斎藤佑樹が歩んだ早実の3年間 「自ら考え、実践する野球が最後に結実!」【後編】

大飛躍のきっかけとなったフォーム改造

斎藤佑樹

 ピッチングでの取り組みをいろいろ変えた結果、秋の準決勝では日大三と対戦して2対0で完封勝利することができました。そして決勝では東海大菅生を破って優勝し、神宮大会に出場することができました。神宮大会は、全国制覇を狙う僕たちにとって、自分がどれくらいの力があるのか試す意味でも大事な大会でした。

 この大会で田中 将大投手擁する駒大苫小牧に敗れました。田中投手は速球、変化球もすごい投手でした。こんな投手からどうやって勝てばいいの?とチームメイトで話し合いました。その結果、1対0で勝てる投手になろう、チームになろうと決めました。

 そして選抜大会ではベスト8、準々決勝までいきましたが、横浜に大敗。まだ自分のスタミナがないと思いましたし、この実力のままでは(夏に)全国で勝てないと思い、フォーム変更を決断しました。

 早稲田大野球部の方にわざわざ南大沢のグラウンドまでいらしていただき、動作解析をしていただきました。いろいろなフォームがあるよと示していただく中で、自分にとって良いと思ったフォームが、軸足の膝を深く折り曲げるフォームでした。

 重心のかけ方、蹴り上げの意識を変えてみたところ。自然に腕がすごく振れる形となり、自分の中で「これだ!」と思いました。最速149キロまで伸びて、入学時に描いていた145キロを達成することができました。

 またこのフォームにすることで、体が張る部分が違ってきました。左わき腹、ハムストリングスがすごい張るようになったので、この部分を鍛えましたし、腕が良く振れる分、怖いのはケガでしたので、ブレーキをかけながら調整をしていきました。

2つのスイッチが入り、全国制覇につながった

斎藤佑樹

 そして夏を迎えて、都立昭和戦で苦しみ、9回まで2対2の同点。9回表、僕は先頭打者としてヒットで出塁します。ランナー二塁の場面で、僕は三盗をしたいジェスチャーをします。OKをもらって、走ると打者は投手ゴロ。投手は打球の処理を誤り、その間に生還することができました。あの試合は僕にとって自分で考えて動くことができた試合で、野球選手としての喜びがありました。

 その後もコールドで勝ち進むのですが、僕も、みんなもスイッチが入った瞬間があります。ある試合で、一塁手が一塁の打球に対して、軽く捕りに行こうとした場面があったんです。この時、3年間やってきた仲間に対して僕たちは強く言うことができませんでした。

 その時、和泉先生がベンチ入り選手を集合させて「そんなんでは全国制覇できないよ!」と叱ってくれて、そして和泉先生はグラブをもって、佐々木先生に「ノックを打って」といいます。その打球は僕たちでもなかなか捕れない打球でした。その打球に対して和泉先生はユニフォームをどろんこにしながらも何度も飛び込んでいきました。これで僕たちは燃えないわけがありません。しっかりとスイッチを入れることができました。

 そして夏の西東京決勝では日大三を破り、夏の甲子園に行くことができました。甲子園では決勝戦に進み、再試合となりました。再試合の前にまたスイッチが入る出来事がありました。再試合の前、僕たちの間ではやりきった。高校最後の試合だから楽しもうという雰囲気があったんです。

 温厚な和泉先生から集められて、そういう話になるのかと思いきや、「明日は絶対に旗を取るぞ!」と強い口調で、やらないといけないと思い気持ちになりました。スイッチが入り、決勝戦に臨むことができました。そして決勝戦、9回二死の場面で打者は田中選手。僕はアウトコースのストレートで三振を奪って試合を締めたいイメージがありました。なぜならばアウトコースストレートは自分が一番練習したコースだからです。そして三振を奪い、ガッツポーズは、松坂さんが後ろを振り向いてガッツポーズしたように、僕もそれをイメージしてガッツポーズしました。本当にうれしかったです。

仲間の大切さを学んだ3年間

笑顔を見せる斎藤 佑樹

 甲子園が終わって、最後の国体では、再び決勝で駒大苫小牧と対決することになりました。こうして最後の試合でライバルと一緒に戦えることを嬉しく思いました、この決勝戦では2年秋の神宮大会後に僕たちが描いていた「1対0での勝利」。それをシナリオ通り実現することができて、とてもうれしかったです。

 そして高校野球が終わり、野球以外のことで騒がれることがありまして、正直嫌でした。野球を続けるべきか、考えた時期がありました。それでも和泉先生、東京都高野連の先生方が僕を守ってくれて、楽しく野球をやることができた。

 高校野球は本当に仲間の存在が大切だと思います。大学、プロとやらせてもらっていますが、高校野球の仲間と過ごす時間が一番濃いのかなと思います。捕手だった白川とは何度もぶつかりましたし、白川が僕に文句を言いましたし、僕も白川に文句をいいました。それがあって、甲子園優勝という最高の形で締めくくることができました。甲子園で優勝できなくても、3年間で培った仲間の大切さは僕の人生に生きています。

 その後は早稲田大学で早慶戦に出ることができました。早稲田実業の3年間を振り返ると、考えてやる野球、楽しくやる野球は和泉先生に教わり、佐々木先生から頑張らないといけないことが絶対あると。僕は30歳でも野球を続けさせてもらっていますが、これまで苦しいことも、壁にぶつかることもありました。でも野球だけではなく、勉強も頑張れたことで、今があると思います。

文=河嶋 宗一


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