バルサが育てた選手は哲学を侵食する

 歴史のあるヨーロッパのフットボールクラブを「常勝」「“ザ哲学”」「港町」「ライバル」「成金」「小さな街の大きな」「名将」の7つのカテゴリーに分け、それぞれのフィロソフィーがどうなっているのか見てみようと試みた好評発売中の『フットボールクラブ哲学図鑑』(西部謙司著)から、バルセロナの章から一部を抜粋して全3回で公開する。今回は第3回。(文:西部謙司)

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 1950年代のスーパースター、クバラはハンガリー、チェコスロバキア、スペインの3つの国籍を持ち、3つの代表チームでプレーした異色の経歴を持つ。共産圏のハンガリーからソ連兵に扮装して亡命するなどドラマティックな半生は映画化もされ、クラブ史上でも最も人気のあった選手だった。筋骨隆々、急激に方向を変えるドリブルと正確なシュートで対戦相手を恐れさせた。

 しかし、エレニオ・エレーラ監督の戦術とは合わず、エレーラはクバラをホームゲーム限定で起用することもあった。エレーラも5つのパスポートを持つ異色のスーパー監督だったが、クバラとの相性が良かったとはいえない。

 クライフは西ドイツのボルシアMGから来たヘネス・バイスバイラー監督との確執があった。バイスバイラーは当時世界最高といわれた監督で、クライフについて「100%のプレーをしない」と批判していた。最終的に、会長はバイスバイラーかクライフかの選択を迫られ、クライフを選択。バイスバイラーはわずか1シーズンでバルセロナを去っている。

 マラドーナの場合は監督よりも会長ないしクラブそのものと対立したといえる。パウル・ブライトナーの引退試合への出場をクラブが禁止すると、抗議してトロフィールームにあったクリスタルのトロフィーを破壊。さまざまなストレスを溜め込んだマラドーナとの関係修復を諦めナポリへ放出した。

 クライフ監督もロマーリオとの確執があり、ルイ・ファン・ハール監督の時は起用法をめぐってリヴァウドと対立している。

 ただ、メッシとクラブの問題はそれまでとは意味が違っている。

 メッシはバルサが育てた選手だ。外様のスターとは違い、バルサのスタイルと合わないはずがない。しかし、やがてメッシはバルサのスタイルに収まり切れなくなった。唯一、近いのは1シーズンだけプレーしたロナウドかもしれない。1人でドリブルしてゴールをしてしまうロナウドの存在は、ボビー・ロブソン監督が言ったとおり「戦術ロナウド」であり、バルサのプレースタイルをある意味破壊している。

 メッシは歴代スターのようなエゴの衝突ではなく、あまりにも存在感が大きくなりすぎたためにバルサが培ってきた哲学が浸食され、危機に直面しているという、どうしようもない種類の問題なのだ。

 勝つためにはメッシシステムを作ってしまうのが合理的だ。しかし、そうするとどんどんバルサスタイルから離れてしまう。歴代監督は何度もバランスを取り直したが、結局はメッシの巨大な引力には逆らえない。確固としたスタイル、カタルーニャの宝といえる唯一無二のフットボールを持ったがゆえに、唯一無二のスーパースターとの兼ね合いに苦しんでいる。「クラブ以上の存在」はメッシになってしまった。

 ただ、当たり前とはいえ、メッシもいずれチームを去る。その時は再びバルサのスタイルに原点回帰するのだろう。

(文:西部謙司)