1988年ソウル五輪は、競泳男子100メートル背泳ぎで鈴木大地(52)が金メダルを獲得。代名詞となった潜水泳法「バサロ」を駆使し、低迷していた日本の水泳界に16年ぶりの金メダルをもたらした。決勝での秘策は潜水距離の延長。現在はスポーツ庁長官として東京五輪の成功へ尽力しているレジェンドの、決断の裏側に迫った。(取材・構成=高木恵、太田倫)

 まだ潜っていた。浮き上がってくるはずの25メートルを超えても、鈴木はまだ、潜っていた。男子100メートル背泳ぎ決勝で、バサロ30メートルの奇襲に出た。水面に顔を出した時点で、ライバルのデービッド・バーコフ(米国)に体半分の僅差に迫っていた。

 「自分の予想通りの展開だった。『いいぞ、いいぞ』という感じでしたよ」

 先行するバーコフを、イゴール・ポリャンスキー(ソ連)と鈴木が追った。後半のスタミナは強化してきた。自信はあった。徐々に詰めると、最後は「折れてもいい」という一心で左手を突き出した。55秒05。0秒13差で勝利した。

 1988年9月24日。日本競泳界に16年ぶりの金メダルをもたらした日から、30年以上の月日が流れた。今でも当時の光景は鮮明に覚えている。一番高い所にあがった日の丸を表彰台から眺め、思った。「なかなかいい景色だな」

 「大ばくち」とも言われたバサロの延長だが、実は2か月前から準備してきた。4年に1度の大舞台で金メダルを手にするには、さまざまな可能性を想定した緻密な備えが必要なことを理解していた。フィンを着用して50メートルの潜水練習を繰り返してきたこともあり、距離に対しての抵抗はなかった。

 予選でバーコフが54秒51の世界新記録(当時)をマークした。鈴木は1秒39差の3位で通過した。この大きな差が、決断を後押しすることになった。レース後の報道陣とのやりとりは、こうだった。

 「夜の決勝の作戦は?」

 「内緒」

 言えるわけがない。ぶっきらぼうに答える映像が、夕方のニュースで流れた。その時点で、バサロの距離延長は決めていた。あとは“数”だった。

 鈴木陽二コーチは前年に購入した当時最新鋭のハンディカムで予選の泳ぎを撮影し、すぐに映像をチェックした。「(キックは)25回がいいんじゃないか。考えておけ」。だが鈴木は、その提案の上をいくプランをぶち上げた。決勝前、選手村を出るエレベーターで言った。「27回でいきます」。奇数へのこだわりは、得意の左手ターンを見越してのものだった。

 キックを21回から増やし、距離を25メートルから30メートルに延ばすことを決めた。「決断の時、という感じでしたね。予選での差が0秒3くらいだったら、そのままの作戦でいっていたと思う。あれくらい差がついたので、作戦を変えないと、と踏ん切りもついた。『やったろう』っていう感じになりましたね」(敬称略、つづく)

 ◆鈴木 大地(すずき・だいち)1967年3月10日、千葉・習志野市生まれ。52歳。7歳から水泳を始め、市船橋高3年時に背泳ぎで84年ロサンゼルス五輪に出場し、100メートル11位、200メートル16位。順大に進みバサロ泳法を武器に、88年ソウル五輪100メートル背泳ぎで金メダルを獲得。92年4月に引退し、米国留学。2013年に歴代最年少の46歳で日本水泳連盟会長に就任。15年10月からスポーツ庁初代長官を務める。

 ◆バサロ泳法 1970年代後半にジェシー・バサロ(米国)が開発。潜水して両腕を伸ばし、ドルフィンキックで進むことで水の抵抗が減り、進みやすくなる。現在はスタート、ターンとも15メートルまでに規制されている。