南海、ヤクルトなどで監督を務め、11日に虚血性心不全のため死去した野村克也さん(享年84)。野球解説に革命を起こしたとされる「野村スコープ」を導入した。

 「ID野球」と呼ばれる、考える野球を提唱した野村さん。その源となったのが、解説者時代の1983年、テレビ朝日野球中継での「野村スコープ」導入だった。

 ストライクゾーンを表示した画面で配球を予測。一球ごとにコースと球種が表示され、その配球について野村さんが説明し、次の球を予測する。同時に打者の心理も解説。ゾーンは後に9分割され、より分かりやすくなった。球界を代表する名捕手でかつ強打者だったからこそ可能な革命的解説だった。

 全ては野村さんのひらめきから始まった。当時、中継を担当していたテレビ朝日の三雲薫氏(現役員待遇スポーツ局担当補佐、58)によると、野村さんが「これまでの結果を求める解説を変えたい。捕手、投手目線で予測してはどうか」と提案。当時のスタッフと考え出したのが「野村スコープ」だった。

 野村さんの予想をもとに視聴者も結果を楽しめる試みはたちまち“ヒット”。「(画面上で)邪魔だ」との声も寄せられたが、「よく当たるね」という賛成意見の方が多かったという。特に反響が大きかったのが、1984年5月の巨人戦でのクロマティの打席。野村さんの予測した通り、クロマティがファウルを連発して話題となった。

 中継の前日には、報知新聞運動部で「記録の神様」と言われた宇佐美徹也さん(故人)のもとに毎回のように電話をかけてきた。2人は宇佐美さんが、パ・リーグ公式記録員だった時期から仲が良く、野村さんが77年に南海の監督を解任されて自宅マンションに“籠城”した際には、見舞いに行ったほど。深みのある解説には、そんな味方もいた。

 三雲氏は「もちろんみんな頭を使って野球はやっていたはずですが、当時は珍しかった」。今では9分割画像は各局に広まったが「推奨したのは野村さん」とその功績をたたえた。