フランスW杯

日本代表は初出場となった1998年のフランスワールドカップから数えて6大会連続でワールドカップ本大会に出場している。背番号11を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍を見せたのか。今回はワールドカップで11番を背負った日本代表選手を大会ごとに紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
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監督:岡田武史
戦績:グループステージ敗退

背番号11:小野伸二(浦和レッズ)
生年月日:1979年9月27日(18歳)
個人成績:1試合出場/0得点0アシスト

 清水商業から浦和レッズに加入した1998年、開幕戦でいきなり先発の機会を掴んだ小野伸二は、1年目から浦和のレギュラーに定着した。すると、日本代表を率いる岡田武史監督は4月1日に行われた韓国代表との試合に18歳の小野を招集。小野は後半途中からデビューを飾った。

 25人が参加したスイスでの直前合宿に小野は招集された。18歳の市川大祐や長く主力を務めた三浦知良と北澤豪が落選となる中で、小野は22人のメンバーに残ることとなった。

 アルゼンチン戦とクロアチア戦で、小野に出番は回ってこなかった。連敗でノックアウトステージ進出の望みを絶たれて迎えた第3戦も、指揮官は出場停止の中西永輔を除くベストメンバーを起用。小野は3試合連続でベンチからキックオフを見届けることとなる。

 ジャマイカ戦で日本代表は、セオドア・ウィットモアに2ゴールを許した。それでも74分、相馬直樹のクロスを途中出場の呂比須ワグナーが落とし、中山が右脚で押し込んでワールドカップ初ゴールを決める。小野に出番が回ってきたのはその5分後だった。

 10番をつけた名波浩に代わって出場した小野伸二は才能の片鱗を見せた。しかし、日本代表は得点を奪えずに1-2で敗れ、3戦全敗で大会から姿を消した。18歳272日でのワールドカップ出場は、現在も破られていない日本代表史上最年少記録となっている。

●ジャマイカ戦の先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
小村徳男
井原正巳
秋田豊

▽MF
名良橋晃
山口素弘
名波浩
相馬直樹
中田英寿

▽FW
中山雅史
城彰二


<h2>日韓W杯

監督:フィリップ・トルシエ
戦績:ベスト16

背番号11:鈴木隆行(鹿島アントラーズ)
生年月日:1976年6月5日(25歳)
個人成績:4試合出場/1得点0アシスト

 1995年に鹿島アントラーズに加入した鈴木隆行は、4度の期限付き移籍を経験。2000年のシーズン途中に鹿島に復帰してレギュラーを掴むと、翌年には代表デビューを飾った。

 FIFAコンフェデレーションズカップでは、初先発となったカメルーン戦で2得点を挙げた。中田浩二のロングフィードを受けて右足のシュートでゴールネットを揺らし、森島のクロスを頭で押し込んだ。フランス代表のロベール・ピレスらと並んで大会得点王となった鈴木は、ワールドカップのメンバーにも選出されている。

 柳沢敦と2トップで起用された初戦のベルギー戦は前半をスコアレスで終える。後半に入って攻勢を強めるベルギーが57分に先制。直後に自陣から相手GKとDFの間に送った小野のロブパスに反応した鈴木は、DFを振り切って右足を目一杯伸ばす。つま先に当たったボールはGKの右脇をすり抜けてゴールへと吸い込まれた。

 鈴木のつま先ゴールで同点に追いついた日本代表は稲本潤一のゴールで逆転。しかし、75分に追いつかれてワールドカップ初勝利はお預けとなった。しかし、続くロシア戦とチュニジア戦に勝利した日本代表は、自力でグループステージ突破を決めた。

 鈴木はグループステージ3試合に先発したが、ラウンド16のトルコ戦はベンチスタートとなった。前半にミスから失点した日本代表は、後半開始と同時に2枚の交代カードを切る。ボランチの稲本とFWで起用された三都主アレサンドロに代わり、市川と鈴木が投入された。しかし、トルコ守備陣を最後まで崩せなかった日本代表はベスト16で姿を消すこととなった。

 鹿島でレギュラーを掴むまでに6年を要した苦労人は、自国開催となったワールドカップで躍動した。執念ともいえる鈴木のゴールが、その後に続く日本代表の躍進へとつながったと言えるだろう。

●ベルギー戦の先発メンバー

▽GK
楢崎正剛

▽DF
松田直樹
森岡隆三
中田浩二

▽MF
市川大祐
稲本潤一
戸田和幸
小野伸二
中田英寿

▽FW
鈴木隆行
柳沢敦


<h2>ドイツW杯

監督:ジーコ
戦績:グループステージ敗退

背番号11:巻誠一郎(ジェフユナイテッド千葉)
生年月日:1980年8月7日(25歳)
個人成績:1試合出場/0得点0アシスト

 2003年にジェフユナイテッド市原に加入した巻誠一郎は、イビチャ・オシム監督の下で主力に成長する。2005年の東アジアサッカー選手権に招集されて代表デビューを飾ると、翌年2月に行われた米国との親善試合で初得点をマーク。ワールドカップメンバーの当落線上とみられていたが、ジーコはメンバー発表会見で23番目に巻の名前を呼んだ。

 本大会の2トップは高原直泰と柳沢敦がファーストセットとなった。しかし、2人が先発した2試合で勝利を挙げられず、巻に出場機会が回ってくることはなかった。日本代表はグループステージ突破へ、わずかな望みをつないだ状態で第3戦を迎えた。

 ブラジル戦には玉田と巻の2トップが採用された。ブラジルの猛攻を凌いだ日本代表は玉田のゴールで34分に先制する。しかし、前半終了間際に追いつかれると、後半に3失点。ワールドカップ初出場の巻は60分に高原と交代してピッチを後にした。

 代表デビューから1年足らずで迎えたワールドカップの舞台は60分間の出場に終わった。恩師オシムが監督に就任したドイツ大会後も代表に定着したが、岡田監督就任後は出場機会が減り、ワールドカップの舞台に戻ってくることはできなかった。

●ブラジル戦の先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
加地亮
坪井慶介
中澤佑二
三都主アレサンドロ

▽MF
中村俊輔
中田英寿
稲本潤一
小笠原満男

▽FW
巻誠一郎
玉田圭司


<h2>南アフリカW杯

監督:岡田武史
戦績:ベスト16

背番号11:玉田圭司(名古屋グランパス)
生年月日:1980年4月11日(30歳)
個人成績:2試合出場/0得点0アシスト

 プロキャリアをスタートさせた柏レイソルで、玉田は5年目の03年に自身初の2ケタ得点をマーク。翌年3月のシンガポール戦で代表デビューを飾ると、初先発となった同年4月のハンガリー戦で初ゴールを決めて代表に定着している。

 名古屋グランパスに移籍した06年にはドイツワールドカップのメンバーに選出。チームはグループステージ敗退となったが、背番号20をつけた玉田は前回王者のブラジルを相手にゴールを挙げている。

 イビチャ・オシム監督時代は代表から遠ざかったが、岡田監督に代わると08年3月のバーレーン戦で1年8か月ぶりの復帰を果たす。同年5月のコートジボワール戦で1年11か月ぶりのゴールを決めた玉田は日本代表に定着し、2大会連続のワールドカップメンバー選出を果たした。

 本田圭佑が1トップに据えられ、玉田は岡崎慎司、矢野貴章、森本貴幸らとともにベンチから出場機会を窺った。日本代表は初戦のカメルーン戦に勝利、オランダ戦は前半をスコアレスで切り抜けたが、53分に失点して敗れた。玉田はオランダ戦の77分に玉田は大久保嘉人に代わり、この大会初出場を飾っている。

 デンマーク戦では出場機会がなかったが、日本代表は勝利してグループステージ突破を果たした。ラウンド16のパラグアイ戦は膠着状態が続き、スコアレスのまま延長戦へ突入。玉田は大久保に代わって106分に投入されたが、試合のPK戦の末に敗れている。2大会連続ゴールを決めることはできず、玉田は南アフリカを離れることとなった。

●パラグアイ戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
駒野友一
中澤佑二
田中マルクス闘莉王
長友佑都

▽MF
阿部勇樹
松井大輔
長谷部誠
遠藤保仁
大久保嘉人

▽FW
本田圭佑


<h2>ブラジルW杯

監督:アルベルト・ザッケローニ
戦績:グループステージ敗退

背番号11:柿谷曜一朗(セレッソ大阪)
生年月日:1990年1月3日(24歳)
個人成績:2試合出場/0得点0アシスト

 期限付き移籍した徳島ヴォルティスから2012年にセレッソ大阪に復帰し、13年にはリーグ戦で21ゴールをマーク。アルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表に初招集を受けて7月に行われた東アジアカップで代表デビューを飾ると、その中国戦でいきなりゴールを挙げた。韓国戦で2ゴールを決めた柿谷は大会得点王に輝いている。

 東アジアカップの活躍で日本代表に定着した柿谷は、ブラジルワールドカップのメンバーに選出された。先制しながらも後半に逆転を許した初戦のコートジボワール戦で、柿谷は86分から出場する。ワールドカップ初出場を果たしたが、わずかな時間で得点を奪うことはできず、チームは黒星発進となった。

 続くギリシャ戦では出番がなく、日本代表は1分1敗で第3戦を迎えた。コロンビア戦もベンチスタートとなった柿谷は、1点のビハインドを負った69分から出場。しかし、チームは試合終盤に2点を追加されて敗れた。

 東アジアカップでブレイクした柿谷は日本代表の新たなエースとして期待されたが、ワールドカップイヤーは所属するC大阪でも結果を残せずにワールドカップに臨んだ。出場時間が限られた大舞台で、背番号11を背負った柿谷は力を十分に発揮できずに大会を去ることとなった。

●コートジボワール戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
内田篤人
森重真人
吉田麻也
長友佑都

▽MF
山口蛍
長谷部誠
岡崎慎司
本田圭佑
香川真司

▽FW
大迫勇也


<h2>ロシアW杯

監督:西野朗
戦績:ベスト16

背番号11:宇佐美貴史(デュッセルドルフ)
生年月日:1992年5月6日(26歳)
個人成績:2試合出場/0得点0アシスト

 宇佐美貴史はアルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表に2011年に初招集を受けた。しかし、代表デビューの機会がないまま時間が経過。それでも、14年にはガンバ大阪でベストイレブンに輝いてクラブ初の国内3冠に導くと、指揮官がヴァイッド・ハリルホジッチへと代わった15年3月に4年越しの代表デビューを果たした。

 15年以降は日本代表に定着し、原口元気と左サイドハーフのポジション争いを演じた。ロシアワールドカップのメンバーに選出され、大会前に行われたガーナ戦とスイス戦に宇佐美は先発。しかし、チームは2試合連続で無得点に終わり、宇佐美もアピールすることはできなかった。その一方で、ラストマッチとなるパラグアイ戦に左サイドハーフで起用された乾貴士が、2ゴールを決める活躍を見せて先発の座を掴んだ。

 2-1で勝利した初戦のコロンビア戦で、宇佐美に出番は回ってこなかった。続くセネガル戦は、本田圭佑のゴールで2-2と追いついた後に投入されたが、スコアは動かずに試合を終えている。

 決勝トーナメント進出を懸けて戦った第3戦に宇佐美は初めて先発する。しかし、ロベルト・レバンドフスキ擁するポーランドに防戦一方となり、59分に失点。65分にベンチに退いた宇佐美は結果を残すことができず、試合は0-1で敗れている。

 鼻差で決勝トーナメント進出を決めた日本代表はラウンド16でベルギーと対戦したが、宇佐美はベンチで90分を見届けることとなった。乾と原口のゴールで2点を先行しながらの逆転負けは「ロストフの悲劇」として語り継がれることになる。プラチナ世代のエースだった宇佐美は、大舞台で爪痕を残すことができなかった。

●ポーランド戦の先発メンバー

GK
川島永嗣

DF
酒井宏樹
吉田麻也
槙野智章
長友佑都

MF
酒井高徳
山口蛍
柴崎岳
宇佐美貴史

FW
武藤嘉紀
岡崎慎司

【了】