルに衝撃を受けたという。それでも、果断に富んだプレースタイルは、入学後に与えられた右サイドで輝きを放った。(取材・文:藤江直人)
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【青森山田 2-3 静岡学園 全国高校サッカー選手権決勝】

 カルチャーショックに近い衝撃を受けた瞬間が、新たな旅立ちを迎えた今では懐かしい思い出となっている。中学卒業とともに生まれ育った大阪を離れ、静岡学園の門を叩いた2017年の春。練習前に課されたウォーミングアップで繰り広げられた光景に、松村優太は茫然自失となった。

「リフティングとドリブルをウォーミングアップのなかで必ずやりますし、特にリフティングに関しては、みんな肩やかかとも使いながら普通にやっていたんですよ。いまでは多少というか、それなりにできるようになりましたけど、最初は本当に驚きました。見たこともない光景、といった感じで」

 何よりもまず個人技を徹底して高めさせる。ドリブルを駆使したラテンスタイルのサッカーで高校サッカー界に衝撃を与えた、井田勝通前監督の時代から半世紀近くも紡がれてきた異彩を放つトレーニングは、2009年からバトンを託された川口修監督のもとでも色濃く受け継がれていた。

 リフティングとドリブルは、個人技のまさに一丁目一番地となる。全国から優れた選手が集まってくる弱肉強食の世界で、ボールを自由自在に扱えなければ試合に出るどころか、トップチームのなかにも居場所を築けない。松村はほどなくして、思考回路に刻まれていた既成概念を取り払った。

「試合前も含めて、これはウォーミングアップではなくトレーニングの一環なんだ、という意識でずっと取り組んできました。僕よりもはるかに上手い人たちばかりだったので」

トップ下から右サイドへのコンバート

 大阪東淀川FCでトップ下を務めていた松村は、静岡学園へ入学した直後から右サイドハーフへコンバートされた。新しいポジションが決まっていた、と表現した方がいいだろうか。松村の武器をより生かすポジションとして、川口監督をはじめとする首脳陣が弾き出した答えが右サイドだった。

 そもそも、松村はなぜ高校進学とともに親元を離れ、遠く静岡市で寮生活を始めたのか。中学生当時の心境を「とにかく県外で出たかったし、親もそれがいいんじゃないかと言ってくれていた」と振り返る松村にとって、静岡学園はいつしか意中の高校の最上位にランクされていた。

 松村が中学1年生だった2014年度に開催された、第93回全国高校サッカー選手権大会。静岡県代表として4年ぶり11回目の出場を果たし、ベスト8に進んだ静岡学園で「10番」を背負っていたMF名古新太郎(鹿島アントラーズ)は、実は大阪東淀川FCの先輩だった。

「名古さんが静岡学園でプレーしていたこともあって、大阪東淀川FCの監督がお願いして、僕が出た試合を観に来てもらいました。僕自身も静岡学園の試合などを見た結果として、このチームならば実力を伸ばせるんじゃないかと思ったんです」

 晴れて志望校へ合格した松村は、50mを5秒8で走破する圧倒的な走力を搭載していた。ただ、トップ下だとスルーパスを含めて攻撃の組み立てに関わるプレーも求められるし、何よりも360度から敵の脅威にさらされる。これが右サイドになれば、自身の右側は気にせずに攻撃することができる。

 強気な性格をよりプレーに反映できるようになった相乗効果で、スピード感あふれる直線的なドリブルを繰り出せるようになった。なおかつ、背筋をピンと伸ばし、ルックアップする姿勢が身についていたこともあり、相手の動きを見極めながらドリブルに続くプレーを選択できた。

「実際に右サイドへいくと、得点に直結するプレーに集中できるようになった。自分のプレースタイルに、けっこう合うんじゃないかと思うようになったんです」

名古新太郎との縁

 潜在能力をより解き放てるポジションに邂逅できたのも、個の力を何よりも重んじる静岡学園の伝統を抜きには語れない。さらには入学直後には衝撃を受けたリフティングを、努力を積み重ねた結果として自在に操れるようになった松村は、時間の経過とともに無双の存在感を放ち始める。

 最上級生になるとかつて名古が背負った「10番」を託され、さらには順天堂大学を卒業した名古がルーキーとしてプレーしていた鹿島アントラーズへの入団も内定させた。それでも、全国高校サッカー選手権の舞台には手が届かなかった。1年時は清水桜が丘(旧清水商業)が、2年時には浜松開誠館が静岡県代表として出場するも、ともに初戦で姿を消していた。

 サッカー王国と呼ばれて久しい静岡県だが、選手権優勝は鹿児島実業と両校優勝した、1995年度の第74回大会の静岡学園を最後に途切れていた。決勝戦の舞台に立った静岡勢も、2007年度の第86回大会の藤枝東だけだった。自らも静岡学園サッカー部の卒業生で、1996年度から母校のコーチを務めていた川口監督は、静岡勢が地盤沈下していった経緯を目の当たりにしてきた一人だ。

「強いと言われた時代の静岡には、スーパースターと呼ばれる個性的な選手が各チームにいて、県予選を勝ち抜いて全国大会に出場してはチャンピオンになっていた。いま現在のサッカー界で最も重要視されている個の力が、勝負強さと共存していることが静岡県勢の最大の特徴でした」

「上のステージで通用する選手」

 Jリーグが産声をあげた1993年を境に、各クラブが擁した下部組織へ、有望な高校生が全国へ分散する流れも新たに生まれた。必然的に静岡県内にも没個性の潮流が押し寄せ、内容よりも結果を重視するサッカーに各校が先走り、結果として全体的にチーム力が低下したと川口監督が続ける。

「あくまでも自分の考えですけれども、静岡県の流れを見ていると、勝つサッカーが主流を占めるようになった。勝負に強くこだわるようになったことで何が失われたのかと言えば、おそらくは個の育成が疎かになった。個性が非常に薄くなっている気がするんです」

 時代の流れに逆行するかのように、たとえ結果重視のサッカーに県予選で屈する年が続いても、静岡学園は個の育成を最優先させる方針を頑なに譲らなかった。それでも、ただ単にテクニックに長けただけでは、最終的に目指している「上のステージで通用する選手」にはたどり着けない。

「身につけたテクニックを、実戦でしっかりと使えるようにするためにはどうすればいいのか。相手との駆け引きや、自分の目で見て判断できる力も養わせる指導も行ってきた過程で、今年のチームは選手たちの飲み込みが早いというか、試合で課題が出たときにここを改善しよう、こういうプレーはやってはいけないといった具合に整理する力が、特に高かったと思うんです」

「テレビに映っている試合は強いね」

 川口監督が目を細めた理由が、松村のプレーの変化を介してよくわかる。岡山学芸館に6−0で快勝した昨年大晦日の1回戦。味方のゴールラッシュに続けと気持ちがはやり、主戦場とする右サイドを離れて中へ、中へと寄ってしまった挙げ句に、松村は無得点に終わっている。

「1試合目で吹っ切れました。いま最も意識しているのが、相手のマークを自分に引きつけることと、守備で貢献することです。自分へのマークが厳しい、というのは大会前からわかっていたことなので、僕がサイドに張ることによってみんなが点を取ってくれているので」

 2回戦で丸岡を3−0で、3回戦で今治東を2−0で、準々決勝では徳島市立を4−0で撃破。ベスト4へと快進撃を続けたチームの攻撃陣で、ただ一人、無得点が続いても松村は焦らなかった。3年生でただ一人、プロへの道を進むエースは突出した個の力を、チームのために最大限生かす術を知っていた。

 一方で県予選でも準決勝、そして決勝と地元ローカルで生中継された大一番でゴールを決めていた松村は、ニヤリと笑いながらこうつけ加えることも忘れなかった。

「けっこう周りからも言われるんですよ。テレビに映っている試合は強いね、と」

静岡学園の異質なサッカー

 迎えた矢板中央との準決勝は、日本テレビ系列の地上波で生中継された。相手の徹底した守備的な戦いの前にゴールをこじ開けられないまま、両チームともに無得点で後半アディショナルタイムに突入していた。もしもPK戦に突入すれば、どのような展開が待っているかわからない。

 焦燥感と危機感が交錯するなかで、松村のビッグプレーが飛び出した。右サイドから中央のMF小山尚紀(3年)へ浮き球のパスを供給。そのままゴール前へ走り込み、あうんの呼吸で小山がヒールで落としたボールを拾い、ペナルティーエリア内へ侵入したところで相手のファウルを誘発した。

「やるからには自分の大会にするくらいの気持ちではいたので、その意味では苦しんだところもありましたけど、準決勝でチームを助けることもできたので。まあ、自分だけで成し得た優勝ではないので。チーム全員の大会だったと言っていいと思っています」

 自らが獲得したPKを志願する形で蹴り、ゴール右へ豪快に突き刺した直後に試合終了を告げるホイッスルが鳴り響く。劇的な幕切れで雄叫びをあげた静岡学園は、決勝でも連覇を狙った青森山田に2点をリードされる苦境から、怒涛の3ゴールをもぎ取って頂点へと駆けあがった。

「日本サッカー界において革命的なサッカーというか、異質と言えば異質なサッカーをやっていると思っています。それでも、ウチのようなチームが増えていけば面白いサッカーができると思いますし、こういうチームが優勝することによって、サッカー界がまた盛り上がれば一番いいかな、と」

全国制覇から2日後、鹿島に合流

 後半に入って徹底してドリブルで仕掛ける場面が増え、青森山田が辟易としてきたところでサイド攻撃もさえてくる。後半開始から左サイドに投入されたMF草柳祐介(3年)のドリブル突破から、パスを受けたFW加納大(2年)が豪快な同点弾を決めた61分の段階で、松村は勝利を確信した。

「(逆転ゴールは)時間の問題だと思っていました。相手もガクッときていましたし、前半のような勢いはまったくなくなっていたので」

 前半アディショナルタイムに反撃のゴールを決めていたDF中谷颯辰(3年)が、85分にもセットプレーから決勝点をゲット。2度目の、そして悲願の単独優勝をもぎ取ってからしばらくして、松村はただ一人、応援団が陣取るバックスタンドの前へと駆け寄っていった。

「やったぜ!」

 日々の練習から切磋琢磨しながら、選手権のメンバーに入れなかった仲間たちへ。そして、静岡学園のスタイルを継承しながら全国の舞台に縁がないまま、高校サッカーに別れを告げた先輩たちへ。短い言葉のなかに、松村は万感の思いを凝縮させた。それは旅立ちを告げる雄叫びでもあった。

 全国制覇から2日後の15日に、宮崎県内で行われているアントラーズのキャンプへ松村は合流する。最初で最後となった全国選手権は、決勝まで6試合で1ゴール。数字だけを見れば寂しく映るかもしれないが、松村が放ち続けた自己犠牲の精神と正念場で120%の力を解き放った集中力には、年末年始のごく短い時間で成長を遂げた跡がはっきりと伝わってくる。

「最後にこうして有終の美を飾ることができたし、年代別の日本代表にも呼ばれたし、プロになることもできた。努力を積み重ねてきて本当によかったし、ものすごくレベルが高い新しい環境でも、楽しみながらポジション争いで負けないようにしたい。加入するからには開幕戦の先発を狙いたいし、去年は無冠だったチームのタイトル獲得に自分が貢献できれば一番いい」

 歓喜の余韻を断ち切り、新たな挑戦が幕を開けた。静岡学園での3年間で培われたイズムを抱きながら、未知の領域を突っ走っていく先には「将来のプロを目指している子どもたちに、憧れをもってもらえるような選手になる」と記されている、流れる雲をつかむかのような壮大な目標が描かれている。

(取材・文:藤江直人)

【了】