来る11月3日(米国時間)はアメリカ大統領選挙である。大統領選挙に際してアメリカでは、社会的に影響力のある団体や個人、企業などが、候補者に対する支持・不支持を公にすることが常である。米軍退役将官たちのグループもその例に漏れない。

米軍(連邦軍である海軍、海兵隊、陸軍、空軍、宇宙軍、沿岸警備隊)は現役将兵だけでもおよそ140万人、予備役がおよそ85万人と極めて人的規模が大きい組織だ。それに加えて退役軍人がおよそ2千万人にものぼる。現役、予備役、退役軍人たちの家族を含めると、アメリカの総人口(2019年国連推計でおよそ3億2900万人)の1割近くの人々が直接軍隊に関係していると推測できる。

退役した軍高官が特定の候補者支持を表明したからと言って、それが多くの軍関係者の投票行動に直接反映されるわけではない。

とはいっても、退役将官の中には軍を去ってからも尊敬を集めている人物も少なからず存在するし、現役や予備役の人々との個人的なつながりを維持している人々も多い。そのため、3千万前後の軍関係人口や、裾野の広い軍需関連産業関係者、それに退役将官の誰かを尊敬している一般の人々などの意思決定になにがしかの影響を与えていることは間違いない。

■共和党支持者もバイデン氏へ

2016年の大統領選挙(トランプvsヒラリー・クリントン)においても88人の退役将官グループがトランプ氏支持を表明し、それに対して110人の退役将官グループがクリントン氏支持を表明した。

今年も同様に235人の退役将官グループがトランプ大統領支持を表明(9月14日)し、489人の退役将官グループ(9月24日)ならびに73人の安全保障関係機関(国防総省やCIAなどの諜報機関)の元高官たち(8月20日)がそれぞれバイデン元副大統領支持を表明した。

支持者を前に演説するバイデン前副大統領=3月3日、米カリフォルニア州ロサンゼルス、藤原学思撮影

前述したように、退役将官や元政府高官たちが個人的にあるいはグループで特定の候補者の支持を表明することは何も目新しい出来事ではない。しかし、今年の選挙戦における軍関係者たちのトランプ支持、バイデン支持の内容は、これまでとは様相を異にしている。

2016年と2020年の大統領選挙を比較して、共和党候補支持を表明したグループの将官が88人から235人に、民主党候補支持が110人から489人とそれぞれおよそ2.5倍、4.5倍と飛躍的に多くの退役将官が名前を連ねただけではない。

489人のバイデン支持(というよりはトランプ絶対不支持)グループは、民主党支持者だけでなく、政策的な共和党支持者、民主党や共和党以外の政治信念を持つ者たち、支持政党を問わない退役将官のグループであることをわざわざ明示している。また、73人の安全保障関係機関の元高官たちは、すべて共和党政権時代に要職に就いていた共和党支持者たちである。

このような事態は、30年近く北米を拠点にしている筆者にとってはもちろんのこと、筆者周辺の共和党支持者も民主党支持者も口をそろえて「初めての経験だ」と話している。

■国防政策が原因ではない

大統領選に向けた集会で演説するトランプ大統領=10月24日、オハイオ州サークルビル、青山直篤撮影

このように共和党支持者である軍関係者たちが大挙してトランプ不支持を表明しているのは、トランプ政権の防衛政策に反対しているからではない。中国やロシアといった強敵を主たる仮想敵に掲げることにより米軍を強化して、かつての偉大なアメリカを再現しようという「強兵政策」の基本方針そのものに対して、軍関係者が反対する理由は乏しい。

ビジネスマンであるトランプ大統領が、裾野の広い軍需産業を活性化させるという経済浮揚効果をも見据えて、海軍力や航空・宇宙戦力を大幅に強化しようという方針に対しては、現役・退役を問わず海軍や空軍それに宇宙軍や沿岸警備隊関係者は大いに期待しており、当然そのような国防政策を支持することになる。

しかしながら、多くの海軍提督や空軍将軍を含む500人近くの退役将官たちがトランプ氏の再選を阻止しようとしているのは、トランプ氏自身の軍隊そのものに対する認識が合衆国憲法、あるいはアメリカの民主主義の観点から判断すると極めて危険であると、退役将官たちが考えているからである。

■「国民軍」を暴動に投入する問題

このことは、すでに6月に表面化している。

5月下旬にアメリカのミネソタ州ミネアポリスで発生した白人警官による黒人男性の殺害事件に端を発して、反人種差別を掲げた大規模な抗議活動が全米各地で勃発した。それらの抗議活動に乗じて、ある程度の略奪事件が発生したものの、ほとんどは一般市民による大規模な抗議活動であった。

ところがトランプ大統領は、暴徒化したケースをとりあげて、それらの抗議活動を鎮圧するために自らが最高指揮官を務める米軍を投入するという姿勢を打ち出した。それに対して、米軍や国防総省などの高官を務めた多数の人々が、憲法上の危機であるとして、強く反対を唱えた。

すなわち「米軍の全ての将兵は、アメリカ国民をアメリカの敵から守るために命を投げ出すことになっても戦うことを憲法上誓約している。そのような米軍を、憲法上の権利を擁護しようと抗議運動に参加しているアメリカ国民に差し向けるとは何事だ」というわけだ。

「黒人の命も大切だ」と叫びながらデモ行進をする市民=6月19日、米ニューヨーク、藤原学思撮影

とりわけ、トランプ大統領就任から2年間にわたって国防長官としてトランプ政権を支えたジェームズ・マティス元海兵隊大将は、米誌アトランティックに寄せた声明文(6月3日)で、次のように怒りをあらわにして大統領を批判した。「私の人生のうちで、ドナルド・トランプは、アメリカ国民を団結させようと努力しない、あるいは団結させようと見せかけもしない、それどころかアメリカ国民を分断させようとしている、たった一人の大統領だ」

「海兵隊員の中の海兵隊員」と呼ばれた猛将であるとともに、戦史や戦略に精通する理論家でもあったマティス前国防長官は、国民軍としての米軍の大原則を防御しようとしているのである。

ちなみに国民軍とは「国民全体を防衛するために、国民によって組織され、国民によって構成される軍隊」であり、米軍はその誕生(米陸軍1775年6月14日、米海軍1775年10月13日、米海兵隊1775年11月10日)の当初より、国民軍であった。

そして米軍をはじめとする国民軍にとって、「自国民の憲法上の権利を抑圧するために、同胞である自国民に対して武力を行使してはならない」という原則は、絶対に侵してはならない鉄則なのである。

マティス氏を嚆矢(こうし)とする多くの米軍退役将官や安全保障関係高官たちの「トランプ再選阻止」行動は、国民軍としての米軍の行く末に対する大いなる危惧の念から生じているという側面があることを見落としてはならない。