西野朗、森保一…ドーハの悲劇からロシアW杯コロンビア戦前夜とその先へ、

西野朗、森保一…ドーハの悲劇からロシアW杯コロンビア戦前夜とその先へ、

「ブラジル撃破」「奇跡のイレブン」の見出しが見える、1996年7月23日付、スポニチ一面(トップ画像)



決戦前夜、になった。

W杯ロシア大会初戦、コロンビア代表と戦う日本代表、そして西野朗監督、森保一コーチに残された時間、の話だ。

試合会場となる小都市サランスクのモルドビア・アリーナでの最終調整は冒頭の15分間だけ公開された。いろいろなことが想定されたが、公式会見では日本代表の登録メンバー23人について変更されないことが報道陣に伝えられた。西野監督らしい決断だ。

もともと1カ月しか準備期間がないのだから、最初から何をどうするか、そのシナリオに沿ってすべてが進められてきた。

1日は24時間、1年は365日とちょっと。

しかしW杯のピッチに乗り込む日本サッカーの今この瞬間と、その原風景とも言えるあの日の出来事は、決戦前日の西野監督と森保コーチの姿を重ね合わせることによって、時間の概念とは異なる記憶を呼び覚ます。と同時に、日本サッカー界のその先をも暗示しているかのようにさえ思えてくる。

ドーハの悲劇、灼熱の砂漠の街で、川渕三郎チェアマンや、Jリーグと日本サッカーの夜明けを信じて疑わなかった面々が直面した、もう語られることもないあの空虚な夜こそがその原風景だ。

1993年10月28日、カタール・ドーハのアルアリ・スタジアム。翌年の米国W杯切符が砂嵐にでもかき消されるかのようにみんなの指の間をすり抜けた。相手ショートコーナーからのクロスに、オフトジャパンのキーマンのひとりだった森保一も飛びつこうとした。

スタンドでは、日本サッカー協会が送り込んだ偵察要員のふたりがスロービデオのようにさえ思えるそのクロスの軌道を目で追いかけていた。次の瞬間、ニアポストからのヘディングシュートは放物線を描きながら日本のゴールに吸い込まれた。

ふたりとは少し離れた記者席にはSNICKERSのチョコバーがどこからか飛んできた。米国マース社のピーナッツ入りヌガーのミルクチョコレート。「ようこそ米国へ…」とでも言いたげなその袋は、報道陣の座るテーブル付近にたくさん置いてあったのに…。

日本に何も持ち帰るものがなくなったオフトジャパンには、特別な計らいかもしれないフェアプレー賞が用意された。ただ、その夜の表彰式に参加できる選手などいるはずもなく、川渕チェアマンが代表でトロフィを受け取った。

Jリーグがスタートしたばかりのこの時期、日本サッカー協会には3つの悲願、があった。日本代表の強化にも繋がる「サッカーくじ」の導入、米国W杯出場とその先にある国内W杯開催、夢の実現。その一角が崩れ去った。

だが、食事も喉に通らない、言い知れぬ重圧と過酷な暑さの中1994年FIFAW杯アジア地区最終予選4試合を戦った日本代表メンバー。彼らがその後、どれだけ日本サッカー界の発展に貢献してきたかは、ここで改めて述べる必要もない。

加えて「007」として砂漠の中に忽然と現れるスタジアムを回り、ライフル銃を構えた警備兵の監視の目をかいくぐりながら敵情視察した西野朗、山本昌邦の両アシスタントコーチは、その後も日本サッカーの最前線に立った。

do or die

ハンス・オフト監督は日本より格上の相手との一戦をそう表現し、不平・不満をこぼす選手にはWatch the mirrorとも言った。

日本時間の1996年7月22日午前7時半から行われたアトランタ五輪、予選D組のブラジル戦を1−0で撃破した西野朗五輪代表監督のそばには山本コーチの姿があった。

オフトジャパンの悲劇を軌跡へと”変換”できたのは、その訓えを無駄にしなかったからだろう。


※画像割愛
 1996年7月23日付、スポニチ中面より

「代表の現状への危機感は?」

「アトランタの奇跡は?」

「ハメス・ロドリゲス対策は?」

コロンビア戦が近づくに従って西野監督への取材攻勢は激しさを増した。

しかし、Jリーグでの経験も含めて、幾多の勝負に挑んできたその中で培ってきたものは、簡単には揺るがない。

ただし、そのシナリオから劇的な成果を導き出すためには、ドーハの時やアトランタの時と同じで、情報戦でのアドバンテージが欠かせない。

さらに言えば名古屋名古屋グランパスの監督を退いた2015年末以降、日本サッカー協会の技術委員長としてバヒド・ハリルホジッチ前監督を補佐してきた西野氏には、自身の話し相手も必要だった。

現場の様々なことを共有できて、守備から攻撃への切り替えに長け、パスサッカーを得意とし、周りが「奇跡だ」と騒いでももっと先を見据える人物…

 

2015年12月20日、サンフレッチェ広島が広州恒大を2−1で破りFIFAクラブW杯3位。

2017年7月4日、サンフレッチェ広島が森保氏の監督辞任を発表。

2017年9月26日、日本サッカー協会の技術委員会で東京五輪サッカー男子監督の人選を西野委員長に一任することが確認される。

2017年10月30日、森保五輪監督就任会見に、日本サッカー協会の田嶋幸三会長とともに西野技術委員長も出席。森保監督への期待の大きについて語り「全面バックアップ」を約束。

2018年4月9日、ハリルホジッチ監督解任と西野監督就が発表される。

2018年4月12日、西野監督就任会見の場で、U−21日本代表の森保監督と下田崇GKコーチらの入閣も発表。

2018年5月21日、西野体制での国内合宿スタート。

 

こうした流れの中で、ハリルホジッチ前監督と西野監督で築き上げていたものが西野監督と森保コーチへと受け継がれた。極めて限定的な時間の中で「秘策」(西野監督)までもがそこに刷り込まれたらしい。

コロンビア戦を前にその姿勢を問われた西野監督は「自分たちからアグレッシブに…」と相手の攻撃に際して受け身に回りっぱなしにはしない策を講じていることを匂わせた。

J1で270勝の最多勝監督は「相手のストロングポイントを消す」ための引き出しもたくさん持っているはずだ。

サンフレッチェ広島監督時代にJ1の4シーズンで3度の優勝という”軌跡”を演じた森保コーチは、その当時「自分の中には野心がある」と言っていた。

ドーハを知る、そんなふたりがロシアのピッチに並び立つと、どうなるのか?

この先も連綿と続いて行く日本サッカーの未来へ向けて、発せられるメッセージは20年後、30年後の人々にどんな記憶として語り継がれるだろうか?

広島スポーツ100年取材班


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