体操女子の村上茉愛(まい、23)=日体ク=は17年世界選手権の種目別床運動で日本女子63年ぶりの金メダルを獲得し、18年世界選手権では初の個人総合銀メダル。だが19年世界選手権の代表選考を兼ねた昨年5月のNHK杯は、腰痛で涙の棄権を余儀なくされた。味わったことのない悔しさを経験し、強さを増した絶対的エースが、6か月後に迫る東京五輪への思いを明かした。(取材・構成=小林 玲花)

 小6の時に床運動でH難度の大技「シリバス」(後方抱え込み2回宙返り2回ひねり)を成功させ、天才少女と呼ばれた村上が、日本のエースとして東京五輪に挑む。体操女子の五輪メダルは1964年東京大会の団体銅だけ。18年世界選手権2位の個人総合、17年世界選手権を制した床運動、瀬尾京子コーチに「狙える」と背中を押された平均台、16年リオ五輪で4位入賞した団体と計4つのメダル獲得を目指す。金を狙う個人総合と床運動は、リオ五輪4冠の女王・バイルス(米国)との一騎打ちだ。

 「何色でもいいからメダルは欲しい。でも、やっぱり金を取りたいって思いは外せない。無謀かもしれないけど、本当にチャンスがないわけではないと思う。口に出して目標を高めていくのはいいことかなと思ったので、今年から高めに設定しています」

 明確な目標を言葉にすることで、気持ちは一気に高まった。責任感、周囲からの期待など様々な思いと向き合いながら本番までの6か月を過ごす。

 「言ったことに対しては、きちんと達成しなきゃいけない。世界選手権でメダルを取るという目標は達成しているけど、五輪のメダルは1個もない。夢が目標になるくらい近づいてきていると思うので、達成したいですね」

 リオ五輪後からの歩みは順調かに思われたが、東京五輪前年に経験のない悔しさを味わった。5月のNHK杯で腰痛が悪化し棄権。世界選手権代表入りを逃し、人目をはばからず涙した。

 「記憶から消したいというか…。こんな痛い思いをしてでも試合には出たいと思っていた。諦める選択肢はなかったけど、試合の日の練習で『これでやったらけがするんだろうな』と思った。『五輪の年じゃなくて本当に良かったな』って思いながら、諦めました。ショックはすごく大きく、いろんな人がかけてくれた言葉すらも入ってこなかった。棄権して試合に出ないって、こんなにもきついことなんだなって」

 競技生活で長く付き合ってきた腰痛だったが、思っていた以上に痛みは強かった。NHK杯を棄権した後も会場で試合を見守っていたが、体は限界だった。

 「めちゃくちゃ我慢してたんですけど、本当だったら歩けていないくらい痛かった。自分で洋服も着られず、普通のことが何もできなかった。みんなが体操をしているところも『あんまり見たくないな』と思った」

 2〜3か月かけて、徐々に本来の自分を取り戻した。けがをしたからこそ感じられた「体操ができる喜び」。その気持ちがスイッチを入れてくれた。

 「最初の1か月くらいはリハビリをしたくても、できないくらいひどいものだった。やりたくても周りから『やるな、やるな』って言われるのがつらかった。体操ができていたときは『すごい幸せなんだな』って思いました。練習しているときに『つらい』とか『疲れた』とかマイナスなことを言うときもあるけど、けがをしているときの方が断然つらい。だから『今日は(段違い平行棒を1回転する)車輪を1周できるように頑張ろう』とか、たったそれだけだけど、一日一日考えながらやっていたら、自然とできるようになってきました」

 ここまで積み上げてきた体操人生の全てを、東京五輪に懸けたいと考えている。そう思えるのは、リオ五輪を経験したからこそ。48年ぶりの団体4位は喜びより悔しさの方が強かった。

 「4位はすごいことだと思えたんですけど、悔しくて。4位に喜んだ自分が悔しくなった。(表彰台を)狙いにいきたいと思えたのがリオの団体のとき。メダルが欲しいって思いが強くなったのが、やっぱりリオだった。今は東京(五輪)のことだけで、それ以降のことは考えていない」

 19年3月に大学を卒業し、体操に集中できる環境になった。自由な時間が増えた分、積極的に出かけてオンとオフの切り替えを大事にする。

 「腰のけがをしてから、オフも『練習をしなきゃ』って思ったり、急に不安に駆られて体操のことを常に考えて、体が休んだ気にならなかった。オフはオフで気持ちを切り替えなきゃいけないなと思いました。一人で紅葉を見に高尾山を登ったり、映画を見たり、ショッピングをしたり。(大学の)後輩を誘って遊びに行くことも。一人ご飯はないけど、一人で行くことに全然抵抗はないですね」

 代名詞はショートカット。世界的に見ても女子の体操選手の中では珍しいが、貫き続けるこだわりがある。

 「ずっとショートカットにしてみたくて、大学に入る前に切りました。最初は『軽いな』と思ったし(ロングに慣れすぎていて)体育館へ向かう前に『あ、髪の毛結ぶの忘れた!』と思う日もあった。大学2年のときに1度、少し伸ばして試合に出たんですけど、その時に周囲から『体育館のどこにいるか分からない』『オーラがあんまりないように感じるよね』って言われて。(ショートカットも)一つの表現で、自分の持ち味なんだと思いました」

 “ゴムまり娘”の愛称を持ち、日本人離れしたパワーと力強いバネを生かした演技で、世界トップクラスまで実力を上げてきた。東京五輪の体操競技が終わる8月4日には、笑顔の自分でいたいと誓う。

 「後悔したくない。やり切ったって思える自分でいたいなと思うし、悔し涙じゃなければいいかな。単純に『よく頑張ったな』って思いたい。自分を褒めてあげたいですね」

 村上のライバルは、16年リオ五輪4冠で22歳のシモーン・バイルス(米国)だ。19年世界選手権では段違い平行棒以外の全てを制して5冠。世界選手権の金メダルは最多の19個で、通算メダルは男子のビタリー・シェルボ(旧ソ連、ベラルーシ)を抜く単独最多25個の絶対女王だ。床運動では同大会で史上最高J難度の新技「後方抱え込み2回宙返り3回ひねり」を成功させ「バイルス2」の名がついた。東京五輪を最後に現役引退の意向を示している。

 ◆日本の体操の五輪メダル 女子は1964年東京大会の団体銅メダルだけ。個人種目で獲得した選手はいない。男子は五輪で金31個、銀33個、銅33個の計97個を獲得している。

 ◆体操女子の東京五輪への道 団体メンバーは4人。4月の個人総合・全日本選手権の得点を持ち点にして争われる5月のNHK杯の上位3人が決定。残り1人は6月の全日本種目別選手権までの結果を踏まえ、複数種目で団体総合に貢献できる選手を選ぶ(強化本部長推薦の可能性もある)。

 ◆村上 茉愛(むらかみ・まい)1996年8月5日、相模原市生まれ。23歳。2歳から競技を始め、池谷幸雄体操クラブ入り。得意の床運動で14歳のときに種目別で初の日本一。2015年に日体大へ入学し、16年リオ五輪は団体総合で日本勢48年ぶりの4位入賞に貢献。17年世界選手権は種目別床運動で同大会日本女子63年ぶりの金メダル。18年世界選手権は個人総合で日本女子初の銀メダル、種目別床運動でも銅メダル。148センチ。