私は最近、「いたりきたり」という落語を、よく高座にかけています。これは「爆笑王」という異名をとった桂枝雀師匠の創作落語で、後半部分は春蝶なりに一から書いたものにしております。

 この一席について、私は「桂枝雀の相対性理論」と位置付けています。説明すると、人間とは常に相対しているものであり、反対側から見てしまうものではないかと。同じところを見ていても、どちらから見るかで意見は異なる。異なっているのだが、実は同じものを見ている。

 例えば、こちらが「5時45分だ」と言っても、あちらは「それは違う、6時15分前だ」と言う。同じことを言っているのに見方が違うだけで人はもめてしまうので、相手の立場になって見てあげることが大切だと。相手のサイドで物事を客観的に見ると、自分の心が落ち着いてくる…そんな考えを独特のウイットで伝えていく噺なのです。私はこの噺にとても共鳴しました。

 そういえば、それを体感することが最近いくつかありましてね。新型コロナウイルス騒動で、ある仕事がキャンセルになりました。その仕事は刑務所の慰問です。服役している人たちに落語を届ける仕事だったんですが、キャンセルです。

 私は不思議に思ったんです。刑務所って常に団体行動で、塀で守られている。コロナが何か関係あるの? と。

 それを仕事仲間にいうと、「春蝶さんがウイルスを運んでくると思われたんじゃない?」と言われましてね(笑)。

 確かに、これも相対性であり、状況が変わると立場も変わる。何なら「善悪」ですら逆転するのです。とても勉強になりました。

 もう一つあります。

 私は「左翼的思想」の持ち主が苦手でした。反対ばかりで代替案を出さないカウンター待ちの集団、権力に楯突くことだけが生きがいで自分からは何も生み出さない非生産的な人間の集まり、だと思っていました。

 ところが、コロナ騒動で彼らを理解できた…というか、自分も彼らと同じところで生きているなと初めて思えたのです。

 いま、彼らが注目されることはほとんどありません。なぜなら、今は平時ではなく、戦時中と言っていいほどリアルな大有事に直面しているからです。そう、左翼思想とは平和な時だけ有効なコンテンツなのですね。

 今のコロナ騒動を見れば、「桜を見る会」の問題などクズ案件で、逆に、桜が華やかだったときの日本は平和でした。だからリベラルも活躍できたのです。いま、野党の声は誰の耳にも届かない。これは本物の不幸がこの国を覆っているからに他なりません。

 平和な時にしか舞台が与えられない…。まるで私たちと同じです。芸能に携わる人になぜ、左翼的な人が多いのかが、少し読み解けたような気がしました。

 ■桂春蝶(かつら・しゅんちょう) 1975年、大阪府生まれ。父、二代目桂春蝶の死をきっかけに、落語家になることを決意。94年、三代目桂春団治に入門。2009年「三代目桂春蝶」襲名。明るく華のある芸風で人気。人情噺(ばなし)の古典から、新作までこなす。14年、大阪市の「咲くやこの花賞」受賞。