G大阪時代の恩師と再タッグ

 日本人選手の欧州クラブへの移籍は通過儀礼とも言える。これまでにもセリエA、ブンデスリーガなどに多くのサムライが挑戦したが、自身の成長を求め新天地にフランスを選ぶ者も少なくはない。現在も酒井宏樹や川島永嗣がリーグ・アンで奮闘中だ。今回フットボールチャンネルでは、そんなフランスでプレーした日本人選手の挑戦を振り返る。第7回はMF稲本潤一。(取材・文:小川由紀子【フランス】)

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 2001年夏にプレミアリーグの名門アーセナルに移籍したのを皮切りに、フルアム、ウェストブロムウィッチ・アルビオン、カーディフ・シティ、トルコのガラタサライ、ドイツのフランクフルトと、8年の間に3ヶ国でプレーした稲本潤一の海外最終地点となったのが、フランス、リーグ・アンのレンヌだ。それが、わずか半シーズンで終わってしまったのは、思わぬ成り行き、といった感じだった。

 その頃のレンヌは、ヨーロッパリーグ(当時はUEFAカップ)出場を目標とする、4〜7位をうかがう第2グループ的な存在で、稲本が入団した2009/10シーズンには、ちょうど新指揮官にフレデリック・アントネッティを迎えたところだった。

 アントネッティ監督といえば、1998/99シーズンにガンバ大阪を率いた、稲本にとってはかつての恩師。彼は、当時18歳だった稲本を高く評価していて、サンテティエンヌで指揮をとっていた時代にも獲得を検討したことがあった。

 稲本の獲得は、ボランチでレギュラーだったカメルーン代表のステファン・エムビアがマルセイユへ移籍した穴を埋めるためのもので、「彼の才能には疑いがない。フランスのリーグに順応さえすれば活躍してくれると信じている」と、即戦力として期待を寄せていた。

 オフシーズンには、アルプス山脈に近いサヴォワ地方でのキャンプに参加し、プレシーズンマッチも全試合に出場して稲本は開幕に備えた。前年のレンヌは、きれいなディフェンスブロックを2列並べる守備的なシステムが奏功し、優勝チームのボルドーと同じ34失点に抑えた堅守が自慢だった。

 そのディフェンス面はキープしつつ、攻撃面を活性化するのが新シーズンの課題であり、前線にはフランス代表のFWジミー・ブリオン、ガーナ代表のアサモア・ギャン、セネガル代表のムサ・ソウに加えてル・マンで松井大輔のチームメイトだったギニア代表のイスマエル・バングラをディナモ・キエフから獲得。フィジカル自慢のフォワードをズラリと揃えていた。

 アントネッティ監督は、オフの間にシステムにも手を加え、稲本は2ボランチのときにはその一角、4-3-3に近い布陣では中盤の真ん中で試されていた。コンビを組むのは、前年スタメンに昇格したばかりの生え抜きの22歳、ファビアン・ルモワーヌ。チームには、フルアムでチームメイトだったアメリカ人DFカルロス・ボカネグラもいて、稲本はスムースに順応しているように見えた。

稲本の運命を変えた「退場」

 リーグ・アン初参戦の昇格チーム、ブーローニュと対戦した開幕戦。稲本は71分からピッチに送り出されてフランスリーグの地を踏んだ。

 すでに2-0でリードした状態で、それほど目立った動きはなかったが、チームは終了間際に1点を追加して3-0で快勝した。

「フランスリーグ初試合でしたが違和感なくやれました」と、デビュー戦の印象を語った稲本。次のニース戦では、先発メンバーに起用された。ポジションは左ボランチ。

 ところが、この試合が振り返れば運命の分かれ道だった。

 効果的なクロスを出したり、当たり負けすることなく相手の足元からボールを奪うなど見せ場もつくっていたが、前半と後半で2枚のイエローカードをもらい、77分に退場処分となってしまった。開幕2戦目にして、フランスの審判の笛の吹き加減を身を以て知る体験となったわけだが、この退場のツケは予想以上に大きかった。

 稲本が退場になったあと、アウェイで1-1という状況でドローは死守したいという判断から、アントネッティ監督はフォワードを一人下げて、リザーブチームにいた19歳のMFヤン・エムビラを、守備的中盤として送り出した。そこで手応えを得ると、稲本が出場停止だった次戦のマルセイユ戦で、監督はエムビラをフル出場させる英断をする。

 3位のマルセイユ相手にドローという結果を得て、エムビラのプレーもメディアから絶賛されると、監督は翌戦でもこの新鋭を先発で起用。皮肉にも今度は彼がレッドカードで一発退場となったため、出場停止となった続く2戦は稲本が出場機会を得たが、第7節で復帰した以降は、エムビラは絶対的なスタメンとして、中盤のポジションの一つを埋めることになったのだった。

 その結果、2ボランチはエムビラとルモワーヌでほぼ固定された。それだけなら、2人の交代要員、および中盤に3人目を置く場合に稲本の出番がまわってくる可能性は十分あったはずなのだが、離脱が濃厚だった31歳のベテラン、ブルーノ・シェイルーが残留を決め、開幕直前にはノルウェーのローゼンボリからアレクサンドル・テッティを獲得。稲本が契約した時とは中盤のメンバー構成はまるきり変わり、ヒエラルキー的には5番手になってしまったのだった。

W杯を見据え、わずか半年で退団

 アントネッティ監督は、焦らず、時間をかけて稲本を順応させてゆくつもりだった。そしてこの先稲本が、ほかの4人にはない持ち味を発揮するようならスタメン起用も考えていた。しかし現実的には、クラブ生え抜きのルモワーヌは鉄板で、さらにアントワーヌ・グリーズマンの同期で世代別代表でも頭角を現していた成長株のエムビラからポジションを奪うことは容易ではなかった。

 12月の第17節からは帯同メンバーからも外れると、ピエール・ドレオシGMは、「今年はワールドカップ前の大事な年だけに、出場機会を求めるなら他を探したほうがいい」と冬のメルカートでの移籍にゴーサインを出した。

 稲本自身も、「できることならレンヌで頑張りたいが、もしチャンスがないなら、移籍するつもりはある。ワールドカップ前の今季は、試合に出てプレーしたい」と胸中を語り、その冬、川崎フロンターレへの移籍を決めたのだった。

 現地での稲本の評価は、第2節のニース戦でいきなり退場となったことでガクッと下がったが、第5節のサンテティエンヌに後半から出場し、次のグルノーブル戦でフル出場した際にはV字回復していた。

 レキップ紙のレンヌ担当シルヴァン・ル・ギドー記者はこの2戦のあと、「最初のころに比べて、フランスサッカーのプレースタイルを理解して、チームに馴染んできている。稲本は、スピードがあってボールを相手から奪って周りにさばくのが巧い。それに、積極的にラインを押し上げていくのも良い」と好評価。

「日本人選手はテクニックに優れているという印象が強いが、彼も例にもれず技術面は確かだし、一般的な日本人選手のイメージに比べたらフィジカルも強い。フランスリーグは、他のリーグに比べて、スピードとフィジカル面での要求が高いが、稲本の場合はテクニックとフィジカル、この2極の中間を行くプレイヤー、といった感じだ」と印象を語っていた。

アンリが語る稲本の印象とは

 視野の良い選手が希少なリーグ・アンでは、稲本のような配球センスの良いMFは貴重であり、プレミアリーグ仕込みの、当たり負けせずボールを奪い取れる強さもあった。3番手あたりでポジションを競う状況なら、切磋琢磨しつつレンヌでさらに成長していたことだろう。

 結局、リーグ・アンでの出場試合は5試合にとどまったが、第6節のグルノーブル戦ではフル出場し、4-0での快勝に貢献した。このとき、ちょうどグルノーブルには松井大輔が所属していた。松井は怪我で欠場していたため、ピッチ上での対決は実現しなかったが、松井は試合後に稲本のもとを訪れて言葉を交わしていた。

 松井はふだんから稲本を慕っていて、電話で話したり、日本代表の遠征のときも、海外組同士ということで一緒に移動したりしていた。当時、雑誌の企画で、読者から『松井選手が考える稲本選手のストロングポイント、ウィークポイントを教えて下さい』という質問があったとき、松井はこう答えている。

「ストロングポイントは、勝負強いこと。経験が豊富だし、ボールも獲れるし、体も強い。それに、大事な場面で点をとれる。ウィークポイントは30歳なのにかわいいキャラでいこうとしているところ(笑)。彼って意外とかわいいんですよ。でも、もう30なんだから、いい加減男臭くなれよ! と思います(笑)」。2人の仲の良さをうかがわせる名(迷?)回答だった。

 レンヌを最後に日本に戻った稲本は、41歳のいまもJ3のSC相模原でプレーを続けている。それに、欧州のトップリーグに8年半も在籍していたというのは、すばらしいキャリアだ。出場試合数は少なかったとはいえ、あの当時プレミアリーグのアーセナルにアジア人選手が入団したというのは相当すごいことだった。

 稲本がアーセナル入りして間もないころ、ティエリ・アンリに印象を聞いたとき、こんな答えが返ってきた。

「練習の様子じゃ、かなりテクニックのある選手だ。僕も最初は大変で、プレミアリーグに馴染むのに半年以上かかったことを思い出すよ。だからメディアの人たちには辛抱強く見守ってくれるようお願いしたい。僕も、一人のチームメイト、そして外国人選手の先輩として、彼が必要な手助けは、なんでもするつもりだ」。

 各国で、さまざまな選手たちとともに汗を流した経験は、彼の人生をとびきり豊かにしていることだろう。

(取材・文:小川由紀子【フランス】)