夏の五輪としては56年ぶりに聖火が日本に到着した。1964年東京五輪で日本人金メダル第1号となった重量挙げフェザー級の三宅義信さん(80)が、聖火への思いを語った。

 東京五輪開会式に参加して、国立競技場の聖火台に火がともった時には、感無量でした。この火がつかない限り、試合が始まりませんからね。最終聖火ランナーを見ながら、日本選手団から「誰なの?」「誰かしら?」と声が上がったんです。我々は誰も、聞かされてませんでしたから。その後に知ったんです。1945年、原爆が落とされた時に広島で生まれた坂井(義則)さんだったと。国立競技場の一番上に火が燃えて、気持ちも高まりました。

 その4年前、20歳でローマ五輪に出ましたが、開会式は天気も良くて、聖火がきれいだなという感じでした。この時は海外が初めてだったりして、うまく力を出し切れなくて金メダルを取れませんでした。8月25日に始まって、私が出場したのは9月9日と終盤だった。東京では重量挙げの日程が前に移されて、私の出番は開会式2日後の10月12日になった。私の金メダルで盛り上げていこう、という大会組織委員会の志なのだと思った。計画通りに準備して、それに応えることができました。

 メキシコ市(68年)、ミュンヘン(72年)まで4大会連続で出場しましたが、いずれも最終聖火ランナーは階段を上がって火をつけました。バルセロナ(92年)では、(アーチェリー選手が)火がついた矢を聖火台に放ってつけるというパフォーマンスもありましたが、ちょっとどうかなと思いました。アトランタ(96年)では聖火台にムハマド・アリが現れ、(パーキンソン病の)震える手で火をつけました。彼はローマ五輪ボクシングの金メダリストです。やっぱり米国はアスリートを大事にしてると思いましたね。

 東京でもアスリートにやってほしい。五輪はあくまでもアスリートのもの。とことこ階段を上がってもらいたい。私の名前も挙がっていると何かで読みましたが、話も来てませんし、宮城国体(01年)で最終炬火(きょか)ランナーで階段を上がったんだけど足が途中で動かなくなった。もう懲りました。(取材・構成=久浦 真一)

 ◆三宅 義信(みやけ・よしのぶ)1939年11月24日、宮城・村田町出身。80歳。大河原商―法大を経て、自衛隊では体育学校長など歴任。五輪は60年ローマ大会バンタム級銀、64年東京、68年メキシコ市両大会フェザー級で金メダル。72年ミュンヘン大会4位。2013年から東京国際大監督。メキシコ市大会では弟・義行氏が銅。12年ロンドン銀、16年リオ銅の三宅宏実は姪。

 ◆東京五輪の最終聖火ランナー 戦後復興の象徴となった64年東京五輪の最終走者は、1945年8月6日に広島に原爆が投下された約1時間半後、広島県三次市に生まれた坂井義則さんが務めた。中学から陸上を始め、五輪開催当時は19歳で早大競走部に所属していた。20年東京五輪は11年東日本大震災からの復興五輪と位置づけて行われるため、最終ランナー候補には著名なアスリート以外にも、震災に関係のある人物が挙がる可能性もある。