わずか1日の違いだけど

今後の日本とロシアの関係を左右しかねない、厄介な問題が持ち上がりました。ロシアで4月24日に成立した法律により、同国で第二次世界大戦の終結を記念する日が、これまでの9月2日から、9月3日へと変更されたのです。と聞いても、何がそんなに重大なのか、お分かりにならない方が多いと思います。この問題に関しては、以前この連載で「第二次世界大戦の始まりと終わり 日本とロシアの意識はこんなにも違う」というコラムを書いていますので、その内容をおさらいしておきましょう。

第二次大戦末期、ソ連はヤルタ会談での合意にもとづき、1945年8月8日に対日宣戦布告し、翌9日にソ連軍は対日攻勢作戦を発動しました。日本は8月14日にポツダム宣言を受諾し、16日に大本営は全軍隊に対して戦闘行為を停止するよう命令します。しかし、遅れて対日戦に参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も、満州、朝鮮半島北部、南樺太、千島列島への進撃を続け、日本軍も自衛的に応戦せざるをえませんでした。ソ連軍による作戦は、日本と連合国が降伏文書への調印を行った9月2日後も続けられ、ソ連軍が一方的な戦闘攻撃をようやく停止したのは、9月5日のことでした。

世界では一般的に、日本と連合国が降伏文書への調印を行った9月2日が、第二次世界大戦が終わった日とされ、この日が対日戦勝記念日になっています。ところが、かつてのソ連では1日ずれており、9月3日が対日戦勝記念日として祝われる時代が長く続きました。新生ロシアの時代になっても、当初それは変わりませんでしたが、9月2日を「第二次世界大戦終結の日」とする法律が2010年7月に成立し、それに吸収される形で、9月3日の対日戦勝記念日はなくなりました。

退役軍人やサハリン州住民の間には、9月3日の対日戦勝記念日がなくなってしまったことに不満な人々がおり、彼らは復活運動を続けてきました。しかし、プーチン政権は、日本との関係に配慮してか、これまでは応じる姿勢を見せず、この論争は収束していくものかと思われていたわけです。 

複雑な力学が絡み合い

しかし、今回、第二次大戦終結日を9月2日から3日に変更する法案がロシア連邦議会に提出されると、下院は4月14日に、上院は17日に可決し、プーチン大統領も24日にそれに署名して、法律が成立してしまったわけです。ちなみに、この法案を提出したのは、政権与党「統一ロシア」所属でサハリン州選出のカルロフ下院議員らであり、同氏は以前から9月3日の記念日復活を求めて熱心に活動していたようです。

今回のロシアの決定は、非常に多くの要因が複雑に絡み合った結果だと思います。以下でポイントを整理しますが、おそらくプーチン政権は、以下のような諸要因を総合的に勘案して、くだんの決定に至ったのでしょう。

まず理解しておくべきは、「ソ連が多大な犠牲を払いながらナチス・ドイツを倒して、人類を魔の手から救った」というストーリーが、ロシアの国家イデオロギーの根幹だということです。5月9日の戦勝記念日は、例年盛大に祝われますが、本年は75周年を迎えるということで、諸外国の元首も招いて大掛かりな記念式典を開催する予定でした。ところが、新型コロナウイルスの感染拡大により、その延期を余儀なくされたわけです。そこでプーチン政権は、もう一つの戦勝記念日、つまりドイツの同盟国である日本に勝利した日に目を付け、75周年式典の代替候補日にしたのではないでしょうか。ただ、神聖なる5月9日の代わりとなる日なので、9月2日では弱すぎます。そこで、ソ連時代に「軍国主義日本に対する戦勝記念日」として祝われていたがゆえに、国民の愛国的な感情によりアピールしやすい9月3日に白羽の矢を立てたということではないでしょうか。

その際に、9月3日を求める声は、やはりサハリン州を中心としたロシア極東地方に多く、翻って、その極東ではプーチン政権の支持基盤がやや心許ないという事情もあったかもしれません。現に、最近の選挙では、与党が極東で苦戦する現象が目立ちます。コロナ感染拡大の渦中で、改憲を問う国民投票という重要行事も控えていることから、プーチン大統領としてはここで極東の住民感情に譲歩して政権の求心力を高めようという考慮も働いたのかもしれません。

もう一つの背景として、「9月2日を第二次大戦終結の日として祝うのは、リベラル派が不埒にもアメリカに追従した結果だ」という不満が、保守派の間に根強かったことが挙げられます(9月2日を第二次大戦終結の日とする法案に署名したのは、対米協調派のメドベージェフ大統領だった)。保守派に言わせると、欧米は5月8日を対独戦勝記念日としているけれど、ロシアは独自に5月9日に祝っている、それと同じように対日戦勝記念日も欧米の9月2日とは別に9月3日に祝えばいいのだ、という理屈になります。

欧米と一線を画すという姿勢の裏返しとして、中国との連携を強化するという狙いもあるでしょう。中国では、国民党率いる中華民国が1945年に9月3日を対日戦勝記念日に指定しましたが、中華人民共和国の時代になってもその伝統が継承されており、9月3日が抗日戦争の記念日として全国的に祝われています。今日のロシアは、中国を戦略的パートナーとしているので、ロシアも第二次大戦終結の日(という名の対日戦勝記念日)を9月3日に設定することによって、両国の足並みが揃うというメリットがあるわけです。

他方、実は9月3日という日付は、ロシアの国内政治上、機微なものでした。2004年に北カフカス地方の北オセチア共和国でチェチェン人テロリストが「ベスラン学校占拠事件」を起こし、子供186人を含む300人以上が死亡するという大惨事となりました。その惨劇が起きたのがまさに9月3日であり、それ以来この日は、テロに反対し犠牲者を追悼する日と位置付けられてきたのです。遺族にとっては、こうした日に華やかな戦勝祝賀パレードが行われたりするのは耐えがたいことであり、彼らを代弁して、大統領付属人権評議会も大戦終結日の変更には反対していたのです。結局、こうした反対の声を押し切って、今回の法改正がなされたことになります。「プーチンは忌まわしいベスランの過去を忘れたいのではないか」などと、うがった見方をする向きもあります。

これはロシアではなく、ベラルーシにある大祖国戦争史博物館の展示。ベラルーシと日本は、まだ本格的に出会ったことすらない国同士だと思うのだが、にもかかわらず、「かつてのベラルーシの敵国=軍国主義日本」というような意味合いで展示されているのが、やりきれない(撮影:服部倫卓)

日本国民には納得しがたい勧善懲悪のストーリー

もちろん、今回の大戦終結日の変更には、日本との関係を意識した側面もあることは事実でしょう。サハリン州選出の議員などには、「日本に勝利した」ということを改めて強調し、領土問題に終止符を打ちたいという思惑があったとされます(北方領土はロシア側の行政区画ではサハリン州所属)。しかし、今回の決定は、全体としては、上述したようなロシアの国内および対外関係の事情から出てきたものであり、実は日本の影は薄かったかもしれません。

いずれにしても、日本としては、ロシア国民がカタルシスを味わうためのダシに使われたのでは、たまったものではありません。今回の決定が、今後の日露関係に影を落とすことは必定でしょう。報道によれば、日本政府はロシア側に、モスクワでの戦勝75周年式典が9月3日に行われるのなら、安倍晋三首相は出席できないとロシア側に伝達したとのことですが、それも当然だと思います。

大戦末期のソ連は、対日参戦を正当化するため、「軍国主義日本」というレッテルを張り、「ファシスト・ドイツ」と同列のもの位置付けました。もちろん、敗戦までの日本が軍国主義的であったことは事実ですが、スターリン体制のソ連がそれよりマシな国だったとは思えません。現実にはソ連は領土獲得や極東での影響力拡大のために対日参戦したに違いないのですが、それが勧善懲悪のストーリーにすり替えられ、今でも政治利用されるのは、我々日本国民には納得しがたいところです。