元日本代表の中田英寿氏について、イタリアのサッカー情報サイト『トゥット・メルカート・ウェブ』が特集を組み、2000年のローマ移籍を振り返った。

特集では、「ローマの偉大な移籍交渉…2001年、ナカタと300億リラ(約18億円)のスクデットゴール」との見出しで中田氏のローマ移籍に注目。元日本代表MFのキャリアを遡った。中田氏は、1998年のフランス・ワールドカップでの活躍後、ペルージャに加入。ユヴェントス戦でドッピエッタ(1試合2得点)を決めて衝撃的なデビューを飾るなどして32試合に出場し、10得点を挙げてペルージャの残留に貢献した。

ペルージャのルチアーノ・ガウッチ会長は、「ナカタは手放せない。ペルージャにとって魅力的な好条件であれば別だが難しいだろう」などと発言。中田氏へのオファーをけん制していた。しかしローマのフランコ・センシ会長は、「発言はゲームに過ぎず、日本人MFは放出不可能な選手ではないことを理解」し、オファーへ踏み切った。

■唯一の問題はトッティと同ポジション

それでも、「交渉には少なからず不安が付きまとっていた。多くのファンも獲得が東洋でのローマブランドを成長させるためのビジネスに過ぎないと考えていた」のだが、ペルージャでの活躍を踏まえ、「選手にクオリティがあった」のは確かだった。ただ唯一、問題とされたのは、「日本人選手が(フランチェスコ)トッティのポジションであるトップ下でのプレーを好んでいた」点だ。

当時は、EU圏外外国人選手の招集枠が最大3人までとされていたため、ベンチに入ることすら困難。このため「ピッチにいるよりもスタンドにいることの方が多いのに、なぜあれほどの金額を投資したのかと疑問視する声も多かった」。しかし2001年5月4日、「すべてが変わった」。イタリアサッカー連盟(FIGC)が外国人選手に関する規定を改定したためだ。

その2日後、ユヴェントスとのスクデット争いの直接対決で中田氏はベンチ入りを果たした。ローマは2点を失い、追う展開に。「スクデット争いが再び混沌とするかに見え始めたとき、(ファビオ)カペッロはトッティに代えて元ペルージャMFの投入を決断」。エリア外から豪快なミドルシュートで1点差に迫ると、中田氏のシュートのこぼれ球をヴィンチェンツォ・モンテッラが押し込み2-2の同点に持ち込んだ。これが「優勝へのスライディングドアとなり、300億リラを支払ったフランコ・センシもこうして報われた」と締めくくられている。