「シェフは名探偵」としてドラマ化された『タルト・タタンの夢』にはじまる「ビストロ・パ・マル」シリーズや、『インフルエンス』『歌舞伎座の怪紳士』など、意表を突くミステリーの数々で多くの読者を虜にしている近藤史恵さん。だが、最新作『山の上の家事学校』はこれまでの作品と異なり、「家事」や「生活すること」をテーマにした長編小説だ。近藤さんは、なぜこのテーマに興味を持ったのか。夫婦間における家事の不平等の問題や、ご自身の生活の変化が作品にどのような影響を及ぼしたのか、お話を伺った。 (構成◎内山靖子)

* * * * * * *

<最新作『山の上の家事学校』​あらすじ>
東京の新聞社で記者をしていた仲上幸彦(43歳)は、仕事第一の生活をしていたところ、妻がある日突然離婚届を残して娘と家を出て行った。ほどなく大阪に転勤になり、それから約1年、一人暮らしの仲上の部屋には敷きっぱなしの布団と、出しっぱなしのペットボトルのお茶、出し忘れたごみ袋が散乱し、家の中は荒れ放題だ。そんな暮らしを見兼ねて妹が勧めてくれた「山の上の家事学校」に、一念発起して通い始めた仲上。「生徒は男性限定」の学校で様々な事情を抱える男性たちと出会いながら、じょじょに「家事を行う意味」や「家事の楽しさ」に目覚めていく。自分の力で生活する術を身に着けた仲上のもとに、果たして妻と幼い娘は戻って来るのか…。家事や育児に関する妻と夫の意識のギャップをリアルに描いた話題作。

「家事」をテーマにした理由

ここ1〜2年、いわゆる「丁寧な暮らし」ではなく、ごく普通に生活を回していく「家事」への関心が私の中で高まっています。正直な話、私自身も家事はあまり得意じゃないですし、ひとり暮らしなので、どうしてもおろそかになりがちです。料理をするのは好きなほうですが、掃除や片付けは大の苦手。面倒くさくて、仕事が忙しいのを口実に、つい「やらなくていいや」と目をそらしてしまう。でも、そうやって家事をおろそかにしていると、人生の質がどんどん下がっていくような気がして、漠然とした不安を感じるようになりました。

もうひとつ、社会の構造が「各家庭にひとり、必ず家事労働者がいる」ということを前提にデザインされていて、それが主に女性だということに、20代の頃からずっともやもやした思いを抱いていました。そのため、多くの女性は「部屋が散らかってる」という状態に罪悪感を抱いてしまうけど、母親や妻が家事を担っていると、男性によってはそれが自分の仕事ではないと考えてしまう。かく言う私も、10代の頃は母にお手伝いを頼まれても、「それはお母さんの仕事でしょ!」って、世の男性たちとまったく同じ感覚でした。

でも、今考えると、それってとてもおかしな話ですよね。自分が散らかした部屋なのに片付けなくていい、自分が出したゴミなのに捨てなくていいなんて。今回の小説でも書きましたが、それは男性の意識の問題だけじゃなく、そもそも社会全体がそういう構造になっているのがよろしくないんじゃないか、と。男性の政治家を見ても、自分で家事育児を担っているような人はほとんどいないように見えます。(笑) 

とはいえ、今や女性もフルタイムで働く人が増えている時代です。昭和のスタイルのままで家事を続けていくのはもはや無理がある。家事を一身に担わされている女性もソンをするけれど、自力では生活がままならない男性もソンをすることになる。最も寿命が短いのはひとり暮らしの男性というデータもありますからね。そんな世の中は女性にとっても男性にとっても生きづらい。そこで、家事に対する私の思いを綴った小説を書くことにしたのです。


近藤さんお手製の小豆粥(写真提供◎近藤さん)