画像は芝生広場の調査告知

 

広島市では8月3日、サッカースタジアム建設場所となっている中区の中央公園芝生広場で埋蔵文化財発掘調査のための仮囲い設置工事を行った。

業務受注者は株式会社パスコ中四国事業部広島支点で業務委託期間は7月1日から2022年3月31日まで。

調査が終わるまで市民は芝生広場を利用できないが、そうした告知はどれほどしっかりやったのか?大多数の市民は寝耳に水だろう。

広島市がすでに公表したスケジュールでは、新スタジアムは2024年春までの開業を目指し、2019年度に基本計画の策定、設計・施工の発注準備を終えたあと、2020年度〜2023年度で基本設計、実施設計、建設工事、開業準備となっている。

ずいぶん発掘調査期間と建設工事着工がタイトなようにも見える。調査しながら工事も…と担当者は言いたいのだろうが、掘ったらいろいろ出てきた、となった場合にどうするのか?

発掘調査を始めること、調査結果はどう反映させるのか?市民に説明は一切ない。一時期、あれほどスタジアム、スタジアムと騒いでいた地元メディアもコロナや8・6で手一杯なのか、このネタにはまるで興味なし?

この日のNHK夕方ニュースでさえひとことも触れなかった。

広島市ではすでに2019年9月から12月に中央公園での試掘調査を行っている。

その時の結果概要は広島市のHPの資料によれば以下のようなもだ。

 

調査の概要

当計画地である中央公園広場は、近世の広島城の一部に該当する。近世に描かれた数々の絵図、明治期に作図された測量図等から、広場の中央東よりに中堀が南北に通り、その東側に三の丸、西側にいわゆる西の丸や西の出丸と称される区画が位置していたものと想定された。

当該地は、明治維新後は、すべて軍用地となり、様々な施設が設けられた。この付近の中堀も昭和初期ごろまでには埋め立てられたようである。被爆時には東寄りに砲兵補充隊、西寄りに輜重兵補充隊が配置されていた。戦後は公営住宅をはじめ、応急的な住宅が密集する住宅地となった。昭和44(1969)年から基町高層アパートの建設が始まって、同地は中央公園の用地として確保されることとなり、これらを内容とする基町再開発事業は同53(1978)年に完了し、現在に至っている。

調査は堀跡の遺存状況や位置の確認、武家屋敷地を構成していた曲輪の遺存状況の確認を目的として、10か所のトレンチ(試掘坑)を設定して行なった。

本試掘調査の結果、トレンチのうち、T3、T5において堀の石垣の一部と考えられる構造物、T10において版築状の地盤を確認できた。また、一部のトレンチを除き、公園の北側で概ね標高3m、南側で2m付近以下において撹乱を受けていない層が確認でき、T8、T9においてそれらの層から近世にさかのぼりうる遺物を確認できたこと、さらに近隣の武家屋敷地の調査事例を参考にすれば、中央公園内の大部分にわたって遺構面が良好に遺存している可能性があり、保護すべき埋蔵文化財が試掘範囲外においても存在することは十分想定できるものと考えられる。

なお、T4における軍の倉庫跡のものと思われる床面のほかは、各トレンチにおいて被爆整地層や被爆面と判断できる被爆の痕跡は確認できなかった。

※HPからの引用は以上、以下の試掘調査範囲図にはT3、T5などの位置が示してある。

・・・・・・・・・・・・・小学校など(↓)

 ※試掘調査範囲図は割愛、ひろスポ!でご覧ください。


・・・・・・・南北に続く歩道(↑)


この試掘調査範囲図は今の地図にかつての土地の利用図を重ねたもので、わかりづらいが (↑) のところに上下(南北)に続く歩道は今のものでその右(東)が中央公園自由広場(土のグラウンド)、左(西)が同芝生広場。

市議会などでは中央公園が候補地になる以前から埋蔵文化財の存在が指摘されており、ゆえにスタジアム候補地としては難しい、との声が上がっていた。

一方、中央公園を生活圏とる基町地区住民は (↓) に位置する基町小学校など目の前に巨大なスタジアムの壁が立ちふさがるような配置に最初から反対の声を上げていた。

ところが広島市では長らく基町地区の住民に説明する際に自由広場にスタジアムを配し。緑豊かな芝生広場はそのまま住民らの憩いのために残すと説明し続癒えた。

それにもかかわらず試掘調査を終えたあと2020年1月には突然、スタジアムの配置を芝生広場に移すと発表した。

詳細は中国新聞記事参照
サッカー場は広場西寄り 広島市方針、東寄りから配置変更


上記記事のポイントは、ひろスポ!での見解も加えると次のとおり。

・自由広場に配置するイメージ図を公表していたが、平和記念公園や旧市民球場跡地、広島城などへの回遊性を重視してスタジアムの位置を芝生広場に変更。

・自由広場の地中に広島城の出入り口だった「西御門」などの跡が残っている可能性があり、発掘調査などのために建設スケジュールが大幅に延びる公算が大きいのでスタジアムの位置を芝生広場に変更。

・当初、広島市が基町地区住民に示したスタジアムの高さは最大45メートル(基町高層アパート並みの高さ)で住民からは道路1本を挟み北側の基町小・幼稚園・保育園への圧迫感や交通事故、日照問題・騒音を危惧する声が非常に大きく、市と県、広島商議所の3者が協議を重ね、サンフレッチェ広島との調整も経て配置の変更で一致。

ちなみにひろスポ!では一貫して中央公園は交通、アクセス、南北に狭い土地の問題でスタジアム建設に不適であり、それでもやるというなら芝生広場、と一貫して訴えてきた。



さて、今回は「試掘」ではなくて「発掘」だ。

すでに指摘したが中央公園は南北の短軸が東西の長軸に比べて狭小であり、スタジアムを南北軸でレイアウトするといっぱいいっぱいになる。

今回はその無理やりはめ込むスタジアムを支えるための基礎工事を行う南北軸2本の地面の下を、試掘調査時よりさらに深く掘って調査することになる。

掘るのは南北にスタジアム規模に合わせて100メートル×25メートル(東西)の2本。市の市民局文化スポーツ部の岡崎理絵課長は「遺跡が残っている場所が開発されるときは必ず記録を残すということをする」とコメントしているが、そういうことだけではないだろう。

スタジアム躯体の基礎工事を行う部分、というのがミソであり、過去の資料に照らし合わせての発掘調査ではなく、スタジアム建設のための発掘となっている。

基町地区に戦前から暮らす住民によれば「原爆のあとしばらくそのままで、基町アパートの建設時に土を持ってきて埋めたけど、芝生の下にもやはり当時の石垣や武家屋敷跡などが残っているのではないか?」ということらしいが…

 

4月2日に広島内であった市と県と広島商工会議所とサンフレッチェ広島のトップが一堂に会する4者会談では池田晃治会頭が「今後、広島商工会議所が窓口になりまして、地元経済界が一体となって、できる限りの資金協力ができますよう、ご賛同いただける企業からの寄付を募るのみならず、スタジアム建設に向けた経済界としての取り組みを…」とコメントした。コロナとの共存を強いられる広島経済界に、この先、そんな余力はあるのだろうか?

そこに、この文化財発掘調査問題?

スタジアム建設のロードマップにもうこれ以上の「延期」の文字はない。本来なら例えコロナがどうであろうと、スタジアム建設へ向けての情報公開や他都市では当たり前だった市民や地元住民に向けた説明会が頻繁に開催されて当然だろう。

そんな気配すらなく、どんどん市民からその存在が遠いものとなりつつある。芝生広場でのバーベキューやフリマで市民に日陰を提供してきたケヤキやイチョウなどの巨木もほどなく伐採されて、丸坊主?になる。市民から落胆の声が上がろうと後の祭り…

使う、観る、運営する、ただふらりと立ち寄る、その誰もが満足できるサステナブルな夢の器が、こんなやり方で本当にできるのだろうか?

広スタ特命取材班