川崎氏の基礎を作った出会い「あの監督がいなかったら野球を続けていられなかった」

 本来ならば大好きな野球にファンも選手も没頭しているはずだった。しかし、各カテゴリーで開幕の延期や大会の中止が相次ぎ、見られない日々が続く。Full-Countでは選手や文化人、タレントら野球を心から愛し、一日でも早く蔓延する新型コロナウイルス感染の事態の収束を願う方々を取材。野球愛、原点の思い出をファンの皆さんと共感してもらう企画をスタート。題して「私が野球を好きになった日」――。第11回は元ヤクルト、中日で活躍した右腕・川崎憲次郎氏だ。

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 海沿いの街、大分県佐伯市で育った川崎氏は、物心つく前から野球が側にあった。「最初の出会いは3つとか4つの時なんですよ。家族がみんな野球好きでユニホームを着せていた、という話を聞きました。僕は覚えてないんですけど」と笑いながら振り返る。記憶に残るのは、小学2年生の時。地元のスポーツ少年団に入った頃からだ。

「小学2年生の時に球団に入りました。その時の監督がとても熱心な方で、僕の中では、あの監督がいなかったら野球を続けていられなかっただろうな、と思う方なんです。野球の本当の楽しさを教えてくれた方なんです」

 少年団で野球を指導していたのは小野公禄さん。スパルタ指導が全盛だった当時は珍しく、今で言う“のびのび野球”を実践する監督だったという。

「野球に対して厳しかった思い出はないんですよ。ただ、挨拶をしなさいとか、周りをしっかり見なさいとか、そういうことは言われました。野球に関しては、勝つためにプレーが制限されることはなくて、野球本来の楽しみ方、例えば、三振を取ってきなさい、ホームランを狙ってきなさい、ということしか言われてないんですよ。『バントしろ』とか言われなくて、真っ向勝負してきなさい、みたいな感じでしたね。練習も最後まで付き合ってくれました」

小学4年生でいきなり投手に抜擢「ランナーがいるのにワインドアップで投げたり…」

 小野監督は選手起用も大胆だったようだ。小学4年生のある日、川崎氏はいきなり試合でピッチャーを任されたという。

「いきなりピッチャーをやってこいって、マウンドに上げさせられたんですよ。それまで練習もしたことないのに、いきなり(笑)。ルールも全く分からないから、ランナーがいるのにワインドアップで投げたり、そういうチョンボもあったんですけど、とりあえず三振は取れたんですよ。それをどこか楽しみに感じたんでしょうね。こんなことでもなかったら、ピッチャーはやってなかったですよ」

 後に大分県立津久見高校から1988年ドラフト1位でヤクルトに入団し、最多勝タイトルを獲る投手が、小学生時代の大胆起用から生まれたというのだから、人生は面白い。

 小野監督に野球の面白さを教えてもらった川崎氏は、中学や高校で厳しい練習を課されても、野球を好きな気持ちを失わずにいられたという。

「今の子どもたちはかわいそうだな、と思うのは、最初から勝ちにこだわる野球をしようとするでしょ。まずは野球の楽しみを知ることが大切だと思います。野球ってレベルが上がるにつれて、いずれ勝負にこだわらなければいけなくなるんですよ。そのためにきつい練習も必要になる。そこで野球の本当の楽しさを分かっていないと、苦しい野球は続けられません。僕は小野監督のおかげで続けられたと思っています」

大好きだった原選手と初対面「東京ドームのベンチにいたら…」

 小学生の頃、川崎氏が夢中になったプロ野球選手がいる。それが巨人の原辰徳選手だった。「部屋中にポスターを貼ったり、写真集を持っていたり、原さんのバッティングフォームを真似して打っていましたね」と、懐かしそうに振り返る。そんな憧れのスターと対戦する日が来るとは、この頃は夢にも思わなかった。それは入団1年目、1989年のことだった。

「めちゃめちゃ感動しましたね。高校上がりの坊主が、いきなりスター選手と対戦するわけじゃないですか。その前の年までテレビで応援していた人たちが、対戦相手として自分の目の前にいる。最初は緊張もあったけど、うれしさ半分でした。夢のマウンドですよ」

 夢の世界の出来事のようで対戦結果は覚えていないというが、原選手と初めて言葉を交わした時のことは、今でも鮮明に覚えているという。

「1年目の開幕してすぐの頃、試合前の練習で僕が東京ドームのベンチにいたら、原さんがなぜか僕のところにツカツカっと歩いてきて『ちょっと尾花(高夫)さん呼んできてくれ』って言われたんですよ。すぐさま『ハイッ!』って(笑)。やっぱり緊張もしたし、うれしかったですよね。野手とか投手とか関係なく、やっぱり原さんが一番好きだったので」

 入団当時にヤクルトを率いた関根潤三さん、プロ2年目から教えを授かった野村克也さんと、今年は2人の恩師が相次いで他界。「今でも人の出会いには恵まれているんですよ」という川崎氏にとって、2人の訃報は堪えた。

「本当にお世話になった2人。1年目で高校上がりの坊主を訳も分からずに使ってくれたのが関根さんで、2年目からはノムさんにいろいろ教わり、いい夢も見させていただきました。すごく感謝している2人が立て続けに亡くなってしまったのが寂しいですよね」

 野球を通じて良い出会いに巡り逢ってきただけに、これからは自身から次の世代に伝える役目を担っていきたいという。

「僕にどこまでできるかは分からないですけど、伝えていくことが大事。野球本来の楽しみをいかに伝えられるか、伝承できるかというところじゃないですかね。そもそも野球は遊びだったもの。プロ野球は職業ですけど、遊びの部分をしっかり知っておかないと、本物はできないと思っています。勝つことが全てではない。野球の面白さだったり、野球に付属した礼儀だったり、そういうものを伝えていきたいですね」

【川崎憲次郎氏情報】
3月31日に著書「もう一度、ノムさんに騙されてみたい」(青志社)を発売。故・野村克也氏がヤクルト監督時代に開いたミーティングでホワイトボードに書き込んだ言葉・教訓を、川崎氏がメモしたノートを振り返りながら紹介する興味深い内容となっている。(佐藤直子 / Naoko Sato)