「家に警察が…」 自粛期間中に感じた、野球に対する世間の風当り

 第102回全国高校野球選手権大会の中止が決まり、約1か月。代替大会、引退試合、上の舞台、将来の夢……。球児たちも気持ちを切り替え、新たな目標に向かってそれぞれのスタートを切っている。新型コロナウイルスは彼らから何を奪い、何を与えたのか。Full-Countでは連載企画「#このままじゃ終われない」で球児一人ひとりの今を伝えていく。

 夏の予選は7年連続初戦敗退。選手18人、マネージャー7人の25人で最後の夏に臨む土気高校(千葉)。渡邊雄太主将は「やっぱりか…」との思いで夏の大会中止の一報を知った。相次ぐイベントや大会の中止から、高校野球だけではない、あらゆるスポーツへの風当たりの強さを身をもって感じていたからだ。

「自粛期間中にも少しでも体を動かそうと思って、家の前で素振りをしていたら警察を呼ばれてしまって…。両親が共働きでいなかったので、警察の方にはすみませんでした、気を付けますと謝りました。それからは自分の部屋で小学校の時に使っていた短いバットを振っていた。こんなときに野球なんて不謹慎だという、世間の目も感じていました」

 両親はそろって看護師。母は老人ホームで、父はコロナ禍が強まった4月から単身赴任で神奈川の病院に勤務している。医療の現場が今どれだけ大変かは報道を見れば明らか。それでも、両親がそんな姿を見せることは一切なかった。

「自分に心配をかけまいと隠してるんだと思う。それまでは朝慌てて学校に行って、遅く帰ってきてもごはんが出てくるのが当たり前という毎日だったのが、自粛期間で家にいるぶん、親がどれだけ大変な思いで働いていたかがわかりました」

 渡邊自身も卒業後は看護師を目指し、冬には大学受験を控える身。両親の影響はもちろんあるが、医療の現場を目指すことになったきっかけは些細なものだった。

「中学のとき、自己紹介シートみたいなのを書く課題が出て、将来の夢の欄でやりたいことが浮かばずに『なし』って書いて提出したんです。何でもいいから書きなさいと再提出になって母に相談したときに、看護師って仕事もいいかなって」

 特別やりたいことが浮かばないなか、「とりあえず」の気持ちで埋めた自己紹介シート。おぼろげに描いた夢に、当初父親は強く反対の意を唱えたという。人の助けになる仕事がしたいという渡邊に、「それならどんなものか、見に来るといい」と父が勧めたのは、勤め先の病院で行われた患者とのふれあいイベント。重症心身障がい者の病棟で行われたそれは、当時中学2年生だった渡邊にとって強烈な印象を残すものだった。

衝撃を受けた患者とのふれあい、将来への強い思いも「今は野球が最優先」

「どれだけ大変な仕事か伝えたかったんだと思います。実際、初めて患者さんを見たときはすごい衝撃を受けた。自分が自分の足で歩いて、手を使って食事をとって、普通に話をしていることが当たり前のことじゃないんだと強く感じました。同時に、そんな方たちに常に気を配って、お世話をしている父がすごいなとも。生まれて数か月、ずっと呼吸器をつけていないと生きていけない子もいて、少しでもこういう子が長生きできるよう、サポートできる人間になりたいとあらためて思いました」

 職場での父の姿を見て、むしろ強まった将来への意思。今は日々、医療従事者の現状を知り、ますますその思いが強まっている。

「医療にかかわる方々が大変な思いで働いているのは、人手が足りていないことが一番の原因。なりたいという気持ちが、絶対にならなくちゃいけないという思いに変わりました」

 18歳とは思えぬほどに将来への強い決意を語る渡邊だが、最後の夏へ懸ける思いはそれ以上。ほどなく受験も控えるが、今は何よりも野球が最優先の日々を送る。

「本当は受験勉強もかなり頑張らないと志望校には届かないくらい。でも、ここで辞めたら何も残らない。これまで野球をやってきたことを中途半端で終わらせたくないんです。まずは勝ちたい。そこできちんと区切りをつけて完全燃焼してから、夢に向かっての勉強を頑張りたい」

 決して強豪とはいえない、ごく普通の公立校の一部員が、最後の夏へかける並々ならぬ思い。コロナ禍のさなかで日増しに高まる“大志”よりも、今は目の前の一球に心血を注ぐ。(佐藤佑輔 / Yusuke Sato)