■国民の安全守るため「国家緊急事態条項」が必要

 日本の危機管理に関する法律は、これまで実際に危機が起きてからでないと成立できなかった。常に後手だった。そのため、中国発の新型コロナウイルスが国内で感染拡大し始めた際も困ったのである。

 想定外のことが起きる可能性があるにもかかわらず、「いまの法律のなかで全部できる」と言っている人は無責任だ。感染病への対処は一刻を争う。

 世界各国の憲法には、想定外のことが起きるかもしれないため、「国家緊急事態条項」や「非常事態条項」を入れている。目的はただ1つ、国民の安全を守るためだ。

 戦後の日本には「災害対策基本法」がなかった。この法律ができたのは、1959年、伊勢湾台風によって日本は大きな被害を受け。死者・行方不明者は5000人以上に上り、これがきっかけで、やっと災害対策基本法ができた。

 その後、64年の新潟地震、65年からの松代群発地震、68年の十勝沖地震と立て続けに大地震が起きた。これらを受けて、「地震予知連絡会」が設置された。

 テロ対策については、70年の「よど号」ハイジャック事件や、75年のクアラルンプール米大使館事件、77年のダッカ日航機ハイジャック事件など、過激派テロリストによる事件が起きて、政府は「犯人の要求に係る措置」を閣議決定した。「ハイジャック防止対策本部(常設)の設置」「ハイジャック等に対する対処方針」「非人道的暴力事件処理対策」などを決めた。

 78年の伊豆大島近海地震でも多数の死者・行方不明が出たことで「大規模地震対策特別措置法」ができた。

 95年の阪神・淡路大震災では、救助のために来た自衛隊の車両でさえ、許可がなければ被災地の道路を通行できなかった。そこで、「災害対策基本法の一部改正」によって、自衛隊、警察、消防などの車両の緊急走行が可能になった。

 「原子力災害対策特別措置法」も、99年に茨城県東海村でウラン加工施設事故が起こったことからできた。

 「何か起こったときにやればいい」と考えていても、できるわけがない。阪神・淡路大震災のとき、なぜ神戸市の被害はひどかったか。

 当時の神戸市長は共産党からも推薦を受けていた関係で、市内で自衛隊を含めた防災訓練をしなかった。そんな状況で被災して、自衛隊の活動は困難を極めた。自衛隊は、以前から訓練をしておいて、街の形状や特徴を理解しておいて初めて、円滑な救助活動ができるものである。

 有事のときに救えたはずの人を救えず、「想定外だった」といっても許されない。政治リーダーは、想定外のときにどう対処するか、それが求められる。想定内のことしか起こらないなら、マニュアルがあればいい。

 わが国にも、想定外のことが起こるからこそ、日本国憲法に「国家緊急事態条項」が必要なのである。

 ■田村重信(たむら・しげのぶ) 1953年、新潟県生まれ。拓殖大学卒業後、宏池会(大平正芳事務所)を経て、自由民主党本部勤務。政調会長室長、総裁担当などを歴任する。外交・国防・憲法・インテリジェンスのスペシャリスト。慶應義塾大学大学院法学研究科非常勤講師や、パトリオットTVメインキャスターなどを務める。著書に『ここが変だよ 日本国憲法!』(内外出版)、『秘録・自民党政務調査会16人の総理に仕えた男の真実の告白』(講談社)など多数。