トップリーグ出場100試合突破に王手をかける、宗像サニックスブルースの申東源選手。実現すればアジア枠選手として史上初。ニュージーランドで培ったスキルを見初められて来日し、選手として活躍し続けること12年。8歳で移住した異国の地でラグビーを始めたきっかけは「人気者になるため」だった! 言葉や人種の壁を越えて、人と人の絆を結ぶラグビーの魅力を語ってくれた。

―ラグビー選手になれば、学校のスターになれる!?
母親が韓国で大学教授をしていてね。僕と弟に英才教育を受けさせるために、ニュージーランドのクライストチャーチへ移住を決めたんだ。僕が8歳のときだったかな。英語なんて一言も話せないうえに、クライストチャーチには当時ほとんど韓国人がいなかったから。少なからず差別を受けたし、友達を作るのにかなり苦労したよ。

ニュージーランドはスポーツが盛んな国でね。学生は体育の授業で、好きなスポーツを選択できたんだ。なかでもダントツの人気を誇っていたのが、ラグビー。ラグビーチームに所属していた男子はみな人気者だったし、強い選手なんてスターのような扱いを受けていたよ!

当初はサッカーやバスケットボールをしていたんだけど……人気者の彼らがうらやましくてね(笑)。ラグビーに挑戦してみることにしたんだ。ラッキーなことに僕は成長が早くて、13歳の時点で身長は180cmに。同級生の中でも群を抜く高さだったから、初心者にも関わらず重宝されたんだ。

ラグビーの試合を見たこともなければ、ルールなんて全く知らない状態でのスタート。コーチから「とにかくボールを持って、まっすぐ走れ! 相手チームの選手がボールを持ったら、そいつをタックルしてボールを奪え!」とだけ言われてね(笑)。ボールに向かって、無我夢中でフィールドを走り回っていたよ。楽しかったか?と聞かれたら、正直、微妙だけど(笑)。でも学生にとって、“人気者”という勲章は、何物にも変えられない価値があるだろう?

―予想外のスカウトを受け、1年の期限付きで来日
結局そのまま大学でもラグビーを続けてね。そんなある日、ニュージーランドのラグビーを視察するために訪れていた福岡サニックスブルース(現宗像サニックスブルース)当時の監督をしていた藤井雄一郎さんが、僕の情報を耳にして試合を見に来てくれて「日本でプレーしてみないか?」とスカウトしてくれたんだ。

その時は、プロの選手になる気はなかった。いや、なれると思っていなかった、という方が正しいかな。だけど藤井さんの熱意を感じて、来日を決意したよ。1年きりの契約で来て、今年でなんと12年目だよ! 人生、何があるかわからないよね。

ニュージーランドに移住した経験があったから、日本での生活にはすぐに馴染めたよ。宗像は美しいビーチや川があるし、緑も豊かで、最高の街。ヘトヘトになった練習の帰り道にも、美しい景色を見ているだけで、自然と疲れが吹っ飛ぶほどさ! ぜひ一度、訪れてほしい!!

―出会いを通じて学んだ、他人の意見を受け入れることの大切さ
日本での生活で唯一苦労したことと言えば、やっぱり語学。今ではだいぶ話せるようになり、新しく加入した外国人選手の通訳をできるほどになったよ。ラグビーは選手の入れ替わりが激しいのと同時にチームスポーツだから、コミュニケーションが必要不可欠。多国籍なメンバーとの意見交換に役立っているのが、趣味の海外旅行で経験したさまざまな出会いだね。

シーズンが終わると、約2ヶ月のオフ期間があるんだ。結婚する前は、まずニュージーランドへ行って家族と2週間ほど過ごし、残りの1ヶ月で旅をするのが定番でね。ただし、その間まったくワークアウトをしないと、休み明けの体力作りがとてつもなく大変! だから僕は海外でもジムに近いアパートに住んで、週に最低4回はトレーニングをしていたよ。

旅の醍醐(だいご)味は、何と言っても、世界中の人と出会えること! 偶然出会った人と、ふとしたことをきっかけに意気投合したり、熱く議論したり……。国籍も、肌の色も、職業も違う人たちの意見は新鮮だし、本当に多くのことを学ばせてもらった。他人の意見を受け入れ尊重することの大切さ、尊さを実感したし、その経験がチームメイトとの交流に生きていると感じるよ。

―今こそ、日本のラグビーはもっと進化できる!
この12年で、日本のラグビーは驚くほどの進化を遂げた。スピードもパワーも、僕が来た当時とは比べものにならないくらいレベルアップしているよ。今もし僕が学生だったら、きっとスカウトされなかっただろうね。本当にラッキーだったよ(笑)。

レベルもそうだけど、2019年のワールドカップが世間に与えた衝撃もすごかった。近所の人たちから連日のように「昨日の試合、すごかったね!」「ラグビーがこんなに楽しいスポーツだったとは知らなかったよ」「応援してるよ!」と声を掛けていただいてね。ラグビーの面白さが伝わって本当にうれしかったし、もっともっと多くの人に広めていきたい!と思うようになった。

スポーツの成長には、次世代を担う子供たちの存在が欠かせないんだ。知名度も人気もグンと上がった今こそ、日本のラグビーがさらなる飛躍を遂げるチャンス。そのためにも宗像サニックスは地域交流に力を入れていて、地元の幼稚園や小・中学校で様々なイベントを開催しているよ。

ラグビーを知らなかった子供たちが、ボールを投げ合いながら目をキラキラさせるんだ。彼らの笑顔を見ているだけで、とても幸せな気持ちになる。もし将来、彼らがラグビー選手になってくれたら……それ以上にうれしいことはないね!

最初は「人気者になりたい」一心で始めたラグビー。プロになってからは「選手として成長し続け、チームの成績に貢献したい」をモチベーションに頑張ってきた。結婚して「妻と子供が誇れる選手になろう」という向上心が加わり、それまで以上にやる気で満ちあふれているよ。目下の目標は、アジア枠選手として初めてトップリーグ出場100試合を突破すること! これからも、応援よろしくお願いします!!

申東源(シン・ドン・ウォン)1986年12月12日生まれ、韓国出身。ポジション:プロップ、181cm/110kg。8歳のときにニュージーランドへ移住し、13歳でラグビーを始める。クライストチャーチ・ボーイズ高校、カンタベリー大学進学。ハイスクール・オールドボーイズRFC在籍時に福岡サニックスブルース(現宗像サニックス)当時の藤井雄一郎監督からスカウトされ、08年来日。13年にサントリーサンゴリアス、14年に近鉄ライナーズへ移籍し、15年、現在所属する宗像サニックスブルースに再び加入。ドンチャンの愛称で親しまれる。