1月20日の金田正一氏のお別れの会で顔を合わせていた

 11日に虚血性心不全のため84歳で死去した野村克也氏。現役時代には南海などで活躍し、戦後初の3冠王になり、監督としては3度の日本一に立った名将だった。

 現役時代にセ・リーグとパ・リーグとリーグこそ違えど、ライバル関係にあり、監督としても意識しあってきた存在がソフトバンクの王貞治球団会長だ。通算657本塁打を誇り、王会長が抜くまで通算本塁打のNPB記録のトップに立っていた。

 その王会長は11日、滞在していたキャンプ地の宮崎で報道陣に対応し、野村さんを悼んだ。

 王会長と野村氏は1月20日に行われた故・金田正一氏のお別れの会で会っていた。その時の様子を王会長は「車椅子ではあったけど元気だった」と振り返る。その時のエピソードも明かしつつ「お互いに最初に聞くのは『体調どうだい?』っていうのがね、あるんだけど。野球に対しての意欲は強いから、野球に対する想いがあるうちは体の調子もいいんでね。今朝聞いた時は『え?まさか?』というのが正直な気持ち」と突然の訃報に驚いた様子だった。

 通算400勝を達成した金田正一氏が亡くなったのは昨年10月6日のこと。そこからわずか3か月あまりで、同じ時代を戦った「戦友」がまた1人、この世を去った。王会長は「こんなに続いて、とは思わなかったね。年齢からいったら、ある程度そういうことが近づいているっていうのは本人が一番感じていたとは思うんですけどね。本当に同じ時代を悪戦苦闘して戦い抜いた戦友なんで、そういう人がカネさんはじめ、ノムさん、みんな亡くなられちゃうのは残念なこと」と悲しんだ。

 王会長は野村氏とのかつてのエピソードも明かした。「パ・リーグとセ・リーグということで日本シリーズとかオープン戦でしかやることはなかったですけど、僕がホームランを打てるようになってから、野村さんの家にお邪魔したりして色々ご馳走になったり野球の話をしたりして、大阪の家にも行ったりしたこともありました」。

 現役時代は南海(野村氏は晩年にロッテと西武にも在籍)と巨人に属していた野村氏と王会長。シーズン中での対戦はなかったものの、王会長が遠征で大阪を訪れた際に野村氏の自宅に行くなど、球団の垣根を越えて交流があった。王会長は「なんでも話せるというか、野村さんも僕といる時間は案外楽しそうにしてくれたんじゃないかな」と懐かしんでいた。

野村氏といえば“ささやき戦術”「なんかブツブツ言ってたね」

 野村氏といえば、試合中に打者へと話しかける“ささやき戦術”が有名だった。王会長は当時を思い返し「なんかブツブツ言ってたね」と一言。そして「聞こえるけど、それで打つ方にどうの、というのはなかったですね。それを聞いているようじゃバッティングできませんから。それに引っかかってるようじゃいい結果出せないから」と、王会長自身は打撃への影響はなかったと明かす。

 とはいえ、野村氏の野球観には敬意を抱いている。「頭の野球をやってましたね。常に今から前に進めていくためにどうすればいいかを考えていました。我々はどちらかというと感覚的な野球でやってきましたけど、ノムさんは感覚プラス頭脳的な野球をやったってことで、選手としても監督としても成功したんじゃないですかね」。監督時代も“ID野球”として成功を収めた野村氏。その頭脳は王会長も認めるところだったようだ。

 今の現役監督や現役選手の中にも野村氏に薫陶を受けた人は多い。西武の辻発彦監督や日本ハムの栗山英樹監督、楽天の三木肇監督、阪神の矢野燿大監督、ヤクルトの高津臣吾監督、中日の与田剛監督は“教え子”に当たる。さらに侍ジャパンの稲葉篤紀監督もそうだった。

「体の感覚だけじゃなく頭脳を使って、どういう風に自分の持てるものをいい結果につなげるか、というのが野村さんの野球だった。そういう点では今の時代に“ノムラ野球”というのは十分受け継がれている。選手に伝わって、それを選手たちが消化している。野村イズムはこれからも生きていくと思います」

 今季、ホークスの背番号「19」を受け継いだ甲斐拓也をはじめ、著書を通して野村氏の考えを吸収している選手も数多くいる。王会長は現在でも脈々と受け継がれている野村氏の野球観の素晴らしさを称えていた。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)