ロナウジーニョ2世と呼ばれて

 才能を高く評価されていても、真の意味でスターになれるのはほんのひと握り。若くして華々しいデビューを飾りながら、サッカー界の厳しい競争に晒された末に才能を開花させられないまま転落していった逸材たちは無数にいる。今回は21世紀に表舞台から儚く消えていったイングランド・プレミアリーグ出身の5人の“元逸材”たちを紹介する。

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アンデルソン(元ブラジル代表)
生年月日:1988年4月13日(31歳)
現所属クラブ:現役引退(2019年9月)

 若き日には“ロナウジーニョ2世”ともてはやされ、2005年のU-17ワールドカップではブラジル代表の準優勝に貢献するとともに大会最優秀選手に輝いた。2006年冬、故郷の名門グレミオからポルトガルのポルトへ移籍し、そのシーズンのリーグ優勝にも貢献する。

 そして2007年夏、サー・アレックス・ファーガソン監督に見初められてマンチェスター・ユナイテッドへの栄転を果たした。移籍とともにA代表デビューも飾り、1年目はユナイテッドのプレミアリーグ優勝とチャンピオンズリーグ(CL)制覇も経験する。まさに順風満帆なキャリアだった。

 ユナイテッドではリーグ優勝を4回、リーグカップもCLもFIFAクラブワールドカップも制した。ところが、いつまでたってもアンデルソンは主力に定着できない。細かい負傷も多く不摂生なのも明らかで、デイビッド・モイーズ政権下の2014年1月にイタリア1部のフィオレンティーナへ期限付き移籍することとなった。

 しかし、イタリアでも浮上のきっかけをつかめず。2015年2月、ついにユナイテッドを退団して母国へ復帰した。移籍先は古巣グレミオの宿敵インテルナシオナルだった。1年目は順調に出場を重ねていたが、2年目も終盤に差し掛かった頃、練習中にチームメイトを殴って一時追放処分を受ける。精神面の未熟さはいつまで経っても改善されなかった。

 結局、2017年はコリチバへ期限付き移籍し、その年の終わりにインテルナシオナルとの契約を解除。その後は約半年の無所属期間を経て、トルコ2部のアダナ・デミスポルと3年契約を締結する。欧州に戻ったが、アンデルソンがかつての姿を取り戻すことはなかった。デミスポル加入から約1年後に退団となり、2019年9月に現役を引退したことが明らに。現在はブラジルに戻って暮らしているようだ。

キャリアのピークは20歳

ダビド・ヌゴグ(フランス)

生年月日:1989年4月1日(30歳)
現所属クラブ:ザルギリス(リトアニア1部)
今季リーグ戦成績:1試合出場/1得点0アシスト

 パリ・サンジェルマンの下部組織で育ち、17歳でトップチームに昇格。2年目の2007/08シーズンはリーグ・アンで13試合に出場し、2008/09シーズンに向けてラファエル・ベニテス監督率いるリバプールへ4年の長期契約で引き抜かれた。

 プレミアリーグでは途中出場がメインだったものの1年目からリーグ戦14試合でピッチに立つ。2年目は24試合、3年目は25試合に出場した。ところが出場時間は伸びず、2年目と3年目はともに約1000分間、つまりほとんどの試合でベンチスタートだった。

 信頼を掴みきれなかった大きな要因は決定力不足にあった。2年目こそ5得点を記録したが、1年目と3年目は2得点ずつ。ストライカーとしては明らかに物足りず、年齢を重ねても進歩が見られなかった。2011/12シーズン、ヌゴグはリバプールとの契約を1年残しながらボルトンへ移籍することになる。

 新天地ではリーグ戦33試合に出場し、出場時間も2000分以上に伸びた。ところがゴール数はたったの「3」。チームも2部降格となり、彼のキャリアも下降線をたどっていく。2014/15シーズンにはランスへ移籍して母国へ戻るが、結果を出せずに2年で退団。その後、ギリシャ1部のパニオニオスへ赴き、2017年夏からは半年間にわたって無所属になる。まだ28歳、かつて将来を嘱望されたストライカーはどん底を味わった。

 冬にはスコットランド1部のロス・カウンティへ加入するも、半年で退団。2018/19シーズンからはハンガリー1部のブタペスト・ホンヴェドへ。1年目こそ出番を得ていたものの、2年目の今季は居場所を失って今年2月にリトアニア1部のザルギリスへと移籍した。30歳になったヌゴグは東欧のサッカー不毛の地で今何を思い、プレーし続けているのだろうか。

プスカシュ賞を獲得したW杯戦士

ミロスラフ・ストフ(スロバキア代表)

生年月日:1989年10月19日(30歳)
現所属クラブ:PAOLサロニカ(ギリシャ1部)
今季リーグ戦成績:3試合出場/0得点1アシスト

 母国スロバキアのニトラで16歳にしてプロデビューを飾った逸材は、2006年にチェルシーの門を叩いた。しばらくは下部組織で過ごし、2008/09シーズンに待望のトップチームデビューを飾る。閃光のごときドリブルで注目され、当然ながらブレイク候補としてメディアにも頻繁に取り上げられる存在だった。

 しかし、チェルシーでのリーグ戦出場は1シーズンで4試合のみ。2009/10シーズンはオランダのトゥエンテへ期限付き移籍しリーグ戦32試合出場10得点と結果を残すが、プレミアリーグの舞台に戻ることなくトルコのフェネルバフチェへ放出される。

 2010年には南アフリカワールドカップ出場も果たし、新天地トルコでは2年目まで順調に出場を重ねていく。だが、2013/14シーズンからは3年連続でレンタル生活を余儀なくされた。ギリシャのPAOK、UAEのアル・アイン、トルコのブルサスポルを渡り歩くことになった。

 雌伏の時を経てフェネルバフチェに復帰した2016/17シーズン、ほとんど出場時間を得られず、ついに完全移籍で放出となる。次なる挑戦の地はチェコだった。将来チェルシーの主力として活躍が期待されたストフは都落ちを重ねてスラヴィア・プラハにたどり着き、中心選手になった。とはいえ欧州トップリーグからはどんどん遠ざかり、今季は古巣PAOKに復帰したものの一度目の在籍時とは打って変わって出番はごくわずかに限られている。

 トルコ時代の2012年に決めたゴールが世界の年間最優秀ゴール賞にあたる「プスカシュ賞」を受賞したものの、キャリアにおける勲章はこれくらい。ポテンシャルを開花させられぬまま第一線から遠ざかって30歳を迎えることになった。

前プレミア最年少出場記録保持者

マシュー・ブリッグス(ギアナ代表)

生年月日:1991年3月6日(29歳)
現所属クラブ:ダートフォード(イングランド6部)
今季リーグ戦成績:14試合出場/0得点0アシスト

 昨年3月にハーヴェイ・エリオットに塗り替えられるまで、16歳65日というプレミアリーグ最年少出場記録を持っていたのがブリッジスだった。2007年5月にフルアムのトップチームの選手としてプレミアのピッチに立った彼と、リバプールへ引き抜かれた同クラブの後輩エリオットが歩むキャリアは対照的だ。

 デビュー2試合目を記録したのは、2010/11シーズンだった。その間にレイトン・オリエントへの期限付き移籍も経験したブリッグスは、2013/14シーズンにフルアムを退団するまで公式戦出場はわずか30試合しかない。それまでの間にはピーターバラ、ブリストル・シティ、ワトフォードと短期間のものも含めて下部リーグへの期限付き移籍を繰り返していた。

 2014年夏、プレミアリーグ最年少出場記録保持者ながら移籍金なしでイングランド2部のミルウォールへ移籍することになる。ただ、そこでも出番は限られ半年で同3部のコルチェスター・ユナイテッドへ貸し出され、2015年夏に完全移籍。そして2017年に退団後は、無所属期間なども挟みつつ短期間に5部以下のクラブを渡り歩く生活となる。

 2017年夏に加入したチェスターフィールドFCを半年で去り、2018年3月に契約したバーネットに至ってはわずか10日で退団。モルドン&ティップツリーFCでは1年間プレーしたものの、今季もコッジスホール・タウンFCを1ヶ月で退団してデンマーク2部へ。そして今年3月からはイングランド6部相当のリーグ所属のダートフォードFCでプレーしている。プレミアリーグデビューから13年にわたって転落を重ねた末、完全に忘れ去られた選手となってしまった。

怪我と不祥事でひっそりとサッカー界を去った男

マイケル・ジョンソン(イングランド)

生年月日:1988年2月24日(31歳)
現所属クラブ:現役引退(2013年1月)

 短く儚いキャリアだった。リーズ・ユナイテッドの下部組織で育ち、16歳でマンチェスター・シティへ移籍。2006年にはプロ契約を結んで、同年10月にトップチームデビューを飾った。2007/08シーズンのプレミアリーグ第2節、ダービー戦で決めた芸術的な右足アウトサイドでのゴールが彼のキャリアのハイライトになってしまった。

 同シーズンはプレミアリーグ23試合に出場し、順風満帆かと思われた歩みは怪我によって一時停止を余儀なくされてしまう。2008/09シーズンは鼠径部や骨盤周辺の痛みに悩まされ、翌2009/10シーズン中盤の練習中にひざの前十字じん帯損傷で、約1年半もの長期にわたってリハビリ生活を強いられた。

 伸び盛りの時期に約3年間を棒に振ってしまった。再起を期した2011/12シーズン、当時2部だったレスターへ期限付き移籍するもオーバーウェイトが祟ってコンディションが上がらず、デビュー当時のような輝きが戻らず。再び故障してレンタル契約を打ち切ってシティへ復帰することとなった。

 私生活でも問題が続いた負傷離脱中だった2012年2月に飲酒運転で逮捕されると、4ヶ月後にも再び飲酒運転を犯してしまう。精神的に不安定だったジョンソンは、専門医にかかっていたことものちのインタビューで明かしている。イングランドの未来を背負うと期待された才能は、度重なる負傷と私生活での不摂生や不祥事によって潰れてしまった。

 2013年1月、ジョンソンはサッカー界から去った。シティは下部組織出身の彼について退団リリースなどを出すことなく、前年12月に契約を解除していたのである。それ以降、近年稀に見る巨大なポテンシャルを秘めたままスパイクを脱いだ天才は、表舞台から姿を消した。