G大阪の元日本代表MF遠藤保仁(40)が、2月23日の横浜M戦(日産ス)でJ1最多出場記録の631試合に並んだ。現在中断中のJリーグが再開されれば、新記録達成は確実となっている。スポーツ報知ではこの大記録に際し、遠藤と縁の深い4人の選手、元選手を取材。Jリーグが中断期間中の今、ネット限定の連載としてお届けする。第3回は遠藤と同じ黄金世代の元日本代表MF小野伸二(40)=FC琉球=。(取材・文 G大阪担当・金川誉)

 数々の名選手を生んだ黄金世代でも、小野伸二は特別な存在だ。1998年のフランスW杯に18歳で出場し、1999年のワールドユース(現U―20W杯)ではキャプテンとしてチームを準優勝に導くなど、常に世代の先頭を走ってきた。現在、FC琉球でプレーする小野は1月、沖縄での練習後に取材に応じてくれた。「結果、記録をみてもヤットが僕らの世代で一番残しているわけですから。僕らの年代は全員、ヤットをリスペクトしていますよ。すごいですよね」。昨夏に札幌から琉球へと移籍し、日本最北端のクラブから、最南端のクラブへ渡って新たな挑戦を続ける男は、同級生の大記録を屈託のない笑顔で祝福した。

 遠藤は「伸二は僕らより早くA代表に入ってやっていたし、そういう選手には負けたくない、と思ってずっとやってきた」と語るように、同世代のライバルとして小野の背中を追いかけてきた。ともにMFのふたりだが、プレースタイルは異なる。まるで魔法のようなボールタッチで敵も味方も魅了してきた小野と、頭脳的にゲームをコントロールしてきた遠藤。そんなふたりが日本代表でポジションを争ったのが、2002年から2006年ドイツW杯にかけてのジーコ・ジャパン時代だ。小野はオランダ・フェイエノールトでボランチとして定着し、日本代表でもボランチが主戦場に。遠藤はG大阪で2005年にリーグ優勝の原動力となるなど、国内屈指の司令塔としてその存在感を強めていた。当時の日本代表は、ボランチにふたりのほかにも稲本潤一、福西崇史、中田浩二、さらに中田英寿と豪華なメンバーが居並び、激しいポジション争いを繰り広げていた。

 ジーコ・ジャパンでは小野が20試合、遠藤が29試合に先発。しかしともに攻撃的なスタイル、ということもあってか、ボランチでふたりがコンビを組んで先発した試合は1度もなかった。一方が2列目として同時に先発した試合も、わずか2試合だけだった。そんな中でも、小野は「一緒にやったときは、やりやすい、というイメージが残っています。本当にミスをしない。難しいことを簡単にやってのけてしまう。相手の裏をかくプレーもできるし、クレバーに感じます。すべてが長けている。いろんなことに対して、ああ、そこ見えているんだな、と」と遠藤を評していた。

 中でも言葉が熱を帯びたのが、ダイレクトパスについての解説だ。「何がすごいって、味方が欲しいときにワンタッチで出すところ。そういうタイミングは、(選手同士で)話してもわからないところなんです。でもヤットは、人のことを考えて、リズムもはかりながら、やっているんだろうなと。自然と相手のことを考えているんでしょうし、自分がこうならここでほしいな、とかがわかっているんだろうなと思います」。味方の力を最大限に引き出す“ワンタッチ”に、遠藤のすごみを感じ取っていた。

 そんな同級生に対し、小野は今でも持つライバル心を隠すことはなかった。「今でも負けたくない気持ちは強いですよ。それはいつの時代も一緒。いつまでたっても、それは変わらないですよ。そう思わないといけないと思いますし。そのおかげで、僕らの世代はみんな長くやれているんじゃないですか。ヤットには記録をもっともっと伸ばして、79年代の刺激剤になって、引っ張っていってほしいなと思います」。ギラギラと競い合うような関係ではないかもしれない。しかし、今でもお互いが胸の中に秘める「負けたくない」という思いは、彼らが今でもピッチに立ち続ける一つの理由だった。