大相撲春場所で大関昇進を確実にした関脇・朝乃山(26)=高砂=が千秋楽から一夜明けた23日、大阪市内の高砂部屋宿舎で会見した。新型コロナウイルス感染拡大の影響で無観客という異例の場所を戦い抜き、富山県出身力士としては横綱・太刀山以来111年ぶりの新大関となる大器。「太刀山さんに近づける一歩を踏み出したという感じ」と綱取りにも意欲を示した。スポーツ報知では、朝乃山の素顔と魅力を3回の連載で紹介する。

 富山県出身力士として太刀山(元横綱)に続く111年ぶりの新大関となる朝乃山。その相撲道は、一枚の入部届から始まった。

 呉羽中では入学後、ハンドボール部に所属した。だがある日、帰宅後に「はんこを押してくれ」と相撲部の入部届を母・石橋佳美さんに差し出した。当時、相撲部は部員が2人しかおらず、顧問で担任の杉林雅章教諭が、小学生時に相撲大会出場経験を持つ石橋少年を勧誘したためだった。だが相撲は厳しい世界。母は、翌日の朝もはんこを押せなかった。そこに父・靖さんが「やりたいと言っているなら押してやれ」と一声。母は、はんこを押した。

 同教諭は、朝乃山のまじめな性格に目をつけた。「これをやりなさいと言ったら、納得するまでずっとやっていた」と明かす。腕立て伏せを10回10セット行うトレーニングでは、苦戦する姿を見かねて「もう時間も遅いからやめよう」と言うと、当時1年生の石橋少年は「あと2セットなんで」。泥だらけになりながらやり遂げた。素直な性格や、丸坊主でふっくらした見た目から「おむすび山」の愛称で多くの先生にかわいがられていた。

 富山商高では、入学時の体重は約100キロ。食も太くなく、体づくりのため菓子パン、おにぎりをそれぞれ2〜3個と、「(縦24センチ、横約17センチの)iPadほどの大きさ」(佳美さん)の2段弁当を持参。お昼までにはすべてたいらげ、その後は学食で“もう一丁”。弁当は愛情のこもった、母の手作り。佳美さんは「ちょっと捨てられん」と、弁当箱は今でも大事に保管している。朝乃山は多くの人々の思いを肥やしにして、肉体の基礎をつくった

(竹内 夏紀)