育成王国・福岡ソフトバンクの出世頭として期待されている周東 佑京。50メートル5秒7、ベースランニング14秒50と驚異的なタイムを記録した俊足を武器に、昨年支配下登録が決まり、102試合に出場し、25盗塁を記録し、自慢の俊足をプロの舞台でも発揮。さらにプレミア12の代表選手にも選ばれ、主に代走として活躍を見せ、大きなインパクトを与える1年となった。

 今やホークスの人気選手まで上り詰めた周東がプロ入りできたのも東農大北海道オホーツクの4年間の成長が大きい。

 その成長に携わった恩師・樋越勉監督(東農大監督)にお話を伺った。

足の速さはプロレベル。本気でプロに行こうと思っていなかった

東農大二時代の周東佑京

 プロ野球選手のアマチュア時代のエピソードを知るために、恩師から話を伺うと、大成するまでの流れは4タイプあると感じた。
A.意識も実力もすべてにおいて素晴らしく、言うことなしの優等生タイプ
B.天才と呼べる才能はなく、劣るところはあったけど、努力家で別人のような選手に変わるタイプ
C.才能は素晴らしいけれども、意識が高くない選手。指導者の指摘やある時の出来事で、意識も変わっていくタイプ

 周東はまさにCタイプの選手だろう。むしろ高校卒業まで野球を続けるかどうか考えていた選手だったぐらいだ。それでも周東の脚力を高く評価していたのが樋越監督だったのである。

 樋越監督が周東を初めて見たのは1年秋のことである。
「東京農業大付属高の一高(東京)、二高(群馬)、三高(埼玉)の定期戦が毎年、秋にここ(東京農業大)のグラウンドで開催されるのですが、そこで初めて見ましたね。二高の監督さんから『体はできていないけど、足だけ速いですよ』という声は聞いていました」

 実際に目にすると、プロにいける速さがあるなと直感した。そう直感したのはこれまで周東含めた14人のプロ野球選手を輩出した樋越監督だけではなく、NPBのスカウトも同じ感想だった。

 「彼の能力の高さは高校時代からプロのスカウトに知れ渡っていました。進路はうちに(東農大オホーツク)に進学するか、プロの道を選ぶか。本人はプロという気持ちはなかったのですが、 4年間磨けば上のクラスでできるというのはありました」

 樋越監督が見ていて感じたのは、周東は自分が持っている才能の高さに気づいていなかったところだ。

 「彼は自分が持っている力、資質に気づいていなかったので、野球をどこまで突き詰めるかが大事だということを話をしてうち(東農大北海道オホーツク)にきてプロを目指せ!という話をいたしました」

 その後、3年夏は主将として準優勝を経験した周東は大学進学を決断する。



東農大北海道オホーツク時代の周東佑京

 だが、ほぼ1年間、野球ができる関東の大学と違って、北海道網走市にある東農大北海道オホーツクは雪の影響でほぼ半年野球ができない。NPB、アマチュアのスカウトも簡単に行ける場所ではない。ある意味、ハンディがある。それなりの覚悟がなければ続けることはできない環境だ。樋越監督はこう続ける。
「オホーツクの選手たちは絶対に東京(全国大会)に出て、アピールしてやろう!という気持ちを持った選手が多いですから。周東もそういう先輩たちに引っ張られたのも大きいと思います」

周東コールは鳥肌が立った

恩師・樋越勉監督

 周東は大学進学後、それまでのショートから試合出場機会を増やすために外野手に転向。1年秋は主に8番レフトで明治神宮大会4強を経験した。

 周東には常々、「絶対にプロに行け」と話し、妥協を許さなかった樋越監督。プロ入りへ向けての最大の課題は「打撃」だった。周東は俊足選手にありがちな「当て逃げ」。いわゆる走り打ちする傾向があった。詰まった内野ゴロならば、周東ほどの脚力ならば、内野安打にしてしまう。逆にそれが打撃の成長を妨げており、そのままではプロで行けないと話していた。そこで周東らオホーツクの選手たちが行っていたのは冬の期間の振り込みだ。 

 「毎年、冬の期間、自主練習はやっていたと思います。オホーツクは冬場に相当振り込みます。ノルマがあって、ティー打撃、フリー打撃、素振りを行って、1日1000本。それを何週間で何千本、何万本を課すので、かなりやっていたと思います。北海道ではリーグ戦は結構打っていましたし、オープン戦とかでは結構ホームラン打っていましたよ。」

 少しずつ打撃力を強化していき、数字を高める。また周東の成長のために主将に就任させた。
「本気になることを促すためですね。今もそうですけど、気持ちを表に出す選手ではないので、もっと表に出て、どんどんやっていけと。『お前がチームを引っ張るんだぞ』と。主将になってから変わりましたよ」

 大学4年春には打率.366、7打点でMVPを獲得。4度の全国出場を果たし、ドラフト候補へ成長した周東は福岡ソフトバンクから育成2位指名を受け、見事にプロ入りをかなえる。樋越監督は当時の瞬間をこう振り返る。



福岡ソフトバンクが誇る神足・周東佑京

 「私としてはホッとしましたし、本人も嬉しかったと思います。4年生になると12球団から注目を集めるようになりましたが、その中でも指名していただいた福岡ソフトバンクさんは2年生の時から声をかけていただいたチームなんです。ソフトバンクさんは過去に育成選手としてプロ入りした飯田優也(阪神 神戸弘陵出身)、小斉祐輔(元東北楽天 PL学園出身)を一軍に育て上げていますし、声をかけてもらったチームにいきなさいと伝えました」

 樋越監督は周東へ、「しがみついてでも、2年で支配下登録選手目指しなさいと声をかけた。周東は監督の期待を上回る1年で支配下登録入り。2年目の昨年は102試合出場。プレミア12でも活躍を収めた。樋越監督にとっても驚きの活躍だったが、何よりうれしかったのは代走に出た時の「周東コール」だった。
「今まで柴田勲さん(元巨人)のように足で生きた方もいらっしゃいますけど、代走で出た時の『周東コール』が聞こえたときは鳥肌が立ちましたね。」

 だが、昨年の役割で満足はしていない。オフで周東に再会したとき、「今はいろいろ騒がれているけど、代走だけ買われているだけではだめだと。ポジションをつかまないとプロ野球選手ではない。」と声をかけた樋越監督。恩師の言葉に周東は「もちろんレギュラーを目指します。来年(今年)が勝負です」と決意を新たにした。

 「福岡ソフトバンクさんは激戦区ですから、本気でやらないとポジションはいけないと話し、その後、キャンプにも見に行ったんです。相当練習をやっているのが伺えましたし、強い決意が感じられました。ソフトバンクさんは育成はうまいですから、いろいろな指導をされていて、ありがたいなと思いました」

 周東がここまで変わったのは、樋越監督が周東の素質に惚れ込み、本気で取り組ませるよう促したから。大学4年間が強大な戦力を誇る福岡ソフトバンクで生き残れる「心技体」を培ったといっても過言ではない。

(取材・文=河嶋 宗一)


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