★畠中恵『わが殿』(文芸春秋 (上)(下)各1400円+税)

 使えねぇヤツや文句ばかりの若いモンにウンザリしている世の経営者方。こんな部下が、ひとりいたらどんなにラクなことか。命の危険も顧みず、大胆なアイデアと度胸で組織を救い、忠誠心は忘れない…。幕末期、破綻寸前の小藩(大野藩)を再生させた実在の武士(内山七郎右衛門)の物語。(文・南勇樹 写真・高橋朋彦)

 −−大野藩の年間収入は1万2000両しかないのに借金は9万両。そこで藩内の銅山をカタに幕府から巨額のカネを借りることを思いつく

 「幕府からの最初の借金が3万両。それも一度だけじゃなくて何度も借りている。この事実には私もびっくりしましたが、ちゃんと資料に残っているんですよ。(七郎右衛門は)坂本龍馬みたいに、名をはせた人ではありませんし、地元以外ではほとんど知られていません。『お金に詳しい』ところを除けば、とりたてて特長がある人でもなかったと思います。『雇われて強い』タイプというのかな」

 ■初の実在人物モチーフ

 −−殿(大野藩主・土井利忠)の信頼は絶大

 「似たようなケースは他の藩でもあったのだけれど、途中で、取り巻きが反対して藩主が日和(ひよ)ったりして、(部下の藩士が)切られたり、責任を取らされてしまう。大野藩の場合、ずっとお殿さまがブレずに一貫し、(七郎右衛門を)信頼して仕事を任せたことも大きかったと思います」

 −−藩直営の店舗を全国各地につくったり、北前船の交易でガッポリもうけたり。まるで今のベンチャー企業みたい

 「(本作に)書ききれなかったくらい、いろんなことをやっていた。北前船などは、一航海で1000両もの利益があったといいますね。大野藩が4万石の小藩だったことで逆に動きやすかったのかもしれません。藩主の意志も浸透しやすい。大藩であればいろんな横やりも入ったでしょう。(幕府が衰退期にあった)時代も良かった。これが1800年ごろならば、大野藩がこれだけ自由にやれたかどうか…」

 −−実在の人物をモチーフにした小説は初めて

 「お話は随分前からいただいてたんですが、別の資料を見ているとき、多くの藩が多額の借金に苦しんでいた幕末期、赤字を出さなかった小さな藩(大野藩)があったことを知りました。他の仕事をしながら、現地(福井県)へ行き、地元に残っている資料をあたり、書くまでに4、5年はかかったでしょうか」

 −−実在の人物を描く難しさは

 「まず、お殿さまと七郎右衛門の年表をつくりました。彼らがやっていないことは書けませんからね。純然たる小説ならば『ここで盛り上げて』と思うところでも、それができません。ただ、私の思いを込めたセリフはつくりましたよ。お殿さまが七郎右衛門のことを『お主はわしの打ち出の小槌』と呼んだのは創作ですけれど」

 ■写真が現存「七郎右衛門は男前でしたよ」

 −−映像化しても面白いのでは

 「そう思いますね。とにかく地元には詳細な資料がたくさん残っているんです。(明治まで生きた)七郎右衛門は写真もある。見ると、なかなかの男前でしたよ」

 −−これまで「しゃばけ」「まんまこと」などユニークなタイトルが多いが、本作はシンプル

 「『わが殿』というのは実をいうと、新聞連載のときに、仮のタイトルとしてつけたものでした。短めで、分かりやすいタイトルがいいと言われたので」

 −−出版事情が厳しい時代にヒット作を連発している

 「いやいや厳しいですよ。ただ、刀マニアの女子が時代小説を読むようになったり、新たな現象も起きていますよ。(ネット時代になって)特に変えるところはないですが、なるべく的確な文章を書くことを心がけています。読んだときに内容がつかみやすい。私が伝えたいものをちゃんと受け取ってもらえるような文章ですね」

 【あらすじ】幕末期、北陸地方の小藩「大野藩」は財政難から借金が膨らみ、破綻寸前の状況に追い込まれていた。若き藩主、土井利忠は、抜本的な藩政改革に乗り出し、その責任者に4歳上で、わずか80石の内山七郎右衛門を抜擢する。藩主の絶対的信頼を得た七郎右衛門は、命の危険にさらされながら奇抜な策を次々に打ち出し、ついには起死回生のホームランをかっ飛ばす。時代小説の名手が初めて実在の人物をモチーフに描く、痛快物語。

 ■畠中恵(はたけなか・めぐみ) 1959年高知県生まれ。名古屋市育ち。60歳。名古屋造形芸術短大卒。漫画家を経て、2001年『しゃばけ』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞してデビュー。妖(あやかし)が縦横無尽に活躍する同シリーズはベストセラーとなり、16年には、吉川英治文庫賞を受賞した。他のシリーズに『まんまこと』『明治・妖モダン』などがある。