戦後初の3冠王となり、指導者としても3度の日本一に輝いた名将、野村克也さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、ヤクルト、阪神、楽天を指揮した。

 堀内恒夫さん(スポーツ報知評論家)は野村さんとの別れに肩を落とした。1月21日に都内で行われた故・金田正一さんの「お別れの会」に車椅子で出席した野村さんと会ったのが最後になった。

 初めての出会いは巨人が南海を相手にV2を果たした1966年の日本シリーズ第2戦。先発したルーキー堀内は初回、野村に右中間に適時二塁打を打たれるなど2点を失い、結局4回途中で降板。その後、出番はなくプロの厳しさを教えられた。

 その相手に雪辱を果たしたのはV9最後の年の73年のシリーズ。野村捕手は投手の堀内にまでささやいてきた。「ここはバントしかないやろ」「いや、いい球が来たら打ちますよ」と腹の探り合いをした末、投手・堀内は決勝打(第2戦)、2本のホームランを浴びせ(第3戦)MVPに輝いた。「シーズンの調子が悪かったからシリーズでは出番がないと思われてた。ノムさんもそう思ってたんだろうな。シリーズが終わってから『死に馬に蹴られた』と言ってたらしい」

 引退後は名球会などで親交があった。「あいさつに行くと『おぉ』とぶっきらぼうな声で言いながら『元気か?』と声を掛けてくれた。野球が好きで、いろいろな方向から野球が見られる人だった。“打てる捕手”の元祖。捕手の地位を上げた功労者だ」と大先輩の死を惜しんだ。