新型コロナウイルスの影響で大会開催の是非が議論される中、東京五輪の聖火リレーは26日に福島県でスタートする。64年大会の最終走者・坂井義則さん(2014年に69歳で死去)の弟・孝之さん(72)=広島市=は5月18日、広島県内で走者を務める。前回、17歳でランナーを務めた孝之さんは、無事に聖火を受け継ぐ瞬間が来ることを祈っている。56年ぶりの大役に「兄と一緒に走りたい」と思いを込めた。(北野 新太)

 リレーするのは聖火だけじゃない。坂井さんには、託された兄の夢をつなぐ使命がある。「走りたいです。だから、開催するとIOCが言えば『よかったぁ〜』となるし、延期の話が出ると『ダメかぁ〜』となります。日々、一喜一憂しています」。トーチを握る日を心待ちにする走者は全国に約1万人いる。全ランナーの思いを代弁する言葉なのかもしれない。「絶対に言えるのは、聖火をつなぐことを途中で止めることは決してあってはならないということ」

 あの誇らしい一日から56年が経過した。1964年10月10日、兄の義則さんが国立競技場の聖火台にトーチをかざす姿を目の前で見つめた。「階段でコケないことだけを祈ってました。『兄ちゃん』と声を掛けたら聞こえるような距離で」。原爆が投下された日に広島で生まれた19歳の青年によって聖火はともされた。戦後復興と世界平和の理念を世界に伝えた瞬間として、大会を象徴するシーンになった。

 世界からの視線を集めて兄が走る19日前。9月21日に孝之さんも広島県三次市の路上を駆けた。兄とともに生まれ育った故郷での1・6キロ。兄と同じ400メートルを専門とする陸上部員は健脚を披露した。「なぜか受け取った瞬間も、走っている間のことも覚えてないんです。記憶にあるのは無我夢中だったこと、すごく緊張したことだけです」

 半世紀が経過した2013年。五輪が東京に戻ることなり、兄は誰よりも喜んでいた。度々聞かされた。「孫と一緒に見に行くのが楽しみなんだ」。しかし翌年、義則さんは2度目の五輪に立ち会うことなく旅立った。「残念だろうな…と。だから、兄の代わりに聖火リレーを走るしかないな、と決めたんです。選手になるのは無理だから(笑い)」。一般公募の書類に熱意をつづり、2度目の権利を得た。

 当時早大競走部1年で五輪候補でもあった兄と、走ることへの愛情は共通している。ランニングを趣味とし、2012年に会社を退職後も散歩と走ることを日課にしている。4月30日には73歳になるが、本番に向けての調整には余念がない。「楽しみです。今、このような状況だからこそ、国全体を元気付ける意味で聖火リレーの役割は通常の大会より大きくなると思っているんです。コロナを吹き飛ばそう、という力の一端を担いたいです」

 5月18日、区間は未決定だが、前回も走った三次市を走ることを希望している。兄とともに過ごした故郷を駆けることを。「今回の距離は200メートル。時速6キロのペースなので、たった2分です。でも、月日は56年が経過していますから。とても長い2分、とても長い200メートルになりますね」

 自らのトーチに聖火をともした時、何を思うかは決めている。「兄と一緒に走りますよ。今度は一緒に走れますね」

 ◆64年大会聖火リレー 9月7日に沖縄県を出発した後、4コースに分かれて列島を巡り、10月10日の開会式を目指した。正走者(1人)、副走者(2人)、随走者(20人以内)がおり、計10万713人が聖火をつないだ。64年大会、今大会ともに正走者を務めるケースは極めて稀だが、当時琉球大4年で第1走者を務めた宮城勇さん(77)は今大会も参加する。