「最悪の日韓関係」が決まり文句のように繰り返されるようになって久しい。この局面を乗り越える手がかりは本当にあるのか。自治省職員や鳥取県知事として韓国などとの海外交流に力を注いできた元総務相の片山善博さんが自らの経験をもとに語る「打開のヒント」と、「私たちが覚えておきたいこと」は。(朝日新聞編集委員・牧野愛博)

――韓国地裁が出した、日本政府に元慰安婦への賠償を命じる判決をどうご覧になりましたか。

韓国の対応は、国として無責任だ。司法が無鉄砲に国際ルールを念頭に置かず、国民感情におもねった判決を出した。文在寅政権は間接的、非公式でも良いから、司法に国際法上の原則や「条約は国内法に優先する」という当たり前の原則を伝えてしかるべきだ。これに触れず、三権分立の原則ばかり主張するのは、政府としての責任を果たしていない。

元慰安婦訴訟判決

元慰安婦が1人あたり1億ウォン(約1千万円)の慰謝料を日本政府に求めた訴訟で、ソウル中央地裁は1月8日、日本政府に支払いを命じる判決を言い渡した。茂木敏充外相は「考えられない異常事態」と批判した。

――日韓関係をどのように評価していますか。

1992年から3年半ほど鳥取県総務部長として勤務した。日韓関係は、その際に経験した県当局と職員組合とのいびつな関係によく似ている。

それまで、組合はルール上とても認められないような要求でも県に突きつけていた。交渉の場では「とんでもない」と突っぱねていても、裏で組合委員長から「組織内での私の立場がなくなる」などと泣きつかれると、「今回だけは特別にあんたの顔を立ててあげる。これが最後だからね」とかなんとか言いながら、県はその場しのぎで要求をのんでいた。でも、組合の委員長が替わると、また同じことを繰り返す。根拠のない特殊勤務手当とか、退職時には誰でも課長級にして退職金を増やすとか、ありえない制度が悪弊として積み重なっていた。総務部長になって労使交渉をオープンにし、いびつな関係を解消した。過去の悪弊も情報公開することで、順次是正した。

韓国にも、こうした職員組合のような甘えが染みついているのではないか。「泣きついたら、日本が何とかしてくれるだろう」という甘えが消えていないように思われる。

――日本外務省には当時、「韓国が日本と同じような経済大国になれば、甘えも消えるだろう」という見方もありました。

結果的に間違えた。日本政府や日韓議連は、「弟が泣きついてきたら何とかしてやろう」「窮鳥懐に入れば猟師も殺さずだ」などと言いながら、韓国を助けてきた。

安倍政権でこの流れは大きく変わったが、安倍晋三前首相も最初は同じ流れに乗って、同じ罠にはまった。2015年12月の日韓慰安婦合意で「最終的かつ不可逆な解決」としたのに、蒸し返された。今の日本の世論は、こうした動きを受け付けない。世代が変わり、昔のことを知らない人が増えたことも背景にあるのだろう。

――「断交」を叫ぶ世論もあるようです。

「断交しろ」という極端な主張は実際、少数派だと思う。一方、従来のように「兄貴分の日本が折れて韓国を助けてやれ」という主張も、以前に比べると少数になっている。多くの人は韓国の主張に同情も共感も寄せていない。「勝手に独り相撲をとったのだから、転ぶのは自業自得だ」というくらいの反応で、日本が譲歩する必要はないという意見が多数だと思う。

――日本はどう対応すれば良いのでしょうか。

韓国の体質はしばらくは変わらないだろう。だからといって、日本がいきり立つ必要はない。判決が実行されないよう手を尽くし、万が一実行されたら、それこそ粛々と対抗措置を取る。

落としどころを考えたうえでのファイティングポーズは結構だが、それがないなら淡々と対抗措置を取ることにとどめるべきだ。

外交交渉はゼロサムゲームではないので、お互いに譲歩するという場面はあって良い。だが、後世に禍根を残すような譲歩はしてはいけない。その場しのぎの合意が重なり、長期的にみれば、両国に禍根を残している。いびつな関係には終止符を打つべきであり、原則を曲げることはしてはいけない。

一方、日本は植民地経営の後始末をちゃんとしてこなかったという点は、よく認識しておく必要がある。このことが、韓国のルサンチマン、恨(ハン)を呼び起こす底流になっているのではないか。

例えば、韓国の人たちには在日韓国人の親戚がたくさんいる。在日の人々に対する就職や結婚を巡る差別は依然残っている。そうした日本国内の事情が、韓国の人たちが日本を見る視点に影響を与えていることも考えられる。

自治省国際交流企画官だったころ、姉妹都市の仕事で日韓交流も随分手がけた。その当時、植民地時代にエリートだった何人かの韓国人に出会う機会があった。彼らは完璧な日本語で「立派な日本人になろうと努力した」「日本人として成功しようと一生懸命がんばった」と語っていた。だが、1945年に解放された後、彼らはいわば日本からは見捨てられ、韓国国内ではむしろ冷たい視線を浴びる境遇に陥った。さぞかし無念だったと思う。

鳥取県知事時代、中国東北部、吉林省琿春市を訪れた。夕方、ホテルから出る際、ロビーに10人ほどの現地のお年寄りがスーツや韓服などの正装で待っていた。

彼らは「こんな辺鄙なところに、日本の偉い方がいらっしゃったのは初めてです」と、やはり完璧な日本語で自己紹介した。今の北朝鮮で生まれ、満州国で日本語教師として働き、戦後のどさくさで琿春市で暮らすことになったのだという。他に警察官だった人や役人だった人もいた。「日本人の先生にとても親切にしてもらいました」と懐かしそうに、しかし、どこかもの悲しそうに語っていた。

日本は旧満州の地域で日本人孤児を一生懸命探したが、無理やり日本人にした、こうした人々のことは忘れてしまった。敗戦後の混乱の中で無理もなかったとは思うが、置き去りにされた人がいたことは覚えておいていい。

また、あるとき、自民党の議員からこんな話を聞かされた。議員はウズベキスタン訪問から帰ったばかりだったが、現地のおばあさんたちが戦前に流行した歌謡曲のカチューシャを日本語で歌っていたのが不思議でならなかったという。議員は、スターリンが戦前に日ソ関係の悪化から、沿海州在住の朝鮮人を中央アジアに強制移住させた歴史を知らなかった。

この人たちを強制移住させたのはスターリンであって、その点で日本に責任はない。ただ、彼らがその当時、日本人だったが故に歴史に翻弄された人々だということは知っておく必要がある。最近の香港情勢を巡り、英国は英国居住権を与える香港市民の対象を広げるなどの努力をしている。日本もかつて植民地を持っていた国としての自覚と気位ぐらいは持つべきだろう。それは、韓国などに対するおもねりや譲歩とはまた別次元のものだと思う。