フランスW杯

日本代表は初出場となった1998年のフランスワールドカップから数えて6大会連続でワールドカップ本大会に出場している。背番号8を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍を見せたのか。今回はワールドカップで8番を背負った日本代表選手を大会ごとに紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
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監督:岡田武史
戦績:グループステージ敗退

背番号8:中田英寿(湘南ベルマーレ)
生年月日:1977年1月22日(21歳)
個人成績:3試合出場/0得点0アシスト

 1997年5月に行われた韓国代表との試合で日本代表デビューを飾った中田英寿は、瞬く間に中心選手となった。ワールドカップアジア予選を戦った日本代表はイラン代表との第3代表決定戦に進出する。マレーシアで行われたこの試合に中田英寿は背番号8をつけて先発すると、スルーパスから中山雅史の先制ゴールをアシスト。後半に逆転を許したが、76分に左サイドからクロスを上げて城彰二のヘディング弾をアシストした。

 その後も中田は城や途中出場の岡野雅行の決定的なシーンを作り出すが、日本代表はゴールを割ることができないまま延長後半に突入した。そして118分、中田がドリブルからシュートに持ち込むと、GKに弾かれたボールを岡野が押し込んで勝ち越しに成功。3得点すべてに絡む活躍で、中田は「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる勝利の立役者となった。

 フランスワールドカップで中田は3試合すべてにトップ下でプレーした。しかし、初のワールドカップの舞台で日本代表は勝ち点を挙げることができず、グループステージで敗退。中田自身もゴールに絡むプレーを見せることはできなかった。

 大会後に中田はイタリアのペルージャに移籍する。ローマではセリエA制覇を経験し、パルマやボローニャでもプレーした。フランスワールドカップは、世界に中田が羽ばたくきっかけとなった大会だった。

●アルゼンチン戦の先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
中西永輔
井原正巳
秋田豊

▽MF
名良橋晃
山口素弘
名波浩
相馬直樹
中田英寿

▽FW
中山雅史
城彰二


<h2>日韓W杯

監督:フィリップ・トルシエ
戦績:ベスト16

背番号8:森島寛晃(セレッソ大阪)
生年月日:1972年4月30日(30歳)
個人成績:3試合出場/1得点0アシスト

 背番号15をつけて臨んだフランスワールドカップで森島寛晃は第2戦のクロアチア戦に出場。1点ビハインドの79分にピッチに入ったが、シュートを1本も打てないまま試合は0-1で敗れた。初のワールドカップは11分間のプレーで幕を閉じている。

 フィリップ・トルシエ監督の下では代表を外れる時期も経験したが、2000年6月のハッサン2世カップでフランス代表から2得点を奪い、10月のアジアカップでは日本代表の優勝に貢献。その後は日本代表に定着し、日韓ワールドカップのメンバーにも選出された。

 シドニー五輪やアトランタ五輪を戦ったメンバーが多く、30歳の森島はサプライズ招集となった秋田豊と中山雅史に次ぐ年長者となった。初戦のベルギー戦は稲本潤一のゴールで勝ち越しに成功した直後に投入される。鈴木隆行に代わって2トップの一角に入ったが、チームは75分に同点に追いつかれ、ワールドカップ初勝利はお預けとなった。

 1-0で勝利したロシア戦で森島に出番はなかった。そして、決勝トーナメント進出を懸けて戦った第3戦、この試合もベンチスタートだった森島は、0-0で迎えたハーフタイムに声がかかった。所属するセレッソ大阪の本拠地、長居スタジアムで行われたチュニジア戦に後半開始から登場した。

 チャンスはすぐに訪れた。中田英寿が出した鈴木へのスルーパスは相手DFにカットされたが、そのこぼれ球に森島が反応する。反転しながらダイレクトで豪快にこれを振り抜くと、GKは一歩も動けずにボールはゴールネットに突き刺さった。「日本一腰の低いサッカー選手」は日本代表を初の決勝トーナメント進出へと導く活躍を見せた。

 ラウンド16で日本代表はトルコ代表と対戦したが、12分に先制点を許した。試合はそのまま終盤へと突入。森島は市川大祐に代わって86分に投入されたが、日本代表は最後まで得点を奪えず。日本代表はベスト16という成績で大会を去ることになった。

●チュニジア戦の先発メンバー

▽GK
楢崎正剛

▽DF
松田直樹
宮本恒靖
中田浩二

▽MF
明神智和
稲本潤一
戸田和幸
小野伸二
中田英寿

▽FW
鈴木隆行
柳沢敦


<h2>ドイツW杯

監督:ジーコ
戦績:グループステージ敗退

背番号8:小笠原満男(鹿島アントラーズ)
生年月日:1979年4月5日(27歳)
個人成績:2試合出場/0得点0アシスト

 黄金世代の1人として準優勝した1999年のワールドユースで活躍した小笠原満男だったが、シドニー五輪では本大会メンバーから外れている。しかし、02年3月のウクライナ戦でA代表デビューを飾ると、6月の本大会にもサプライズ選出を果たした。

 日韓大会は第3戦のチュニジア戦に途中出場したのみだったが、大会後に就任したジーコ監督の下で小笠原は代表に定着した。しかし、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一といった海外組がいる際はベンチを温める機会も多く、絶対的な存在とはいえない立場で、2度目のワールドカップに臨むこととなった。

 福西崇史、中田英寿が中盤の底に入り、トップ下を中村が務めた初戦、小笠原は90分をベンチで過ごした。中村のゴールで先行しながらも、終盤に3失点を喫して逆転負け。続くクロアチア戦はフォーメーションを3-5-2から4-4-2へと変更し、小笠原は左の攻撃的MFで先発した。クロアチアの猛攻をGK川口能活のビッグセーブで何とか凌ぐが、決定的なチャンスを作ることはできなかった。0-0で試合を終えた日本代表は、勝ち点1で第3戦を迎えることとなった。

 ブラジル戦も小笠原は先発で起用された。日本代表は玉田圭司のゴールで先制に成功するが、ロナウドとジュニーニョ・ベルナンブカーノのゴールで逆転を許してしまう。小笠原はその直後に中田浩二に代わってベンチに退いた。日本代表は1-4で敗れ、グループステージ敗退が決まった。

 黄金世代が20代後半となって迎えたワールドカップで、日本代表は1度も勝つことなくドイツを去ることに。2度目のワールドカップとなった小笠原も、その苦しい状況を打開することができず、歯がゆい大会となった。

●クロアチア戦の先発メンバー

▽GK
川口能活

▽DF
加地亮
宮本恒靖
中澤佑二
三都主アレサンドロ

▽MF
中村俊輔
福西崇史
中田英寿
小笠原満男

▽FW
柳沢敦
高原直泰


<h2>南アフリカW杯

監督:岡田武史
戦績:ベスト16

背番号8:松井大輔(グルノーブル)
生年月日:1981年5月11日(29歳)
個人成績:4試合出場/0得点1アシスト

 京都パープルサンガでプレーしていた松井大輔は、2003年のコンフェデレーションズカップで代表デビューを飾った。しかし、当時のジーコジャパンは中田英寿や黄金世代が中盤を占めており、居場所を築くことはできなかった。

 それでも、フランスのル・マンにいせきした松井は、05年11月に初ゴールを挙げ、ドイツワールドカップ前になってメンバー候補に躍り出る。しかし、メンバー選出はならず、ワールドカップ出場は4年後まで待つこととなった。

 南アフリカワールドカップ直前、日本代表は4月のセルビア戦から4連敗という最悪な状況で本大会に臨んだ。すると、岡田武史監督は大会直前に、それまでの4-2-3-1から阿部勇樹をアンカーに置く4-1-4-1へのシステム変更を決断。それまでは不動の存在だった中村俊輔に代わり、松井大輔が右サイドに抜擢された。

 初戦のカメルーン戦、右サイドでボールを受けた松井は切り返しで相手をかわし、左足でクロスを入れた。このボールをファーサイドで待ち構えていた本田圭佑がトラップして左足で流し込む。松井のアシストから日本代表の躍進は始まった。

 カメルーン代表に勝利した日本代表はオランダ代表に敗れたものの、デンマーク代表に勝利して決勝トーナメントに駒を進めた。松井はすべての試合に先発し、前線からの激しいディフェンスを見せ、得意のドリブルからカウンターでチャンスを作った。

 パラグアイ代表とのラウンド16にも、日本代表はグループステージと同じ11人を先発で起用した。日本代表は攻め立てるが、ゴールを奪うことはできない。松井大輔はミドルシュートからゴールを狙うもクロスバーに直撃。カウンターから本田にラストパスを供給したが、本田のシュートは枠を捉えることができなかった。

 松井大輔は65分に岡崎慎司と交代でベンチに下がり、ワールドカップでの戦いを一足先に終えている。チームはPK戦の末に敗れ、悲願のベスト8を達成することはできなかった。それでも、直前の不調から脱して躍進した日本代表で、松井はキーマンとなる活躍を見せている。

●カメルーン戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
駒野友一
中澤佑二
田中マルクス闘莉王
長友佑都

▽MF
阿部勇樹
松井大輔
長谷部誠
遠藤保仁
大久保嘉人

▽FW
本田圭佑


<h2>ブラジルW杯

監督:アルベルト・ザッケローニ
戦績:グループステージ敗退

背番号8:清武弘嗣(ニュルンベルク)
生年月日:1989年11月12日(24歳)
個人成績:1試合出場/0得点0アシスト

 セレッソ大阪で主力となった清武弘嗣は、11年8月に行われた韓国戦で代表デビューすると、いきなり2アシストを挙げる活躍を見せた。その後はアルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表に定着。ニュルンベルクに移籍した2012年にはロンドン五輪に出場し、主力としてU-23日本代表のベスト4進出に貢献している。

 日本代表の2列目のポジションは岡崎慎司、本田圭佑、香川真司が定石となっていたが、彼らが不在の際には清武がその穴を埋める活躍を見せた。アジア予選でも活躍した清武は、14年のブラジルワールドカップのメンバーにも選ばれている。

 しかし、本大会で2列目の序列が変わることはなかった。清武はコートジボワール戦とギリシャ戦で出番が与えられず、チームは1敗1分と絶望的な状況で第3戦を迎えた。

 コロンビア戦は1-1で前半を折り返したが、後半に得点を重ねるコロンビアの前に、日本代表はなすすべなく屈した。1-3で迎えた85分に清武に出番が回ってきたが、残された時間は短く、ハメス・ロドリゲスのゴールでとどめを刺された日本代表は1勝もできずに大会を後にした。

●コロンビア戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
内田篤人
今野泰幸
吉田麻也
長友佑都

▽MF
青山敏弘
長谷部誠
岡崎慎司
本田圭佑
香川真司

▽FW
大久保嘉人


<h2>ロシアW杯

監督:西野朗
戦績:ベスト16

背番号8:原口元気(デュッセルドルフ)
生年月日:1991年5月9日(27歳)
個人成績:3試合出場/1得点0アシスト

 17歳で浦和レッズとプロ契約を結び、世代別代表でも主力として活躍した原口元気。11年10月のベトナム戦で代表デビューを飾ったが、出場機会をなかなか掴むことができなかった。それでも、14年夏にブンデスリーガのヘルタに移籍すると、デビューから約4年が経った15年6月に、4試合目の出場で代表初ゴールを決め、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督率いる日本代表に定着した。

 ワールドカップアジア最終予選では、三浦知良や呂比須ワグナーが記録した3試合連続ゴールを抜く4戦連続ゴールをマーク。日本代表を6大会連続の大舞台へと導いた原口は、背番号8を背負って初のワールドカップに臨んだ。

 ハリルホジッチ監督は原口を左サイドで起用することが多かったが、大会前に就任した西野朗監督は右サイドで起用した。日本代表は初戦のコロンビア戦に勝利し、セネガル代表から勝ち点1をもぎ取った。この2試合に先発した原口は、絶え間なく上下動を繰り返してチームに貢献した。

 原口が欠場したポーランド戦は敗れたものの、日本代表はグループステージを突破。迎えたベルギーとのラウンド16で原口は2戦ぶりに先発メンバーに復帰した。

 前半をスコアレスで折り返した一戦は、後半早々にスコアが動いた。左サイドでボールを奪取した乾貴士は中央の柴崎岳へパスを送る。原口はそれを見るや否や右サイドを全速力で駆け上がった。柴崎のスルーパスはヤン・フェルトンゲンの足をすり抜けて原口へ渡り、思い切り右足を振り抜く。GKティボー・クルトワの伸ばした長い腕に届かないシュートは、ファーサイドのポストに当たってゴールへと収まった。

 その4分後に今度は乾のゴールが決まり、日本代表は2点のリードに成功する。誰もが日本代表史上初のベスト8を意識したのも束の間、日本代表は終盤に3失点。「ロストフの悲劇」と呼ばれる逆転負けを喫して大会を去ることになった。

●ベルギー戦の先発メンバー

▽GK
川島永嗣

▽DF
酒井宏樹
吉田麻也
昌子源
長友佑都

▽MF
柴崎岳
長谷部誠
原口元気
香川真司
乾貴士

▽FW
大迫勇也

【了】