【トップ直撃】「表示灯株式会社」の吉田大士・取締役会長 苦節50年…輝き続ける“街の灯”

【トップ直撃】「表示灯株式会社」の吉田大士・取締役会長 苦節50年…輝き続ける“街の灯”

★「表示灯株式会社」の吉田大士・取締役会長(75)

 JRや私鉄などで、誰もが目にしたことがあるであろう駅の地図「ナビタ」は北海道から沖縄まで約3000カ所に設置され、シェアは9割を超える。数多くの案内表示・広告事業を手がけ、全国区に育て上げてきた功労者だ。創業からモーレツな勢いで駆け抜けてきたが、仕事をする上で心の軸におくのは「誠実さ」と言い切る。成功の影には、臆することなく旺盛に人とつながった軌跡があった。 (三宅陽子)

 −−主力事業を教えてください

 「基幹事業は『ナビタ事業』です。ナビタは、設置する地域の官公庁や優良商店、名所、広域避難場所などの情報を記した総合案内地図。全国の鉄道駅に設置されている『ステーションナビタ』▽役所など自治体施設に置かれている『シティナビタ』▽警察施設にある『公共ナビタ』−の3つに区分されます。他にも、行き先の方向を示す案内表示などの『サイン事業』、電飾看板やポスターなど一般広告を扱う『メディア事業』などを展開しています」

 −−2017年2月、50周年を迎えます

 「会社は高校の同級生2人と立ち上げました。当時、私は25歳。仲間とは『“馬の骨集団”だから、信用を得るために誠実な仕事をしよう』『もうからなくても公共的な仕事をしよう』などと話し合いました。間もなく、ナビタの原型となる『駅付近優良商工案内図』を開発しましたが、鉄道各社との取引関係はまったくなく、置いてくれる場所を求めて一から出発しました」

 −−取引先の開拓にはどんな苦労があったのでしょうか

 「まず、設置をお願いしに名古屋鉄道の一宮支配人室に行きましたが、当時の営業課長から『あなたの大学はケンブリッジかオックスフォード? 東大?』『会社はできて何年?』『子供さんは?』などと質問されました。どれにも該当しなかった私に向けられたのは『名鉄はそれなりの会社。諦めなさい』という言葉。それでも、夜も朝も自宅にまでお願いにあがり、今自分にできることとして、お付き合いしていた女性には結婚をお願いしました。それを報告に行き、“結婚祝い”としてようやく、名古屋市の上飯田駅に第1号を設置してもらえました」

 −−名鉄の各駅をはじめ、その後は、全国各地の鉄道駅を次々と“制覇”した。立ち止まることはなかったのでしょうか?

 「近畿日本鉄道は苦戦しました。私の机と椅子が用意されるほど通いましたが、何もない時は、黙って座っているだけ。朝行って午後3時ぐらいになると『失礼させていただきます』と言って退室する…。『みんな自分をバカだと思っているんだろうな』と思いながらね。そんなことを続けていたある日、胃潰瘍で吐血してしまった。入院すると、近鉄の担当者が来て『一番のお見舞いはあなたの申し出をお受けすることですね』と言ってくれた。こうして近鉄各駅へ案内図が設置されるようになりました」

 −−営業ノウハウの伝承を含め、後進はどう育ててきたのでしょう

 「就業規則を作った当初は『弱い者同士の慰めあいはペナルティーの対象とする』という文言がありました。仕事がうまくいかない時や上司に叱られたとき、同じような境遇の社員とやけ酒を飲めば気持ちは晴れるでしょう。しかし、逃げることで問題は何も解決しない。どのような場面でも自分を冷静に見つめ、前向きに取り組むことで初めて解決する道がみつかり、人は成長できるのだと考えています」

 −−将来像を教えてください

 「ナビタは今や全国に広がり、現在は画像や動画を交えたものも誕生し、多言語表記も進んでいます。利用者の利便性をより高めるため、ナビタの情報をインターネット上でも利用できるサービス『e−ナビタ』の展開も始まりました。今後もスマホやタブレット端末などと連携し、“街の案内人”のみならず“街のよろず相談屋”として、さらにきめ細やかなサービスを展開していきたいですね。全国各地の『街の灯』作りに貢献できる企業であり続けたいと思っています」

 【原点】金属加工業を営む家の三男として生まれた。

 「『大士(もとひと)』という名前は父が付けたもので、「おおきいもののふ(武士)」という意味が込められているといいます。この意味を知ったときから名前がライバルになりました」

 【青年期】太くしなやかな“背骨”は、高校時代に養われた。

 「入部したホッケー部は国体の常連で全国優勝もする伝統校でした。同じ学年では100人ほどが入部しましたが、1カ月ほどたつと6〜7人に激減してしまう厳しさでした。私のポジションはゴールキーパー。得点を決めてチームを勝利に導くことはできませんが、耐えてひたすら自分の仕事を全うすれば、負けはないと悟った。『負けない』ために戦い抜くという精神力はこの時、たたき込まれました」

 【旅立ち】高校卒業後は父の会社で働き始めたが「自分も父のように起業したい」との思いを抱き、一念発起。営業の勉強をするため、フランスベッドの販売会社に転職を決めた。

 「(父の会社を)『辞めさせてください』というと母たちは反対しましたが、父は何も言わず黙っていた。でも、家を出て行く当日の朝、『とうとう出ていくか…』と涙をポタポタ流した。あの時、心に決めたのは『僕は吉田家を逃げ出すんだ。逃げ出すのはこれを最後にしよう』ということでした」

 【絆】独立後も家族に支えられてきたという。

 「5歳年の離れた次兄=久味男(くみお)氏=とは深い絆で結ばれています。会社創業時、資金繰りに困ったときに手を差し伸べてもらったり、難航していた案内図の設置交渉では重要人物を紹介してもらったりと、折々に助けてもらいました。1999年、その次兄を2代目社長として迎えました」

 【ストレス発散法】タフな精神の持ち主だが、独立後は知らず知らずのうちにストレスをため込むことも多かった。

 「若い頃には3度の吐血を経験しました。その時、主治医から『すべてを忘れられる趣味を持ちなさい』といわれ、スキューバダイビングを始めました。友人らと世界中のサンゴ礁ポイントを回ることは大きな喜びです」

 【会社メモ】交通広告や屋外広告の企画・制作などを手がける総合広告代理業。1967年創業。本社・名古屋市中村区名駅。資本金1億2479万円。社員数335人(2016年12月1日現在)。

 ■吉田大士(よしだ・もとひと) 1941年5月17日、名古屋市出身。名古屋市立向陽高校卒。60年、父が経営する清玉刃物製作所に入社。67年、高校の同級生2人と日本交通表示灯を設立し、同社代表取締役社長に就任した。77年、社名を表示灯に変更。99年、同社代表取締役会長に就任した。2003年3月から現職。

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