【巨人】阿部が2000安打達成「一番下手くそが打ててしまった」

【巨人】阿部が2000安打達成「一番下手くそが打ててしまった」

◆広島4―1巨人(13日・マツダスタジアム)

 巨人・阿部が史上49人目の2000安打を達成した。王手をかけて迎えた広島戦、3打席無安打で迎えた9回1死からの第4打席。今村から鮮やかなライナーで右前に運び、プロ17年目で金字塔を打ち立てた。巨人の生え抜き選手としては、80年の柴田勲以来37年ぶり5人目の大台到達だ。

 本拠地さながらの光景がうれしかった。球場全体から「慎之助コール」が鳴りやまない。3点を追う9回1死。今村の低めフォークをライナーで右前に運んだ。2000回目の「H」が光る。「打てると思っていなかったし、そういうレベルではないと思っていました。打ててしまったな、というのが正直なところ。広島ファンの方も『慎之助コール』をしてくれて、温かいな、と」。坂本勇と広島・新井から花束を受け取ると、もう一周、頭を下げた。ベンチ前では高橋監督と握手し、記念球を手渡された。

 偉業への道は、才能との戦いだった。もともとは、野球が好きな普通の少年。一番身近なコーチは、習志野高で掛布雅之と共に中軸を担っていた父・東司さんだったが、一流選手にありがちな、少年時代の怪物伝説は皆無。「天才に勝つには努力しかない。『自分は下手なんだ』と思って練習しなさい」―。その教えが原点であり、阿部の芯だ。幼い頃から、自宅庭に作られた打撃スペースで、来る日も来る日も打ち続けた。

 父の教えが原点 小、中と日課は続く。安田学園入学前夜にはバケツ一杯180球を10セット、ぶっ通しで3時間もバットを振った。これが、父からの入学祝いだった。高校に入ると習慣は、居残り練習に形を変えた。真夏も真冬も、練習後に部のマイクロバスには乗らず、監督から帰宅を促されるまでやり続けた。ボロボロになった体を引きずり、グラウンドから駅までの真っ暗な畑道を30分ほどかけて歩く日々。帰宅はいつも、日付が変わった深夜だった。母・由紀子さんからは特大弁当と、昼寝用よだれかけの大きなバスタオルを毎日持たされた。どんな言葉よりも効く激励だった。

 実力も自信も、メキメキつけていった。甲子園出場はかなわなかったが、東都の名門・中大に入学。1年時に国際大会の日本代表に選ばれた直後、鼻をへし折られる。「ビビったよ。『こういう人たちがプロでも活躍する人なんだろうな』って」。代表には、後にチームメートとなる高橋由伸や二岡智宏がいた。基礎体力もスキルも、まるで大人と子供だった。国際大会151連勝中のキューバを破って優勝したが、胸中はどこか複雑だった。

 上には上がいる 帰国すると、東司さんはうれしそうに笑っていた。「なっ? 上には上がいるだろ?」。越えたと思った壁の向こう側には、さらに高い壁がそびえていた。3年後。アマNO1捕手の看板を引っさげ、ドラ1で巨人に入団するも、今度は松井秀喜や清原和博という別世界の住人に出会った。「『自分は下手くそ』と思うも何も、本当に俺が一番下手くそだった」。見たこともないような才能の集団だった。練習は習慣を通り越し、クセになっていった。

 練習もはやクセ 何年たっても変わらない。今でも球場へ移動する車中、ふと揺れを感じたと思ったら、自分でも気づかぬ間に足でタイミングを取る。最近では、子供たちも目を光らせている。「パパ、最近ぜーんぜん打たないよね? なんで?」と真顔で聞かれる。「それを言われたら『ゴメン…』としか言えない。打てるようにもっと練習するしかない」。満足しそうになる時、いつも立ち止まらなかった。今後もあぐらはかかない。一番誇れるものは何かと問われると、「とにかく野球が好きだということかな」とニッコリ笑った。「阿部慎之助」であり続けるための戦いは、終わらない。(尾形 圭亮)

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