人気と過密スケジュールのピークで起きたバイク事故。それをきっかけに演奏活動をやめて8年。ボブ・ディランとザ・バンドの全米公演が発表されたのは、ウォーターゲート事件まっさかりの1974年。僕は寝袋をリュックに入れ、汽車、バス、ヒッチハイクでニューヨーク、シアトル、ロサンゼルス…、行ける限り追いかけた。

 サンフランシスコでは和製ディラン、友部正人と合流しビート聖地のシティライト書店でボブの先輩詩人、アレン・ギンズバーグと邂逅。ヒッチハイクではディランゆかりのバンド仲間やサーカスの娘に拾われたり、宿を提供してもらったり。

 フィナーレはロス最終公演の駐車場で、リンゴ・スターを囲んで「ディランを大統領に!」とイエロー・サブマリンの大合唱。“時には合衆国大統領も裸で立たねばならない”と大喝采を浴びた「イッツ・オールライト・マ」。その予言が的中したように、間もなくニクソンは辞任した。

 NYに戻ると、クラブシーンは活気を取り戻し、僕は街頭で会ったブルース・スプリングスティーンという新人歌手の誘いで、そのライブを観て、迫力に圧倒された。

 70年代のディランの最高傑作『血の轍』が発表され、僕はそのアルバムをカセットに録音するとまた荷作りし旅に出た。

 75年3月、僕はサンフランシスコのキーザー・スタジアムにいた。あのディラン&ザ・バンドのツアーを成功させた興行師、ビル・グラハムが市の教育委員会の落ち度でスポーツや文化面で課外活動ができなくなった高校生のため、サンタナ、ドゥービー・ブラザース、グレイトフル・デッドらに協力を呼びかけて実現したSNACKベネフィット・コンサート。67〜69年頃のラブ&ピースに満ちたシスコの光景がよみがえったかのようなイベントだった。

 サプライズで登場したマーロン・ブランドが熱い言葉で変革を呼びかけると、フィナーレには、なんとディランがニール・ヤング、ザ・バンドのメンバーとステージに立ち、『ヘルプレス』から『天国への扉』、『永遠の絆』を熱唱。

 それはロックの戦士たちの次の美しいユニオン、「ラスト・ワルツ」につながる光景だった。ディランと過ごせたあの14カ月は僕の宝物だ。(ロックランナー・室矢憲治)

 ■ボブ・ディラン 1941年5月24日生まれ、78歳。62年にデビュー。『風に吹かれて』『時代は変る』『ライク・ア・ローリング・ストーン』などヒット曲多数。2016年、ノーベル賞文学賞を受賞。

 ■室矢憲治(むろや・けんじ) 東京都生まれ、ニューヨーク育ち。ビートルズ、ボブ・ディランをリアルタイムで体験し、片岡義男らと『ワンダーランド』を創刊。『宝島』『朝日ジャーナル』などにロックライターとして寄稿。詩人、メディア・パーソナリティーとしても活動している。