緊急連載「広島のサッカースタジアム、できないでしょ!」の衝撃…旧広島市民球場跡地にマツダスタジアム、広島の過去を振り返り多田公熙さんの思いに触れる

緊急連載「広島のサッカースタジアム、できないでしょ!」の衝撃…旧広島市民球場跡地にマツダスタジアム、広島の過去を振り返り多田公熙さんの思いに触れる

2019年3月18日ひろスポ!掲載


秋葉市長時代にも旧広島市民球場跡地の活用策が数多く検討されたが、その中には「祈り」をコンセプトにしたものも複数あった、この画像はそのひとつ、だが「祈り」のゾーンはすでに近隣に多く存在し、「祈り」では”約束”の集客が見込めないことなどから反対の声が多かった。

 

「広島のサッカースタジアム、できないでしょ!」

広島市の松井市長に極めて近い関係者から直接、聞いた言葉だ。2019年3月の話である。

その関係者と松井市長の距離は、勝手に想像するに最大接近時で1メートル以内、だろう。

 

この問題を掘り下げるには、広島市における類似した”過去問”に対する復習が欠かせない。

広島県内公立高校の合格者発表が先週あったばかりだが、「傾向と対策」が重要だ。

 

きょう2019年3月18日、多田公熙さんの訃報が届いた。

マツダスタジアム生みの親。

中国電力社長・会長を務め、1989年から19年間、広島県体育協会の会長として広島スポーツ界をリードした。

この19年間は、カープ消滅の危機、ならびに新球場建設(マツダスタジアム完成への道筋のこと)と完全に重なっている。

 

1989年、山本浩二監督の”第一次政権”1年目、カープ主催試合の集客数109万4000人、順位は2位

以下その数字はこうなった。

90年 95万9000人  2位
91年 122万人     1位
92年 125万2000人 4位
93年 111万6000人 6位 山本浩二監督退任
94年 115万人     3位 三村敏之監督就任
95年 124万5000人 2位
96年 129万4000人 3位
97年 116万3000人 3位
98年 114万人     5位 三村敏之監督退任
99年 106万6500人 5位 達川晃豊監督就任
00年 110万9000人 5位 達川晃豊監督退任
01年 100万人     4位 山本浩二監督再登板
02年 104万6000人 5位
03年 94万6000人  5位
04年 98万6000人  5位 ※球界再編、近鉄消滅
05年 105万119人  6位 山本浩二監督退任
06年 100万9481人 5位 マーティ・ブラウン監督就任
07年 112万9061人 5位

※2004年の球界再編問題を受け、球界で悪しき習わしとなっていた集客数のどんぶり勘定は2005年から実数発表に変更された。


この流れを見れば、順位と集客数に、ほとんど相関関係がないことがわかる。そしてこの時期、カープは万年Bクラスへと沈んで行った。

そんな最中の2004年、球界再編問題が起こったのである。

老朽化の進む広島市民球場、ガララガのスタンド。1991年、優勝しても112万人止まり。この時すでに「貨物ヤード跡地へのドーム球場建設」が広島の経済界を中心に構想が練られていた。だが、遅々として進まず…

1994年10月には広島アジア大会が開催され、広島空港開港、山陽自動車道もでき、アストラムラインも稼働し、広島広域公園陸上競技場(エディオンスタジアム広島)、広島グリーンアリーナ、基町クレドなど、今も広島を代表するインフラや施設が数多く建設されたが、広島市民球場はアジア大会を控えて「電光掲示板」を新設した”だけ”だった。

その場しのぎのスポーツ施設への対応…

球界再編の嵐の中に広島が巻き込まれたのは、広島アジア大会からちょうど10年後のことだった。中途半端なことをやっていると10年スパンで取り返しのつかないことになることはこの一件ではっきりした。

すでにひろスタ!特命取材班署名記事の中で紹介したが、エディオンスタジアム広島におけるACL用固定席の緊急整備もこれと似た匂いがする。

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上記記事はグーグルニュース「ACL」検索におけるトップ項目となり、全国から注目されることとなった。

このように、広島でのここ20数年を振り返ることは、サッカースタジアム問題のこれから、を考える場合、大いに参考になるはずだ。…なので、続ける。ここからが本論。

 

「カープ消滅の危機」

その話を当時の多田公熙さんも直接、耳にしたと聞いている。

球界再編問題の震源地は巨人・読売グループ。そこに巨額の赤字に悩むパ・リーグ経営陣の一部が絡んでいた。

セ・リーグには、巨人戦放映権料という大きな固定収入が当時、保証されていた。カープ球団の主たる安定財源もやはり巨人戦放映権料だった。

それが皮肉なことに巨人・読売グループの画策によって「消滅の危機」にさらされる事態となった。

地元経済界は真に危機感を抱き、2004年8月31日、すでに近鉄球団を消滅させていた球界が「もう一つの合併」に向かって突き進む最中に、広島県知事、広島県議会議長、広島市長、広島市議会議長へ新球場の建設促進に関する要望書を提出した。

そして11月には多田公熙さんを座長とする新球場建設促進会議がスタートしたのである。

広島の政財界トップで構成される新球場建設促進会議は2015年3月、極めて短期間のうちにその骨子を固め、広島市民球場解体後の現在地での新球場建て替えを決定した。


それで話はまとまったはずだった。

ところが、この決定をたったひとりの人間が根底から覆した。当時の秋葉忠利市長だ。

市民球場跡地に折り鶴ミュージアムを設置するという、今思えば荒唐無稽なプランを独断で推し進めようとしていた秋葉市長に対して、市議会も地元財界も猛反発。だが、市長の強権発動で、ついに新球場の建設場所は貨物ヤード跡地に変更された。

6月、市議会や新球場建設促進会議の声には耳を傾けず、市民らからの声も聴いたポーズだけ取って「新球場の貨物ヤード跡地への新設」が決定された。


このあと開催された最後の会議で「新球場建設促進会議座長として最後に言わせてもらいます」と前置きした多田公熙さんが、市の幹部職員らを前に「二度とこういうことのないように」と強い口調で苦言を呈したのをよく覚えている。

温厚な人柄で知られる多田公熙さんではあるが、あの時の眼光の鋭さが何を意味したものであったのか…大方の想像はつく。

この過去から学び取ることがあるとすれば、首長の権限でその街の運命はどうにでも変わってしまう、ということだ。


秋葉市長がその当時、執拗に繰り返していたのは…

・現在地での建て替えと貨物ヤード跡地への新設とでは50億円前後、貨物ヤード跡地の方が費用を抑えられること

・球場解体後の跡地には年間150万人を集める施設を新設すること

この2点だった。

それを伝家の宝刀のように使い、現在地建て替えの声を封印した。

 

「貨物ヤード跡地に新設する新球場は90億円でできる」

その怪しげな数字の信ぴょう性を、市議会側が何度問いただしても、広島市担当者は「できる」の一点張りだった。


結果、どうなったか?

マツダスタジアムの完成には90億円を遥かに上回る費用が投じられ、2007年の供用開始以降も密かに耐震補強の大規模工事などが行われ、その全額は150億円を軽く突破する、と言われる。

広島市民球場跡地の方はぺんぺん草も生えていない。いや、意味なく残されたライトスタンドの一部に生えた雑草が悲しく風に揺れている。

「ノーベル平和賞のために市長になった」とされる秋葉市長はと言うと、折り鶴ミュージアム構想と並行して2009年には「2020年五輪の広島招」をやはり独断でぶち上げ、市民や関係者を散々混乱の中に巻き込んだあと、2011年1月、突然に4選不出馬を表明した。

しかも記者会見さえ行わないまま、ネットで言いたいことだけ言って逃げるように表舞台から去った。

その後釜に据えようとした女性副市長・豊田麻子氏は、2011年4月の市長選で松井一実氏に完敗…

秋葉市長の負の遺産のひとつが「旧広島市民球場跡問題」だが、松井市長の8年でもけっきょく何も変わっていない。で、また市長選、である。


秋葉市長のツケを払わされる格好になった広島市民、そこにサッカースタジアム問題が絡み合い、今なお広島の街づくりの大きな足かせとなっている、という落ちになる。

なお、この問題をもう少し広い視点で見てみると以下のようになる。

 

1992年7月 日韓共催W杯開催候補地に国内自治体が手を挙げる

1993年1月 広島市も同じく立候補、さらにJR広島駅隣接の「貨物ヤード跡地」(現マツダスタジアム所在地)に「ドーム球場構想」本格的に浮上

1993年4月 福岡ドーム供用開始

1994年10月 広島アジア大会開催

1996年1月 札幌市が野球、サッカーが開催できるドームスタジアム建設を正式決定

1996年12月 広島市は共催W杯の”ルール”に反し、広島ビッグアーチ(現エディオンスタジアム広島)の「屋根架け」を当時の平岡敬市長が拒否したため候補地失格となる

2001年6月 札幌ドーム開場

2002年5月から6月 日韓共催W杯開催、広島市は蚊帳の外、国内におけるサッカーの街としての広島の相対的地位、著しく低下

2002年12月 広島市は広島東洋カープ、鹿島建設、電通西日本、サイモンプロパティ・グループ(米国最大の商業ディベロッパー)の共同企業体「エンティアム」と「貨物ヤード跡地」への「オープン型複合施設スタジアム」建設に合意。

2003年12月 広島市と共同企業体の合意撤回。「キャンセルは相手側の責任、裁判も辞さない」(当時の秋葉忠利市長)

2004年3月 「広島の新球場問題はどうなっているのか?カープが福岡に移転してダイエー(現ソフトバンク)と福岡ドームで一緒にやるという話が出ている」プロ野球に精通した都内の関係者がこう証言。日本ハムが本拠地としての札幌ドーム使用開始。

2004年6月 近鉄球団がオリックスとの合併発表、同年7月7日、巨人渡辺恒雄オーナー(当時)が「もう一組の合併話」「10球団1リーグ制」を公言。

2004年8月31日   球界が「もう一つの合併」に向かって突き進む最中、危機感を募らせた広島経済界が広島県知事、広島県議会議長、広島市長、広島市議会議長へ新球場の建設促進に関する要望書を提出。

2004年9月 都内でオーナー会議があり、パ・リーグ5球団の変則リーグへ向けこう着状態に、その10日後、プロ野球史上初の「スト決行」、9月23日「最後の労使交渉」で「新規参入」(現楽天球団の加盟)が認められ「1リーグ制」強行突破は回避へ。

2004年11月 カープ球団消滅との情報に危機感を抱いた広島財界トップらが動き、秋葉市長のもとに「新球場建設促進会議」発足。

2005年3月 新球場建設促進会議は「新球場現在地建て替え」(現旧広島市民球場跡地への新設)決定。なお、この時、広島市は建設場所に関して「貨物ヤード跡地」への移行を画策、新球場建設促進会議参加者へ配布した資料の中に、唐突に「現在地建て替え案」資料に加え「現在地サッカースタジアム案」(現旧広島市民球場跡地へのサッカースタジアム新設案)、「現在地公園施設案」を添付。

2005年6月 秋葉市長が独断で「新球場の貨物ヤード跡地への新設」を決定。この知らせに新球場建設促進会議座長を務めた多田公熙氏は「二度とこういうことのないように」と強い口調で苦言を呈する。

ひろスタ!特命取材班


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