1990年代前半

 ワールドカップ優勝国などは出ていないが、欧州サッカー界では常にアフリカにルーツを持つ選手たちが存在感を発揮している。中でもストライカーのポジションには驚異的な能力を持つ選手が多く、各年代に世界を席巻した選手がいた。そんな祖国では英雄的な扱いを受けることも少なくない、アフリカ各国の国籍を持つストライカーたちの系譜を振り返る。

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ジョージ・ウェア(リベリア代表)
生年月日:1966年10月1日
代表通算成績:61試合出場/22得点
主な獲得タイトル:FIFA最優秀選手賞(1995)、バロンドール(1995)、アフリカ年間最優秀選手賞(1989、1994、1995)、リーグ・アン(1993/94)、セリエA(1995/96、1998/99)

 “リベリアの怪人”は、その異名の通り驚異的な身体能力を武器に常人離れしたプレーで欧州を席巻した。カメルーンから1988年にフランスリーグのモナコへ移籍して1991年にはフランスカップ制覇。1992/93シーズンからはパリ・サンジェルマンへと移籍してゴールを量産し、リーグ優勝も成し遂げた。

 そして1995年、FIFA最優秀選手賞やバロンドール、アフリカ年間最優秀選手賞など個人タイトルを総なめに。アフリカ人として初めてのバロンドール受賞者となって世界にその名を轟かせた。1996/97シーズンのセリエA開幕戦、エラス・ヴェローナ戦では自陣コーナーキックの守備から約80mをドリブルで単独突破してゴールネットを揺らしたスーパーゴールは特に有名だ。

 圧倒的なスピードやパワーのみならず、テクニックや創造性、ハードワーク、そしてフィニッシュ精度とストライカーに必要な能力の全てを兼ね備えていた。しかし、リベリア代表でのワールドカップは叶わず。それでも1990年代のサッカー界を象徴するストライカーの1人という評価に疑いはない。

 2000年1月からはチェルシーに期限付き移籍し、同年夏からは完全移籍でマンチェスター・シティへ。その後、マルセイユやUAEのアル・ジャジーラを渡り歩いて2003年にスパイクを脱いだ。現役引退後はアメリカに住んでいたが、2005年に祖国リベリアの大統領選挙に出馬して政治家に転身。2014年には同国で上院議員になり、2016年にはなんとリベリア大統領に就任した。

 息子たちもプロサッカー選手として活躍しており、三男のティモシーは父の古巣パリ・サンジェルマンで最初のプロ契約を勝ち取った。現在はフランス1部のリールに所属している。代表は父の祖国リベリアではなく、自らの生まれ故郷であるアメリカを選んだ。

1990年代後半

ヌワンコ・カヌ(ナイジェリア代表)
生年月日:1976年8月1日
代表通算成績:87試合出場/12得点
主な獲得タイトル:アフリカ年間最優秀選手賞(1996、1999)、アトランタ五輪金メダル(1996)、UEFAチャンピオンズリーグ(1994/95)、UEFAカップ(1997/98)、エールディビジ(1993/94、1994/95、1995/96)、プレミアリーグ(2001/02、2003/04)

 身長197cmと大柄でスピードに欠けるが、卓越したゲームビジョンを駆使しながら、繊細なボールコントロールや巧みなドリブル、意外性溢れるパスで観客を沸かせた。決して身体能力任せではなく、テクニカルでアシスト能力にも優れたストライカーだった。

 ナイジェリアからオランダの名門アヤックスに引き抜かれ、国内リーグ3連覇やチャンピオンズリーグ(CL)制覇に大きく貢献。代表でも力を発揮し、1996年にはアトランタ五輪で金メダルを獲得した。

 ただ、アヤックスでの活躍が評価されてインテルに移籍し、五輪から戻った直後に心臓弁膜症を発症して1996年11月に手術を受けることに。一時は選手生命も危ぶまれたが、15ヶ月後の1998年2月、賢明な治療の末にカムバックを果たした。

 インテルでは思うようなプレーを見せられなかったが、1999年2月に移籍したアーセナルで完全復活を果たす。FAカップ優勝2回、プレミアリーグ制覇2回と数々のタイトル獲得に貢献した。2003/04シーズンに無敗優勝を果たした際は出場機会を減らしていたが、チームに欠かせない選手の1人であり続けた。

 ウェストブロムウィッチを経て2006年からはポーツマスに移籍した。心臓の持病を抱えながらもカヌにとって最後のクラブとなったポーツマスでは6シーズンにわたって中心選手として活躍。ゴールこそ減ったものの、持ち前のテクニックとビジョンでチャンスメイクで存在感を発揮した。

 ナイジェリア代表では1994年から15年以上にわたって招集され、1998年、2002年、2010年と3度のワールドカップに出場。“スーパーイーグルス”の背番号4といえばカヌというイメージを作り上げた。A代表では通算87試合出場12得点という成績を残した。

2000年代

サミュエル・エトー(カメルーン代表)
生年月日:1981年3月10日
代表通算成績:118試合出場/56得点
主な獲得タイトル:アフリカ年間最優秀選手賞(2003、2004、2005、2010)、ラ・リーガ得点王(2005/06)、UEFAチャンピオンズリーグ([バルセロナ]2005/06、2008/09、[インテル]2009/10)、ラ・リーガ(2004/05、2005/06、2008/09)、セリエA(2009/10)、アフリカネーションズカップ(2000、2002)

 史上最多4度のアフリカ最優秀選手賞、チャンピオンズリーグ制覇3回など個人でもチームでも数々のタイトルを獲得してきた、2000年代の欧州サッカー界を代表するストライカーだ。16歳でカメルーンからスペインに渡ってレアル・マドリードと契約した。

 しかし、マドリーではなかなかチャンスを得られず、1999/2000シーズン途中に移籍したマジョルカでブレイクを果たす。2002/03シーズンには離島の小クラブにコパ・デル・レイのタイトルをもたらし、2004/05シーズンからはバルセロナへと引き抜かれた。

 エトーが最も成功を収めたのがバルセロナ在籍時だ。1年目からリーグ優勝に貢献し、ラ・リーガ制覇は3度。2005/06シーズンと2008/09シーズンにはCL優勝を果たし、ロナウジーニョやリオネル・メッシとともに強力な攻撃陣を形成した。

 ペップ・グアルディオラと仲違いして移籍したインテルでは2009/10シーズンにCL、セリエA、コッパ・イタリアの三冠を達成した。2010年代に入るとロシアを経てチェルシーやエバートンに在籍し、イタリアのサンプドリア、トルコのアンタルヤスポルとコンヤスポルを渡り歩いて中東カタールへ。そして2019年9月に現役引退を表明した。

 カメルーン代表としては1998年、2002年、2006年、2014年と4度のワールドカップに出場。2000年と2002年にはアフリカネーションズカップ制覇も経験している。A代表通算で118試合に出場し、2014年の代表引退までにカメルーン史上最多の56得点を記録した。

ディディエ・ドログバ(コートジボワール代表)
生年月日:1978年3月11日
代表通算成績:104試合出場/65得点
主な獲得タイトル:アフリカ年間最優秀選手賞(2006、2009)、リーグ・アン年間MVP(2003/04)、プレミアリーグ得点王(2006/07、2009/10)、UEFAチャンピオンズリーグ(2011/12)、プレミアリーグ(2004/05、2005/06、2009/10、2014/15)、スュペル・リグ(2012/13)

 コートジボワールで生まれ、フランスで台頭し、イングランドで成功を収めた屈強な体躯を誇るストライカーだ。チェルシーでプレミアリーグ優勝を4度経験し、2000年代から2010年代前半にかけて欧州の最前線で活躍した。

 特に2009/10シーズン、ニコラ・アネルカと2トップを組んでプレミアリーグ優勝を果たした1年はリーグ戦32試合出場29得点と凄まじいゴールラッシュを見せた。圧倒的なパワーや空中戦で前線を制圧するのみならず、スピードにも優れ、ポストプレーからのアシスト能力も兼ね備えていた。

 そして、ビッグゲームにおける勝負強さもドログバを語る上では欠かせない。10回の「決勝」で10ゴールを決め、その全てでトロフィーを獲得している。2011/12シーズンのCL決勝では同点ゴールを決めるとともに、PK戦の最後のキッカーとして優勝の立役者となった。

 コートジボワール代表では2006年、2010年、2014年と3大会連続でワールドカップに出場した。2014年ブラジルワールドカップのグループリーグ初戦、日本代表戦では1点ビハインドの62分から途中出場すると、会場の雰囲気を劇的に変え、逆転勝利の呼び水となるなど、ピッチに立つだけで圧倒的な存在感を放った。

 中国やトルコ、カナダ、アメリカでプレーして2018年に現役を引退した。

2010年代前半〜

ピエール=エメリク・オーバメヤン(ガボン代表)
生年月日:1989年6月18日
代表通算成績:51試合出場/20得点
主な獲得タイトル:アフリカ年間最優秀選手賞(2015)、ブンデスリーガ年間MVP(2015/16)、ブンデスリーガ得点王(2016/17)、プレミアリーグ得点王(2018/19)

 名門ミランの下部組織だが、なかなか芽が出ずレンタル先を転々とし、2011年1月に移籍したサンテティエンヌで飛躍のきっかけをつかむ。2011/12シーズンにリーグ戦16得点、2012/13シーズンに同19得点とスコアリング能力が覚醒して、ボルシア・ドルトムントに引き抜かれた。

 ブンデスリーガでは史上6人目のデビュー戦ハットトリックを皮切りにゴールを量産し、加入1年目の2013/14シーズンは13得点。驚異的なスピードを武器にウィングやセンターFWを幅広くこなし、年々ゴール数を増やしていった。バイエルン・ミュンヘンに阻まれてリーグタイトルこそ獲得できなかったものの、2015/16シーズンにはリーグ年間MVP、2016/17シーズンは32試合出場31得点でリーグ得点王に輝いた。

 2017/18シーズン途中にはアーセナルへとステップアップを果たし、半年のプレーで二桁得点を達成。2018/19シーズンはチームが苦しむ中で22得点を荒稼ぎしてプレミアリーグ得点王に。今季はシーズン途中からキャプテンにも就任し、相変わらずの高いゴールアベレージを記録している。

 ガボン代表は強豪ではないためワールドカップやアフリカネーションズカップなどの出場歴に恵まれないが、押しも押されぬキャプテンとしてチームを引っ張っている。

2010年代後半〜

サディオ・マネ(セネガル代表)
生年月日:1992年4月10日
代表通算成績:61試合出場/16得点
主な獲得タイトル:アフリカ年間最優秀選手賞(2019)、プレミアリーグ得点王(2018/19)、UEFAチャンピオンズリーグ(2018/19)、プレミアリーグ(2019/20)

 フランスのFCメスでプロデビューし、オーストリアのレッドブル・ザルツブルクに見出されて世界トップレベルから注目される存在となっていった。2014/15シーズンにはサウサンプトンへ移籍してプレミアリーグに参戦すると、加入1年目から二桁得点で存在感を発揮し、高い評価を受ける。

 そして2016/17シーズンにリバプールへと引き抜かれ、キャリアが大きく花開いた。一瞬の加速でトップスピードに到達する爆発的な身体能力でゴール前で違いを発揮するのみならず、豊富な運動量で守備にも献身的に走り、多岐にわたる働きぶりでチームに欠かせない中心選手の1人となった。

 加入3年目の2018/19シーズンには22得点とゴール数が倍増し、プレミアリーグ得点王に輝く。そしてCL優勝で欧州の頂点にも立った。今季も15得点を挙げるなど相変わらずのハイパフォーマンスでリバプールの悲願だったプレミアリーグ優勝に大きく貢献している。

 セネガル代表としてのタイトル獲得経験はないものの、2018年ロシアワールドカップのグループリーグでは日本代表からゴールも奪った。

モハメド・サラー(エジプト代表)
生年月日:1992年6月15日
代表通算成績:67試合出場/41得点
主な獲得タイトル:アフリカ年間最優秀選手賞(2017、2018)、プレミアリーグ年間MVP(2017/18)、プレミアリーグ得点王(2017/18、2018/19)、UEFAチャンピオンズリーグ(2018/19)、プレミアリーグ([チェルシー]2014/15、[リバプール]2019/20)

 スイスの強豪バーゼルからチェルシーに引き抜かれて注目されたが、当時はなかなかイングランドのサッカーに適応できず苦しんだ。それでもレンタル先のフィオレンティーナやローマで着実に評価を高め、2017/18シーズンに移籍したリバプールで大ブレイクを果たした。

 加入1年目から36試合出場32得点とウィングながら驚異的なペースでゴールネットを揺らし続け、プレミアリーグ得点王と年間MVPを獲得。2018/19シーズンも2年連続でリーグ得点王に輝き、CL優勝を果たしたことで世界最高峰のゴールスコアラーとしての評価を確立した。

 リバプールではサディオ・マネやロベルト・フィルミーノと組む3トップが鉄板になり、高度な連係を築き上げている。ウィングポジションから単独の仕掛けでゴールを陥れるだけでなく、周囲とのコンビネーションで抜け出してのフィニッシュも得意とするなど、プレーの幅は非常に広い。

 エジプト代表ではタイトル獲得はないが、絶対的な支柱として神のように崇められるほどの圧倒的な支持を獲得している。初めてのワールドカップ出場だった2018年のロシア大会は直前のCL決勝で負った怪我で本領発揮には至らなかったのものの、グループリーグ第2戦と第3戦でゴールを挙げて存在感は示した。

 今季はリバプールでプレミアリーグ優勝の立役者となり、また1つ勲章を増やした。シーズン開幕当初はなかなか調子が上がらず苦しんだものの、徐々に復調し、主に右サイドから違いを生み出している。