大河ドラマ『どうする家康』『麒麟がくる』などには著名な戦国武将が登場します。しかしその裏に、もっと注目されてもいい<どんマイナー>なご当地武将が多く存在する!と話すのが「れきしクン」こと歴史ナビゲーター・長谷川ヨシテルさん。長谷川さんがそんな彼らの生涯をまとめた著書『どんマイナー武将伝説』のなかから、今回は「93歳の弓の達人・大島雲八」を紹介します。

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まるでマンガのような弓矢の腕前!

1600年(慶長5)、天下分け目の「関ヶ原の戦い」。勝利した徳川家康が3年後に征夷大将軍となって江戸幕府を開くキッカケとなった戦いです。

その歴史的な一戦に、なんと93歳で出陣していたかもしれない武将がいます。それが、美濃(みの。岐阜県)出身の大島雲八(おおしまうんぱち。実名は光義)です。

『寛永(かんえい)諸家系図伝』や『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ) 』などによると1508年(永正5)の生まれらしいので、のちに仕えることになる織田信長より26歳も年上ということになります。

大島家は徳川家や足利家という将軍家を輩出した清和源氏の流れを汲むそうですが、父・大島光宗が1515年(永正12)の合戦で討死したために大島家は没落。孤児となった8歳の雲八さんは親戚の大杉弾正という人物のもとに預けられたといいます。

大島家を盛り返すためにそこで弓矢の腕を磨いていたのでしょうか、初陣となった13歳の合戦で敵を弓矢で射抜く鮮烈デビューを飾ります。

雲八さんはとにかく弓矢の技術がハンパなかったみたいで、弓矢より射程距離のある鉄砲を相手にしてもお構いなし、鉄砲撃ちをバンバン射ち倒したそうです。

射程距離だけでなく強さもチート級だったらしく、敵が木の陰に隠れているのを発見すると、その木に目がけて矢を放ちます。雲八さんが放った弓矢は木を貫いて、隠れていた敵の首に命中! そのまま首も切れて、身体から離れたそうです。いや、マンガみたいな話!